自然科学学術成果の
日本語出版と英文発信


井口正人



 筆者は東北大学准教授の西村太志さんと共著で、2006年に京都大学学術出版会から『日本の火山性地震と微動』という書籍を出版することができた。これは科学研究費の出版助成をいただいて実現できたことであり、以前から火山性地震と微動に関して系統的にまとめた書籍の必要性を感じていた我々にとってはありがたいことであった。
 火山学は学際的な分野であり、地球物理学、地質学、地球化学、岩石学など様々な分野の研究を統合してまとめ上げられるべきものであるが、あえて火山性地震と微動にこだわったのは、日本ではこれまでに火山噴火により火山災害がしばしば発生してきたが、現状の火山活動を評価し、今後の噴火活動を予測する上で、約一世紀にわたる観測の歴史をもつ火山性地震の観測は最も有効な手法であり、火山災害の防止という観点から社会との関わりが深いからである。本稿では、『日本の火山性地震と微動』の日本語出版にいたった経緯と、それを世界に発信するための英文化の必要性について述べたい。
 磐梯山が山体崩壊を起こし、鹿児島測候所に地震計が設置された1888年以降、日本では多くの火山性地震・微動の観測が継続的になされてきた。この地震計は、後に20世紀に発生した我が国の最大規模の噴火である1914年桜島大正噴火に伴う地震を観測することになる。また、最初に火山性地震が観測により捉えられたのは1910年の有珠山の噴火のことで、東京帝国大学の大森房吉教授が有珠山西湖畔に設置した地震計により多数の火山性地震や微動が観測された。戦後になり、桜島や霧島などに火山観測所が整備され、特に、昭和49年に始まった火山噴火予知計画により、我が国の火山観測網は急速に整備されることとなった。火山性地震の震源は多点観測網により精密に震源決定されるようになり、震源のメカニズムもモーメント・テンソルやシングルフォースを用いて力学的に記述されるようになった。少しずつではあるが、その本質が次第に明らかにされつつある。火山性地震・微動の発生には流体の動きが関与している。最も典型的なものは、爆発的噴火に伴って発生する爆発地震である。火山体に蓄積されたマグマの噴火開始直前から放出され終わるまでの過程は、マグマ本体やマグマから分離した火山ガスの動きにより説明できるようになった。噴火に至らなくても、地下での火山性流体の振動は様々な種類の火山性地震・微動を発生させることもわかってきた。筆者と西村太志准教授は、こうした最近の火山性地震と微動の研究のあらましをなるべく系統立てて、『日本の火山性地震と微動』という書籍にまとめた。本書は第一章で全体を概観した上で、第二章では観測システム、第三章で火山性地震と微動の分類、第四章で発生領域、第五章で発生機構、第六章で地震活動と火山活動について述べ、第七章では日本の主な火山ごとに火山性地震と微動の特徴をまとめている。
 本書を執筆するにいたった理由は、火山性地震についての適当な日本語の教科書がないことによる。火山学についての優れた教科書がないわけではないが、多くは寄せ集めの百科事典である。百科事典的にまとめることが悪いことではない。火山学は学際的な分野であり、地球物理学、地質学、地球化学、岩石学など様々な分野の研究を統合してまとめ上げられるべきものだからである。しかし、火山学自体が発展過程にある学問分野であり、現在は、統合的にまとめられる段階にない。そうであれば、火山学の一分野について部分的であってもより系統的にまとめる必要があるのではないかと考えた。
 火山性地震・微動は、その観測手法により日本の多くの火山において静穏期を含めた火山活動が最も多く記録されているからであり、その前兆的活動や噴火に伴う地震の研究は、火山噴火予測による防災面への応用から火山爆発のダイナミクスといった火山学の学術的問題など、幅広い課題に応えうる可能性を持つ。取りまとめられた教科書に頼り切る研究がいいはずはないが、少なくとも大学の学部や大学院の修士課程の学生に対しては取り付きやすい道を開くべきである。また、火山学は防災をとおして社会とのかかわりの深い学問分野である。火山噴火は時に、周辺に居住する住民に深刻な影響を与える。2000年の有珠山噴火では周辺の住民約1万6000人が避難し、同年6月に始まった三宅島噴火では9月以降、3500人の島民が東京都本土へ避難を余儀なくされた。このような避難の判断をするのは国や自治体の防災関係者であり、学識経験者がそのような防災の場に積極的にかかわっていく必要は言うまでもないが、防災担当者も必要な基礎知識は身につけるべきである。そのような場合に、現在、進行している火山活動を評価するのに最も有効的に活用されてきた火山性地震と微動について日本語で記述したガイドブックが必要ではないかと考えた。こうして出版したのが、上記の書籍である。
 しかし、そのような必要性は日本に限らない。129の活火山を有するインドネシアではより深刻である。1815年のスンバワ島のタンボラ火山の噴火では約10万人が犠牲となった事例がある。最近では、2007年10月にジャワ島の東部にあるケルート火山で火山性地震の活動が高まった。ケルート火山は山頂に火口湖をもち、噴火によって度々泥流が発生し、多大な火山災害が発生している。1919年の噴火では、泥流の発生により5000人が犠牲となっている。現在、インドネシアの活火山の監視を行っている火山地質災害軽減センター(CVGHM)の元になる組織の発足のきっかけともなった噴火である。2007年以前では1990年にも噴火が発生している。水蒸気爆発から始まり、巨大な噴煙柱を形成するプリニー式噴火へと成長していった。この噴火では放出された火山灰が家屋に積もり、その多くが倒壊した。2007年の火山性地震活動の活発化は新たな噴火活動を予見させるものであり、CVGHMは火山活動のレベルを最終的には最高レベルの4に上げ、火山周辺の住民約11万人を避難させた。それは、1990年と同様に巨大な噴煙柱を形成するプリニー式噴火の発生を予測していたからである。ところが、実際におこったのは火口湖の中での溶岩ドームの形成であった。阿蘇山中岳あるいは草津白根山湯釜の火口湖の中に突如として雲仙普賢岳の溶岩ドームが現れたと思えばよい。火山活動の評価と予測という観点から見れば、予測が外れたことになり、2007年噴火の場合、溶岩ドーム形成という噴出物の放出が火口内にとどまる現象であったため、災害には結びつかず幸運なことであったが、逆に、予測よりも災害に直結する事象が起こることもありうることを意味する。火山では似たような噴火事象が繰り返し起こることはよくあることではあるが、一方で、直近の噴火事象が次の噴火の予測に役立たない場合があることは、玄武岩質溶岩の流出が予測されたにもかかわらず山頂のカルデラ陥没と多量の火山ガス放出に至った2000年の三宅島噴火が語るとおりである。2007年のケルート火山の噴火も、直近の噴火事象から予測されるシナリオどおりには自然は動かなかった。
 CVGHMには京都大学に国費留学生や国際協力機構の研修生として滞在した研究者が多数おり、火山活動の監視業務や評価の中核をなしている。インドネシア側機関が多数の留学生、研究生を日本に送り込んでくるのは、日本には火山噴火とそれに関連する火山性地震・微動の観測の歴史と経験があるからであり、それを自国の火山防災に生かしたいという願いからである。そのようなときに『日本の火山性地震と微動』に書かれている内容は、留学生への教育にも役立つはずであるが、日本語で書かれているために教科書となりえない。インドネシアからの留学生が来ても、教育を行おうにも適当な教科書がないのが実情である。
 もともと本書は、題名に「日本の」が付されているように、諸外国に対して日本の火山性地震の研究を紹介するのが1つの目的であった。世界には約千の活火山があるといわれているが、わが国にはその約1割にあたる108の火山が活火山に指定されており、日本はまぎれもなく火山国である。噴火活動が活発であるし、レベルの高い研究もなされてきたことは諸外国の研究者にも広く知られているが、多くの文献は日本語で書かれたものであり、研究の実態は霧の中に隠れて見えないような状態ではないかと思われる。当然、日本における火山研究を見えるようにするためには英文で執筆する必要がある。しかし、これらの先行研究は過去に日本語で書かれたものであり、依然として霧の中に隠れていて見えない。それらに光をあてるためには、過去の研究についても触れたこの『日本の火山性地震と微動』を英文化し、諸外国から目に見える形にするのが早道である。
 日本の火山研究者は、インドネシア以外にも、東南アジア、中南米、アフリカなどから多数の留学生、研修生を受け入れてきた。これらの開発途上国では火山噴火活動が活発であるだけでなく、社会的インフラの脆弱性ゆえに火山災害が拡大しやすい。留学生個人の学術的な興味の所在はさておき、日本政府と留学生を送りこんでくる相手国政府の目的は、火山災害の防止により、安心・安全な社会を築くことである。社会基盤の整備により自然災害に対して強い社会をつくることは重要なことではあるが、それも自然災害の規模による。災害の原因となる自然現象が巨大であれば避難するしかなく、そのためには正確な予知に基づいて的確な判断を下す以外に道はない。火山噴火に関していえば、火山噴火予知を行うことである。火山性地震と微動の研究は、火山噴火予知に対して最も実績のある分野である。留学生の教育で問題となるのは、英文書においても適切な教科書がないことである。論文集であったり、偏った部分だけを取り扱ったりしていることが多いからである。また、留学期間は限られており、留学が終了して本国に帰国してからが本当の意味での研究であり、実践への応用である。これは留学生に限らず、彼らの本国において火山学を目指す学生や防災担当者にとって重大な問題である。継続的な研究を支援するにあたって英文書の教科書がないことは大きな痛手である。過去の大きな災害が発生した火山噴火は、東南アジア、中南米、アフリカと日本に集中している。先進国の中では狭い国土に火山と隣接して暮らさなければならない日本は、これらの国々と火山災害防止の問題点を共有できる唯一の国であり、世界の火山災害防止に寄与していく必要がある。災害防止には、多くのやり方があろうが、教育という観点にたてば、英文書の出版をとおして貢献していくのが最もスタンダードな道である。先に、述べたように火山学自体が発展途上にある学問分野であり、出版をとおして世界的なレベルにおいても火山学の発展の一助になることが期待されている。また、日本語と並んで英文での出版を通して、諸外国、特に、発展途上国の研究者や学生の手助けができるのは、火山学に限ったことではないと思われる。日本政府としての力強い支援が必要である。
(京都大学火山活動研究センター准教授)



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