〈設立の趣旨〉
北海道大学出版会は、「北海道における創造的地方文化の発掘に努力し、以て文化の向上に寄与し、さらに一般教養書、学術書等の刊行を通して、教育の普及、学術の振興を計る」ことを目的として、1970年に設立された。
〈現在までの歩み〉
弘前大学出版会は学術・教養関連図書および教科書の刊行・頒布を主たる事業とし、本学の研究とその成果の発表を助成するとともに、広く学術・文化の振興・発展に寄与することを目的として国立大学法人弘前大学の組織内に設立された。
〈設立の趣旨〉
当会の会則第三条「目的」にこう唱われている。「本会は、学術図書の刊行頒布を主たる事業とし、東北大学及び東北地方の研究機関における研究とその成果の発表の助成、内外学術資料の蒐集、学術国際協力、大学の社会開放等の諸事業を行い、もって東北地方を始めとする我国の学術・文化の振興に寄与することを目的とする。」
〈設立の趣旨〉
流通経済大学出版会は、広く学術の振興と文化の興隆に資することを目的として、学術図書、教科書、評論、随筆集等書籍の出版を行うために、学校法人日通学園の一部局として設立された。
〈出版会の歩み〉
聖徳大学出版会は川並弘昭理事長のかねてからの大学出版会設立の意思を体現して、平成14年9月に発足した。建学の精神に基づいて「心と身体の癒しシリーズ」「保育選書」等の出版計画が提案され、運営委員会・刊行委員会体制の下で刊行活動が開始された。
〈福澤諭吉と出版事業〉
当社は、慶應義塾が教育の機会均等の理念に基づき、昭和23年1月、戦後、我が国で初めて、大学に通信教育課程(文学部・経済学部・法学部)を開設するに伴い、設立された会社である。設立当初、当社は慶應通信教育図書株式会社と称し、通信教育課程教材の刊行・配本並びに同課程の事務の受託を主たる事業としていた。
昭和26年3月以降、学術図書の刊行をも行うようになり、昭和27年1月、社名を慶應通信株式会社と改めた。学術書の刊行は、その後、法律・政治・経済・経営・社会学・心理学・特殊教育関係・語学その他へとその分野が拡大された。また、大学の研究紀要も、経済学部の『三田学会雑誌』、法学部の『法学研究』、商学部の『三田商学研究』他多数を受託制作し、現在に至っている。
専修大学は開学百周年にあたる昭和48年に神田校舎を改築したが、それに付帯する各種収益事業の運営にあたる法人として、株式会社専大センチュリーが設立された。翌49年に、小局は大学の出版・印刷を担当する部局として設置されたのである。
玉川学園出版部は「全人教育」を提唱する玉川学園の創設(昭和4年)と同時に発足した。その前身は大正12年(1923)誕生のイデア書院に遡ることができ、現在の名称、玉川大学出版部となったのは昭和22年旧制玉川大学の発足の時だった。
本学は英吉利法律学校設立(明治18年)の当初から、英米の法律書の翻刻出版や、広く学問を志す人々のために校外生制度を設けて「講義録」を発行してきた。この法律を実地に応用した実績をかわれて、後には大審院判決録や行政裁判所判決録の編集を委託され、逐次「判決録」を刊行するとともに、法律書を中心に数多くの有為な出版をつづけてきた古い歴史をもっている。
〈設立と刊行実績〉
東京大学出版会は、1951年3月、ときの東京大学総長、南原繁先生の発意により全学教官有志の協賛を得て、日本の国立大学では初めての大学出版部として、また東京大学からも相対的に独立した財団法人という組織をもって設立された。爾来、本会は「大学に於ける研究とその成果の発表を助成するとともに、広く一般書、学術書の刊行により学問の普及、学術の振興を図る」(設立趣意書)ために、着実な出版活動を継続してきた。
〈現在までの歩み〉
東京電機大学出版局は、電気・機械技術者を養成し、工業教育の普及をはかり、科学技術の総本山たることを目指した私立電機学校の一組織として、学園創立と同時に設置された。2007年には学園とともに創立百周年を迎えた。
〈設立の経緯と組織形態〉
小局は法政大学創立70周年記念事業の一環として設立された。処女出版は史上最初の原爆被害記録として知られるジョン・ハーシーの『ヒロシマ』である(1949年4月初版/2003年増補版)。これを皮切りに翻訳書や教養書を精力的に企画・刊行し、戦後啓蒙期における大学拡張の役割を果たした。 1960年代前半は研究書・教科書に重点を置き、65年以降、後述の諸企画を開始し、現在に至る。創業以来半世紀余、約2500点を世におくり、ここ四半世紀ほどは毎年60点を超える新刊を刊行している。
〈設立の趣旨〉
武蔵野大学は、近年、大学院、通信教育部、薬学部、看護学部等、学部・学科の新増設にともない、教育・研究に従事する教員数が増え、その研究成果の発表の場を確保するために学内に出版部門を設ける必要性が高まっていた。一方、武蔵野大学は地域に開かれた大学として従来から多くの公開講座を開催してきた実績に加えて、通信教育部の開設により、生涯学習の領域での社会貢献をいっそう推進している。この営みをさらに時空を超えて拡大するために書籍の力に期待する意味でも、出版部門設立が求められていた。このような必要性に応えるものとして、武蔵野大学出版会を設立した。
〈設立の経緯〉
武蔵野美術大学出版局は、1983年に学校法人武蔵野美術大学の全額出資子会社として設立された組織で、「株式会社ムサビ」としてスタートし、大学における各種メンテナンスなどを主な事業としていました。
1987年には、出版事業を中心とする性格を明らかにするために「株式会社ムサシノ出版」と名称を変更し、我が国初めての美術系通信教育課程である武蔵野美術短期大学通信教育部の教科書を多数刊行してきました。また同年には、1969年の69号から休刊していた武蔵野美術大学の機関誌『武蔵野美術』を、美術雑誌『季刊 武蔵野美術』70号(120号をもって再び休刊)として復刊し(120号をもって再び休刊)、美術やデザインをはじめ、民俗学、近代思想史、現代思想、表象文化など多岐にわたるテーマで号を重ね、多くの読者の評価を得ました。
〈設立の趣旨〉
関東学院大学出版会は、本学における研究とその成果の発表を支援・推進するとともに、学術書・教科書の刊行により、本学の学術および教育の向上・発展に寄与することを目的に、2001年7月に大学の一機関として設立・発足しました。
名古屋大学出版会は、名古屋大学をはじめ中部地方の各大学における研究成果である学術図書の刊行、学術国際協力、大学の社会開放の諸事業を行い、中部地方の、さらにはわが国の学術・文化の振興に寄与することを目的として、昭和57年6月、任意団体として設立された。
任意団体のままでは経済的基盤が弱く、学術出版を安定的にすすめるには不充分であることから、昭和60年3月財団法人組織となった。
名古屋外国語大学出版会
名古屋外国語大学出版会は、世界の「言葉」と「文化」をツールとして、すぐれた英知を「本」という形に美しく結実させるべく、創設されました。当大学がかかげる「ワールド・リベラル・アーツ」の精神は、真の意味での「教養」こそが人を生かし、人々の心をつなげていくことを示しています。
大学出版部としては比較的遅く誕生した小会の歴史は18年に満たない。しかし、すでに2つの時期に区分できるほど、この間の変化は著しかった。設立から 1996年前半期までがその第一期にあたる。この時期は、大学設置基準大綱化(91年)を挟む、いわば国立大学改革の序章と重なっている。だが率直に言ってこの間の小会は運営面・態勢面で弱点を抱え、学術成果の旺盛な公開という大学院重点化に伴う強い要請に、十分応えることができなかった。企画面では、後の刊行物の柱になるいくつかのシリーズが準備される等、意義ある取り組みがなされたが、全体としては、刊行点数・売上共に低水準に終始した、いわば長い助走期として振り返るべきであろう。
〈設立の経緯〉
小部は本学創立後16年目の1987年、本学教員の研究活性化を図るという研究への支援、社会の学術研究発展への寄与、教員自著の教科書を刊行することによる教育への支援という目的のもとに設立された。同年10月には、本学創設者である故金澤尚淑博士を悼む『故金澤尚淑博士追悼論文集』を創刊し、翌年 1988年3月には、出版企画委員会規程が制定された。その後研究書、学術書、シンポジウム報告書、論文集、翻訳書、学生用教科書など年平均八点を刊行し、現在では百数点を刊行するまでに至っている。
大阪大学に出版会をもつことは早くからの念願であったが、本格的な準備は、1991年の大阪大学創立60周年記念事業の一環として進められた。1992 年6月に、アサヒビール株式会社からの寄附を基金として、財団法人大阪大学後援会出版事業部(対外的には「大阪大学出版会」と称する)として出発することが決定され、翌1993年(平成5)4月1日、正式に発足した。
関西大学出版部は、他大学の出版部等に見られるような独立した法人組織ではなく、学校法人の事務組織の一部局として位置づけられ、その機能を果たしてきました。平成16(2004)年4月からは学術情報事務局内の部署として編成され、学術図書や大学教材などを出版しております。なかでも重点を置いているのは、専任教育職員(名誉教授を含む)の研究業績を出版することです。そのために昭和38(1963)年9月、出版補助の制度(「研究成果出版補助金規程」)を確立させ、学術図書の積極的な刊行に取り組んできました。
通常、大学出版会は学校法人理事会なり大学当局の肝いりで始まる場合が多いと思われるが、当会は完全に大学教員の自発的発意から出発するという、特異な成り立ちを経験している。
創立70周年を迎えた1959年に大学生協が設立され、学内で初めて書店が開かれた。生協書籍部の始まりである。書物好きの教職員が集まる場所になったわけだが、時間の経過のうちに、書籍部の中に出版事業に精通し、また具体的書物づくりに関心を抱く職員が育ってきた。書物好きの教員はこうした職員を囲んで、様々な書籍談義を自然に始めることになった。
〈歩 み〉
昭和50年3月、文部省から財団法人の認可を受けて発足。西日本一帯に基盤を拡げ、事務局の態勢を整えるまでには、更に数年を要した。51年、長沼賢海『日本海事史研究』、田中潔『PCBと複合汚染の医学』、釘宮保雄『動的ポートフォリオ選択の基礎』の3点を刊行(発売 東京大学出版会)。53 年、主要取次店との取引を開始。57年、主要書店と常備寄託を開始。59年、中山平次郎著・岡崎敬校訂『古代の博多』刊行、設立当初からの念願の名著の出版記念会は、同時に本会の創立10周年記念でもあった。