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【コラム】大学出版部に期待されているものは何か:日経「文化往来」欄の2冊

2010-05-07 19:24

 この4月、5月と、ちょうど一月をおいて立て続けに、関西の大学出版部の二つの「書籍」が日経新聞の文化欄で紹介された。ここでカギ括弧を付けたのには意味がある。こう言うと叱られそうだが、「話題の本」(和書)が新聞紙上で紹介されるのは、当たり前と言えば当たり前(もちろん、有り難いことです)、しかし、今回の2冊は、いずれも「普通」の本ではない。
 一つは、京都大学学術出版会の「DVDブック カラコルム/花嫁の峰チョゴリザ:フィールド科学のパイオニアたち」(4月3日掲載)、もう一つは大阪大学出版会の「The Island of St. Nicholas」(5月4日掲載)、方や文字通りDVDに収録した2つの記録映画をメインに、戦後日本の学術調査の嚆矢と言われる探検を振り返ったものであり、もう一方は、サンタクロースのモデルとなった二人の聖職者(なんと陽光溢れる東地中海の島の修道僧なんだそうな)の遺跡を調査した英文の研究書である。
 学術書のほとんどが「新刊の山」の中に埋もれている、というのは、情けないことだが事実である。まして主要市場から遠い地方大学出版部にとっては、そうした現状を悲嘆すること自体、今更何を、と冷笑されかねない。ところが、なのである。英文書とDVDブック、しかも関西発。ここに注目していただいた訳である。
この二つの大学出版部は、いずれも歴史は比較的浅いが、一般的な書籍業界の経営モデルに敢えて挑戦してきた。京大は古典学や理系の大型参考書、英文書の刊行を特徴とし、阪大は、「懐徳堂」の伝統宜しく市民に向けた教養教育のシリーズを陸続と世に出している。だからといって決して特殊な出版者ではないのだが、「普通の学術版元にはとどまらないよ」と宣言し続けている、と言って良い。敢えて不遜の誹りを恐れずに言うなら、今回取り上げていただいた2冊は、「普通の学術版元」ではまず企画できない類のものである。
それにしても、よくぞ注目していただけたと思う。月に7000からの新刊が世に出る中で、この2冊を見つけ出し、かつ、ドンピシャリと内容の核を突いていただいたのである。たとえば5月4日の記事では、従来「宗教一色」と捉えられてきたビザンチン教会意匠が実は生活感に溢れたものだった、という本書のもっとも魅力ある一節が紹介されている。しかし、なぜ注目していただいたのか、と考えると分からないでもない。いずれも、歴史に関わることである。しかも、得てして「当たり前」とされてしまいがちな事柄をルーツから見直そうというものだ。真に厚みのあるリーダーたろうとするなら、知っておくべきことだろう。日経新聞文化欄の見識には、ただ脱帽するばかりである。
さて、こう振り返ると、今回の記事は大きな意味を持っている。大学出版部といえども、生業は「普通の良い本」を作ること(もちろん、それ自体簡単なことではない)で、新しい挑戦など、百に一つできれば良い方だろう。しかし、こうして注目してくれている方々がいる。そして、そうした読者にとって、大学出版部は、果たして魅力的な存在なのだろうか? あるいは、大学出版部は、この国の文化基盤として、何を提供すべきなのだろうか? もちろん、今回の2つの記事はまこと喜ばしいことで、事実、DVDブックの方は、記事掲載直後にアマゾンでの注文が急増し、刊行後一月で増刷と相成った(有り難うございました)。しかし、同時に、「小さく安住してはならない、常に新しいものへ」という挑戦を促してはいないだろうか。

 京都大学学術出版会 鈴木哲也

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