プリミエ・コレクション106
未完の聖地 景福宮 宮域再編事業の100年
価格:3,960円 (消費税:360円)
ISBN978-4-8140-0263-4 C3325
奥付の初版発行年月:2020年03月 / 発売日:2020年04月上旬
朝鮮王朝の宮城であった景福宮は,民族の<聖域>である。しかし総督府は,それを旧権力の遺物として扱い,植民地支配の象徴として再編しようとした。だがその風致に注目した京城市民達は,景観の保存を求める。解放後,軍事政権は,今度は新権力の象徴として整備を進めたが,民主化とともに民族精神の象徴すなわち<新たな聖域>と見做されるようになる。王朝の府の数奇な運命を,資料と図面から解き明かす。
宮崎 涼子(ミヤザキ リョウコ)
宮﨑 涼子(みやざき りょうこ)
京都大学・京都芸術大学非常勤講師
京都大学大学院文学研究科二十世紀学専修博士後期課程修了。博士(文学)。
主な著作に,
『伝統文化 入門編』(井上治編,京都造形芸術大学 東北芸術工科大学 出版局 藝術学舎,2019年,分担執筆),「デ・ラランデが描いた『京城都市構想図』に見られる景福宮改造計画案―その立案推定年代についての検討を中心に」(『二十世紀研究』第14号,2013年12月,153-176頁),「『京城都市構想図』における景福宮域の再編計画案の立案時期とその特徴」(『日本建築学会計画系論文集』第80巻第707号,2015年1月,193-201頁,共著)など。
目次
朝鮮総督府歴代総督・政務総監一覧
序 論
1 「最も古く,最も新しい」 ―再定義され更新される「聖地」
朝鮮民族の「聖地」としてのソウル(漢城)及び景福宮
常に更新される「聖地」
植民統治下での「聖地」認識
2 見逃されてきた〈景福宮全体の再編過程〉 ―研究史の問題点
集中する総督府新庁舎への注目
宮内に設置された他の総督府
施設や宮内での大規模行事への着目
宮域全体の変化を包括的に捉える視点の提示
3 「 植民地近代化論」と「収奪論」そして,「植民地近代論」へ
―植民地研究の流れ
4 未完の計画としての「景福宮公園化」の全体像に迫る
―本書の目的
「毀損」でなく「再編」と捉える視点
宮内区画への注目
5 本書の構成
第1章 韓国併合と景福宮
―近代日本の歴史的建造物・文化財概念と「聖地」の処遇
(朝鮮王朝末期から1920年代前半期まで)
第1節 韓国併合以前の景福宮
1.露館播遷後の外国人訪問
2.日本による実質的権限の掌握と一般への「拝観」許可
第2節 韓国併合前後の景福宮
1.一度目の殿閣売却
2. 宮内への総督府新庁舎建設決定と京城再編への着手
第3節 始政五年記念朝鮮物産共進会の開催と総督府新庁舎
建設工事への着手
1.二度目の殿閣売却
2.宮域の区画化
3.特殊な処遇下に置かれた四殿閣
第4節 博物館エリアの公開状況
1.「観覧」者の注意事項
2.博物館の観覧コース
第5節 近代日本における歴史的建造物・文化財保存概念
1.近世城郭の処分
廃城とされた城郭の処遇
存城とされた城郭の処遇
内地における旧城郭に対する処遇に倣った朝鮮王宮の取り扱い
2.歴史的建造物・文化財保存法制の制定過程
日本における歴史的建造物・文化財保存概念の確立過程
朝鮮における歴史的建造物・文化財保存概念の確立過程
3. 法令制定以前の旧権力象徴建造物保存の動き
地元の篤志家・旧藩士らの奔走と保全策としての城址公園化
文化財保存行政の先駆となった官僚らによる提言と古器旧物としての城郭
第2章 「京城都市構想図」と景福宮域再編計画案
第1節 共同研究における検討と推測
1.朝鮮総督府新庁舎建設計画(1912-1926年)に関する技師・岩井長三郎の証言に基づく検討
2.国家記録院所蔵の宮域再編計画案との比較に基づく検討
3.博物館計画についての検討と推測
4.共同研究における推測のまとめ
第2節 共同研究における推測の矛盾と新たな仮説の構築
第3節 総督府新庁舎および博物館建設計画の推移についての再検証
1.新庁舎計画に関する岩井・小川証言の再検証
2.『 朝鮮総督府施政年報 大正 2 年度』の記録についての解釈
3.博物館建設計画に関する藤田証言の再検証
第4節 再検証結果に基づく諸計画及び「構想図」制作経緯の推論
1.1910-11年度にかけてのデ・ラランデの構想の反映
2.伏せられた宮域再編着手と宮域の移管
第3章 1910 年代前半期の景福宮域再編計画案の推移
第1節 日本および朝鮮における公園の受容と造成の流れ
1.日本における公園の受容と造成
使節・留学生による情報流入
居留地への公園造成
日本人にとっての遊興地と公園設置の法制化
日比谷公園の造成
2.朝鮮における公園の受容と造成
使節・留学生による情報流入
仁川共同居留地への自由公園設置
朝鮮人にとっての遊興地と独立協会による公園の造成
日本による公園造成
第2節 「 京城都市構想図」の景福宮域再編計画案(1910 年代初頭)
1.計画の内容
2.光化門の存否
第3節 「景福宮敷地平面図」(1912年度内)
1.計画の内容
2.区画化と松林の花壇化
第4節 「景福宮内敷地及官邸配置図」(1910年代中頃)
1.計画の内容
2.日比谷公園との共通点と相違点
3.始政五年記念朝鮮物産共進会(会場)との共通性
第5節 苑路の形状と公園面積の拡充
―宮域再編計画案からの推論
1.大規模空間造成における苑路の形状を巡る紛糾
2.官邸計画における検討課題
1910年代前半期当時の総督・政務総監官邸の所在
公園面積拡充のための神武門外への官邸建設検討
第4章 1920 年代前半期以降の景福宮域公園化計画および官邸・官舎建設計画の展開
第1節 1920 年代中頃の景福宮域公園化と官邸・官舎建設をめぐる動き
1.京城市民側の公園増設要求と政務総監・有吉忠一の景福宮域公園化構想(1923年5月)
2.景福宮公園化を望む京城市民と京城府(1923年11月)
「市民の某有力者」と京城府尹・谷多喜磨の考え
望まれる「慶会楼から北にある景福宮秘苑までの約八万坪」の公開
仄めかされる総督府側の意向
3.当局内での官邸建設計画および宮域公園化の実施決定(1925年5月)
「景福宮は公園になる」
三つの官邸建設候補地
4.景福宮公園化計画再始動の背景
都市計画熱にともなう公園増設要求の高まり
朝鮮人側の不満の高まりとその懐柔策としての宮域公園化 ―文化政治的思想の表れ
朝鮮人主体新聞の無反応
有吉らが示した古蹟としての景福宮保全概念
第2節 官舎・官邸建設計画の推移
1.「神武門外官舎配置図」(1926年度)における官邸・官舎計画
2.官舎計画の推移
1920年代末以降の宮内平面図および地図における官舎の描写
「朝鮮博覧会場配置図」
「朝鮮総督府(景福宮)敷地平面図」
陸軍参謀本部陸地測量部作製の外邦図
官舎計画の推移の整理
3.総督・政務総監官邸計画の推移
建設敷地の準備(隆文堂・隆武堂の払い下げ)
「本府後庭」に建設するのは官邸か,総合博物館か
宮域北エリアに完成した朝鮮総督府美術館
総督・政務総監官邸計画の結末
第3節 景福宮公園化計画,および京城都市計画のその後の推移
1.『京城都市計画書』における「景福園」の公園計画地指定
2.「朝鮮市街地計画令」の制定・公布による都市計画および都市公園計画の再興
3.京城市街地計画の実施と公園案の決定
4.京城市街地計画公園最終案からの「景福公園」除外
京城市街地計画公園案の変化
「景福公園」除外の要因
第5章 1920 年代中頃以降の宮域北エリアの変化
第1節 朝鮮民族美術館の開館
1.開館までの経緯
2.開館後の美術館の活動実態
第2節 博覧会場としての使用
第3節 朝鮮美術展覧会の開催(1930-38年)
1.会場として使用された「旧共進会建物」
2.朴霧児の入場記録
第4節 入場希望者の観覧受け入れ
第5節 桜の開花時期の無料開放
第6節 東亜日報社関連団体の訪問
1.婦人古宮巡礼団の訪問
2.家庭婦人協会月例会の開催
3.家庭女性の社交の場としての活用
第7節 朝鮮総督府美術館の開館
1.総督府美術館の実態
2.『東亜日報』記者の見解
第6章 1920年代中頃以降の新庁舎エリアおよび博物館エリア
―観光化とスポーツ利用
第1節 総督府新庁舎竣工後の同エリアおよび博物館エリアの変化
1.総督府新庁舎の周辺整備
2.観光名所となった新庁舎
3.博物館の観覧状況の変化
第2節 運動施設の設置
1.「大白亜館をめぐる運動楽園の完成」
2.「景福宮内配置図」から窺われる「野球場」の実態と運動施設増設の検討
3.総督府体育会の設立とその背景
「総督府体育会の人々」のために造られた運動施設
体育会設立時の会則
設立の背景 ―スポーツが持つ結束強化(離職防止)および事務能力向上機能の重視
体育会による慶会楼のスケート場の使用制限
第3節 総督府体育会の活動実態
1.陸上競技部の活動
2.庭球部の活動
京城実業庭球リーグへの参加
日鮮ペアの活躍 ―スポーツを介した内鮮融和策の表れ
3.野球部の活動
4.増設された運動部
卓球部
ラグビー部
景福宮内における培材高等普通学校チームの試合
5.総督府体育会の終焉
第4節 運動施設の増設と使用状況
1.トラックとフィールド
2.球技グラウンドの増設とゴルフ場の設置
「西側運動場」の増設
宮内で行われた野球試合
博物館エリア北端の「ゴルフ場」
3.テニスコート
「孝子洞側」への増設
様々な競技会で使用された宮内のテニスコート
4.その後の慶会楼蓮池のスケート場の使用
5.解放後の運動施設
終 論 「聖域の大衆化」と政治的統合の象徴としての再編
1 旧権力の象徴空間としてのみ扱われた景福宮
(1) 内地の旧権力象徴空間に対する処遇に倣った朝鮮王宮への措置
(2)なぜ,近代的公園化が追求されたか? ―1910年代の宮域再編
2 都市計画熱を背景にした「風致を活かした」公園化
(1)京城市民や京城府の介入 ―都市計画熱が生んだ景福宮公園化要求
(2)共有されなかった古蹟としての保全概念
3 折衷的空間となった宮域
(1)「自然に人工を盡した文化の殿堂」
(2)朝鮮人社会の認識の変化
4 宮域の大衆化が準備したもの
(1)スポーツ熱の宮内運動施設の活用
(2)宮域の大衆化による政治統合空間への再編
5 軍事独裁(開発独裁)時代の「聖地」
(1)解放後の景福宮とその周辺
(2)新権力と経済開発の象徴としての宮域
再び公園に―大衆化と政治統合の空間へ
中央庁としての旧庁舎の復活
世宗路の整備とコンクリートでの光化門再建
(3)開発独裁時代の「聖地」のあり方に対する解釈
6 民族精神の象徴空間=新たな「聖域」として
―民主化宣言以降の宮域
(1)景福宮復元整備作業と光化門の復元
風水理論によって意味づけられた植民地遺産の撤去
光化門の復元
(2)脱植民地化の体現としての復元事業
世宗路への光化門広場造成
広場造成の狙い
(3)伝統的・歴史的事物に対する認識の変化
結び 更新され続ける未完の空間
「新しい光化門広場」計画
あとがき
索引
Abstract