社会の記憶を紡ぐ

―「納本」の意義 ―

田屋裕之



 「納本制度」60周年

 「納本制度」は昨年制度創設60周年を迎え、それを記念し、初めて出版物の納本を受け付けた5月25日を「納本制度の日」と定めました。
 国立国会図書館は戦後間もない昭和23年に、国立国会図書館法の成立によって設立されました。納本制度も、この法律に規定された制度ですので、国立国会図書館の歴史とともに歴史を刻んできたわけです。出版や書籍取次に携わる方をはじめ多くの方々のご協力を得て、国立国会図書館では資料の収集活動を進め、平成20年3月末現在で、約900万冊の和書、850万冊の国内刊行雑誌をはじめ、約3500万点の資料を所蔵するにいたっています。そのコレクションの根幹的な部分は、納本制度に基づいて集められています。
 収集した資料は、国民共有の文化的財産として、広く利用に供するとともに、将来に向け後の世代に我々の記憶として引き継いでいきます。制度発足60年を機会に、今回は多少エッセイ風に、納本の意義と出版界とのかかわりについて述べてみます。

 文化財の蓄積

 なぜ、わざわざ「納本」という制度を国がもつのでしょうか。国立国会図書館法には、「文化財の蓄積及びその利用に資するため」と書かれています。
 戦前にも納本はありました。それは検閲を目的としたもので、内務省に納本を行いました。その一部が国立国会図書館の源流の一つである旧帝国図書館に交付され、昭和前期以前の当館のコレクションの基礎となっています。今日の納本制度は、目的も意義付けも戦前とは全く変わり、「文化財の蓄積及びその利用」、つまり出版物を文化財として保存し、現在の、また将来の利用者に使ってもらうことをめざすものになりました。
 出版物にはさまざまのことが記されます。空想や想像力によって生み出される世界もあるでしょう。日々の出来事や心の移ろいを綴った個人の記録もあります。社会的な活動からは、社会や組織の活動の記録が編まれます。調査や学術研究からは、調査研究の報告書や研究成果の論文等の学術文献が生み出されます。これらすべては、知的活動の所産、広く言えば我々共有の日本の文化財です。

 社会に共有の記憶

 どのような社会でも、過去の記録や過去から受け継いだ知識の集積があります。ミクロ的には個人の心のありようや家族の流儀に始まり、マクロ的には社会の構成、生産や流通の仕組みまで、人間の営みは社会が産み出し、受け継いでいる総体としての膨大な記憶と知識の集積と、その流通に依拠しています。しかし、物理的媒体である紙は、容易に散逸してしまいます。さらに、一箇所に集積しても、ばらばらに無秩序に集められた記録と知識の断片の集合は、それだけでは社会に共有の記憶として生きてこないのです。
 納本制度は、そのままにしておくと散逸し、また無秩序に放置されてしまう、言わば「表現された国民の記憶と知識」を網羅的に集め、組織し、活用できるように整える仕組みだと考えられます。

 出版と図書館

 当然ですが、出版物なくして今日の図書館の存在はありません。出版物は、文化財としての側面と商品としての2つの面をもって、社会に流通してゆきます。ある出版物は永く商品価値を持ち続けますが、あるものは短期間で市場から消えてゆきます。商品価値の有無に関わらず、商品として流通した後でも、文化財としての価値は残ります。文化的所産を集め、保存し、組織化して、現在及び将来の利用に備える仕組みは、図書館の役割です。
 学術出版は、一般的に言って比較的永い命をもっていますが、数年も経たずに市場から姿を消す本も多くあります。雑誌、新聞などは、もっと短命です。しかし、社会的記憶装置としての図書館は、市場で入手できなくなっても、利用を保証することで、出版物の文化的な価値を守ります。

 デジタルネットワークの時代に

 国立国会図書館の納本ですが、本や雑誌以外に、楽譜、地図、映画フィルム(納入免除となっている)、レコードなどは以前からその対象となっていました。現在はCDやCD-ROM、ビデオやDVD、パッケージの電子ゲームなども納本対象です。さらに、今、ネットワーク系の電子情報をどのように収集するかが課題となっています。電子ネットワーク時代の納本には、多くの課題があります。しかし、「表現された国民の記憶と知識」として、制度的な収集に取り組んでいかなければなりません。
 また、図書館の膨大な資料はデジタル化して保存することが可能になっています。国立国会図書館でも電子図書館事業を進めており、また、資料保存のためのデジタル化を検討しています。一部の方からは、納本したらすぐにデジタル化され、利用者に提供される。そんなことになったら、出版界は成り立っていかないという懸念があるようです。しかし、国立国会図書館では、出版物を、まだ商品プロセスにある最中に、デジタル化して第三者に提供し、出版社や著者の生活を脅かすことなど全く考えていません。
 しかし、文化財として適切な保存と利用のための手立てを講じることは必要です。出版を支えるための著者の創作活動には、過去からの記憶と知識の集積が、創造性の背景にあります。また、豊かな文化的記憶の蓄積は、健全な読者を育てます。出版界と図書館とはもっと密接に協力していいのだろうと思います。
 納本について、学術出版に携わる方々に引き続きご協力をお願いするとともに、図書館と出版界がよりよい関係を築くことのできることを期待しています。
(国立国会図書館収集書誌部長)



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