大型チェーン書店の台頭と独立系書店の行方

― ポーランド出版事情 ―

橋元博樹



 はじめに

 今年の5月、国際交流基金・出版文化国際交流会の専門家派遣プログラムでワルシャワを訪問した。このプログラムは各国の国際ブックフェアに出版物とともにスタッフを派遣することによって、日本の出版文化を世界に広めようという趣旨で取り組まれているものだ。出版文化国際交流会の会員である当大学出版部協会も毎年一名ないしは二名を専門家として派遣しているが、この春開催されたワルシャワ国際ブックフェアには、昨年の大阪大学出版会の落合祥堯氏につづいて私が派遣されたというわけである。
 「専門家」とはいささか大げさで、こそばゆくなる表現であるが、実際に海外のブックフェア会場に日本から派遣されると、現地の人々からは容赦なく専門家として対応される。なにしろ、ワルシャワブックフェアには日本の出版社が出展しているわけでも商談に訪れているわけでもない。その期間、その場所にいる唯一の日本の出版関係者となるのだ。大使館職員がポーランド語で現地の出版人らに私を紹介するときに唯一耳に入ってくる「スペシャリテ」という単語の響きに恐縮してしまうことしきりであった。
 こうした緊張感も含めて、ブックフェア開催の四日間の経験はなにものにもかえがたいものであり、その貴重な場を提供してくださった国際交流基金・出版文化国際交流会の皆様に改めて感謝の意を表したい。
 さて、そこでの経験と取り組みについては、出版文化国際交流会の会報188号(http://www.pace.or.jp/)にレポートを掲載させていただいたのでそちらをお読みいただくとして、ここではポーランドで見聞した、あるいは持ち帰った資料で調査した書店事情について書いておきたい。
 ポーランドの出版事情は日本にいてはほとんど把握することができない。理由のひとつは人口3800万人という小さな市場では、日本の出版物を翻訳輸出するにはビジネス上のメリットに欠けるからだろう。だからというべきか、このほとんど明らかにされていないポーランドの書店状況の一端を改めて報告するのもまったく意味のないことではないと思う。

 エムピック、トラフィック・クラブ、プルス

 ワルシャワの中心、中央駅や郵便局やデーパートなどが集積している地域の、大通りに面した交通の便のよいところに大型書店エムピックがある。エムピックは全国におよそ100の店舗を持つポーランド最大手のチェーン書店である。本店と思われるこのワルシャワの店舗は3階建ての広々とした建物に雑誌、書籍、文房具、CDを取り揃えた複合店。さらに3階にはカフェを併設しており、購入前の書籍もここで読むことができる。窓の外に聳え立つ文化科学宮殿を眺めながらの読書はワルシャワならではだ。一方で、店内の広いスペースには書棚が整然とジャンルごとに並べられており、日本でもよくみかける大型店舗のレイアウトとそれほど変わらない。1階は雑誌のコーナー。もともとポーランドでは書籍流通と雑誌流通は別であり、書籍は書店で販売され、雑誌や新聞は駅などのニューススタンドで販売されている。だが近年はエムピックのような大型書店が新聞・雑誌を扱い始めた。つまり書籍流通と雑誌流通の相乗りが始まっているのである。
 入口正面にはスタニスワフ・レムの作品が多面で陳列されていた。日本で言えばベストセラーが陳列されている最も人の目に付くスペースに、ポーランドが生んだ世界的なSF作家とはいえ、こうした難解な書籍が堂々と販売されているのには驚かされた。
 表通りから路地に入り、映画館やレストランが軒を連ねるにぎやかな繁華街を歩くと、もう一つの大型店トラフィック・クラブが見えてくる。中心が吹き抜けになっている少々薄暗い照明から醸し出される高級感は、エムピックの大衆的な明るさとは対照的である。書籍の陳列方法もさまざまに工夫が施されており、ポーランドで訪問したどの書店より綺麗で居心地が良い。大型書店ではあるがチェーン店ではなく、他にはこのワルシャワ以外に1店舗あるのみである。
 学術書を主に扱うプルスは、繁華街からはすこし離れたワルシャワ大学正門前に位置する小規模な独立系書店である。50坪程度の敷地に地上1階、地下1階の2フロア。石造りの堅牢な建物を一歩なかに踏み入れると円形の柱やアーチ状の梁がいたるところに目に入り、小さな教会のなかにいるような気がしてくる。かつて観光の合間に立ち寄ったパリのソルボンヌ大学の前にはカンパーニュという哲学・思想の専門書店があったが、どの地域にいっても大学前にはこうした専門書店があるものだ。世界中で苦境に立たされているといわれている専門書販売の現状であるが、こういう書店と出会うと元気づけられる。
 だが、このように活況なのは大都市部の一部の大型店、とくにエムピックのようなチェーン書店だけであり、地方の独立系書店の経営状態は決して良好とはいえない。
 ポーランドの書店事情を概観してみよう。
 書籍の販売ルートは、書店店頭以外にも通信販売や訪問販売、インターネット、出版社直販など、日本と比べるとずいぶん多様である。市場全体の書店シェアは1995年の62%から2007年の39%にまで急激に下がっている。店舗数でも1999年の2900店から2007年の2510店と減少しており、現在でも撤退・廃業は止まらないといわれている。だが、ハイパーマーケットやショッピングモールの書店、そしてエムピックのようなナショナルチェーン書店は業績を伸ばしているというから、苦戦を強いられているのは、ようするに地域の独立系書店である。また書店店頭以外の流通チャネルとして注目を集めているのは新聞・雑誌流通ルートであるニューススタンドでの販売(11%)である。先ほど述べた雑誌と書籍流通の相乗りがここでも見られるのだ。そして多くの主要国で独立系書店の経営を脅かしているオンライン書店の伸張もまた顕著だ(10%)。
 つまり大型チェーン書店の台頭と他の販売ルートの伸張にともない、地域の独立系書店の存在が危機に晒されているのである。

 ハリー・ポッターと定価販売制度

 2003年11月、ポーランドの出版業界ではある協定が結ばれた。ハリー・ポッターの新刊をカバープライスの10%以上の割引率で販売してはならないという取り決めだ。ポーランドには定価販売制度や再販売価格維持制度はない。だから本来であれば各店舗が自由に価格を決めることができるし、またそれまでの新刊はそのようにして販売されているのだ。
 当初は翻訳出版元とホールセラー数社による協定であったのが、後に2つの大手販売会社も参加することによってこの協定の及ぼす範囲はマーケットシェアの80%を超えた。民間企業同士の協定といっても相互に販売価格を報告しあう義務を伴うために実質的な強制力を持つ。その結果、新刊『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』は、前作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』よりも20%ほど高い販売価格となった。
 この協定は出版業界に波紋を投げかけることになる。政府OCCP(公正取引委員会)はこの協定を独占禁止法に抵触するとみなし、参加した版元と販売業者に罰金を課した。自由主義市場を標榜するポーランド出版市場では出版社が取次や小売などの販売業者の販売価格を拘束することは禁じられているからだ。それでも、強い販売力を背景とした大手チェーン店の交渉力に危機感を感じた関係者らによるこの協定については、業界内外から支持する声もあったという。なによりもこうした事情の背景には大型書店エムピックの大幅な値引きや出版社に対する無理な価格交渉などがあるからだ。
 このハリー・ポッターの販売協定は違法とされたが、現在では政府、文化省の主導で法律に基づく定価販売制度を導入しようという動きがある。
 ヨーロッパでは再販制度についての対応は各国様々である。ドイツでは1888年から存在している価格拘束制度を2002年には法律に基づく制度へと移行した。発行後2年以内は出版社による価格拘束が許されているというものである。フランスでは1981年にラング法が制定され、5%の値幅再販が行われている。ラング法とは、発行後2年を経過し、かつ最後に仕入れた時点から6ヶ月を経過した書籍に限って値引きを可能とする時限再販制度であり、ポーランドで制定されようとしている法律もこのラング法をモデルにしたものになるだろうといわれている。そのほかオランダは2005年から、イタリアが2001年から、ポルトガルが1996年からそれぞれ定価販売制度を立法化している。一方で廃止している国もある。イギリスは1995年にNBA(正価本協定)による再販制度が事実上廃止され1997年には違法とされた。フィンランドは1970年に廃止、スウェーデンは翌1971年に廃止している。またスイスでは2007年に効力を失った。
 このようにヨーロッパ各国の書籍を巡る競争政策は国ごとに異なるものの、EUは2002年に加盟国内の書籍の再販制度導入を薦める報告書を採択した。文化政策上の観点から独立系の出版社や書店を保護するために必要であるというのがその理由である。したがって2004年にEUの一員となったばかりのポーランドの定価販売制度をめぐる議論もこの文脈上にあると考えられる。
 しかし、再販制度の導入とはやはり時代を逆行する施策ではないか、という意見もある。とりわけ、わずか20年前に社会主義を放棄したばかりのポーランドにとって統制経済に対するアレルギーは未だに根強い。再販制度はこれまで幾度か議論の俎上に上がったことがあるが、そのたびごとに反対が強く、現在にいたるまで実現されることはなかった。

 書籍との偶然の出会いの場としての書店

 「独立系書店の保護の為にも定価販売制度は必要です」。ブックフェア会場でインタビューに応じてくれた出版評論家のゴビウツキさんはそう語ってくれた。彼によれば、業界内部に定価販売制度をもとめる声がしだいに強くなり、ようやく足並みが揃いつつある、数年後には立法化するというのだ。それほどまでに地域の書店の廃業は深刻であるという。
 オンライン書店や通販の売上は伸張しているが、だからといって読者にとって書店が不要というわけではない。多様な書籍に対する読者のアクセスを可能とするためには、やはり目的買いのみに適したオンライン書店だけでは限界がある。立ち寄った書店の店頭で、はじめて見かける書籍と偶然出会う環境が確保されてはじめて、書籍への幅広いアクセスが保障されるのである。
 ただし、地方の独立系書店の淘汰と再販制度の因果関係については冷静な考察が必要とされる。独立系書店の廃業は再販制度の有無とは関係なく、むしろインターネットの発達などによる市場環境の変化が大きいのではないかという議論もある。実際、再販制度のある日本でも地域の独立系書店の廃業は進んでいる。地方の老舗書店に以前のような勢いはなく、主要な地方都市を訪れても大都市に本拠地を置くナショナルチェーンの看板が目立つのは、私たちにもすでに見慣れた光景となっている。
 民主社会が成立して20年目を迎えるポーランドでは、書籍に関するどのような競争秩序をつくりだそうとしているのだろうか。数年後に制定されるといわれている定価販売制度が、独立系書店の未来を、ひいては読者の書籍へのアクセスのありようを左右する重要な法律となることだけは確かだ。
(東京大学出版会)

参考文献
Biblioteka Analiz BOOK MARKET IN POLAND(2007)
梶善登「諸外国の書籍再販制度」(「レファレンス」no.699, 2009.4)
その他、ポーランドの出版統計についてはポーランド出版学会のウェブサイト(http://www.instytutksiazki.pl/en,ik,site,41,86.php)、ハリー・ポッターの販売協定についてはOffice of Competition and Consumer Protectionのウェブサイト(http://www.uokik.gov.pl/en/)などを参照。

※本論文はWEB掲載にあたり下記の箇所を訂正いたしました。
「出版文化国際交流会の専門家派遣プログラム」→「国際交流基金・出版文化国際交流会の専門家派遣プログラム」
「貴重な場を提供してくださった出版文化国際交流会」→「貴重な場を提供してくださった国際交流基金・出版文化国際交流会」



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