大学図書館で電子ブックを導入した意外な理由

矢崎省三



 世の中に学識経験者なる種族がいるようで、新聞、雑誌、テレビなどに解説者として現れることがある。学識経験者がインタビューを受ける場所は決まって後ろに大きな書棚があり、ぎっしり本が並んだ前に座っている。
 学識経験者って何者だろうかと常日頃疑問に思っていたら、某市の図書館協議会委員を頼まれ、その選出枠を見たら私が学識経験者の中に入っていたので腰を抜かしそうになった。それはともかく、もし本がすべて電子ブックになってしまったら、彼らはどこでインタビューに答えるのだろうか。

 電子ブックの導入

 東京農工大学図書館では2007年度末に電子ブック(eBook)をK書店より大量に購入した。理工系大学として電子ジャーナルは常識であるが、電子ブックの導入は初めての試みで注目された。しかし、電子ブック導入は先駆的な論理的考察なんのかんのといったよくわからない高尚な理由ではなく、ある意味安易な導入だった。でも、この安易な、いい加減な動機といったものもけっこう本質を突いているような気がする。以下理由を述べてみよう。
 1つは年度末予算の調整。予算は予定してない出費などがあり、たいがい足りなくなってしまうのだが、時として余ることがある。予想していた修繕がなかったり、思いの外節約が効いたりと理由は様々だが、この年がそうだった。年度末の数百万円の資料購入はけっこう辛い。まず図書を多く注文すると一冊一冊の支払いが大変。納入された図書の整理や整備もある。なにより期限までに納本が間に合わない恐れもある、この時期職員は大忙しだ。そんな心配を一気に解決してくれたのが電子ブックだった。
 2つ目は、大学教育研究振興財団(以後振興財団)からの寄付の申し入れがあったこと。ただし、「数百万円の図書購入リストを一週間で提出できるならば」の条件が付いていた。図書館として、こうした急な事態にいつでもリスト提出できるよう準備をしておかなければならないのだがなかなか難しい。これも電子ブックをセット購入することで寄付金をいただくことができた。振興財団は、主として同窓会や教職員から寄付を集めそれを運用しているが、そこからの資金は、資料費の多くを電子ジャーナル維持費でとられてしまう現状としては、図書の購入にとてもありがたい。
 ただし、振興財団の予算執行には気をつけなければならない。同窓会などからの寄付が財源であるのに、時として配慮を欠く使い方をしてしまうことがある。たとえば図書館は資料だけで成り立っているわけではなく、椅子や机、掃除道具なども必要だ。だからといって財団の寄付金で掃除道具やベンチなどを買ってはならない。寄付をしてくれた方々が、大学の振興や教育・研究に役立つことに納得して満足してくれるよう、十分に配慮しなければならない。その点電子ブックは最適で、こうしたことが次の予算獲得に大きな力となる。
 結局この年度は、1000万円近い電子ブックを購入することができた。ちなみにタイトルは461点(和書144点、洋書317点)、フリーで読める分を含めて約4000タイトルが利用できるようになった。

 ここで電子ブック購入の理由を整理してみよう。
(1)急な予算、しかも年度末だった。
  電子ジャーナルとは違って継続性の必要がなく、買い取りである。受入、整理、登録など作業に時間をかけられない状況でのすみやかな予算執行が必要であった。
(2)2つのキャンパスで共用できる
  東京農工大学は2つのキャンパスに2つの図書館がある。電子ブックであれば、購入は1冊でよい。
(3)収納が限界に達している
(4)「教育研究振興財団」への配慮
  財団が納得できる、全学的に有効利用できるものでなければならない。財団の有力な後援者である名誉教授が家庭から利用できることを売りにする。

 電子ブック公開記念講演会

 次に、電子ブック公開を記念して講演会を開催することにし、出版社による利用説明と共に財団理事長(元学長)に記念講演をお願いすることにした。もちろん次回につなげる作戦でもある。財団事務長を通じて講師の打診をしたところ、意外なことに「おれは電子は嫌えだ」と言っていたとのことだった。よく見知っている事務長なので冗談交じりであろうとは思ったが、もし断られたらどうしようかと不安になった。それでも電話でお願いすると快く引き受けてくれ講演会を開くことができた。
 こうした企画は人が集まらなければ逆効果になってしまうが、当日は立ち見が出るほど盛況であった。参加者は教員が多く、学生はわずかに2人、まだまだ学生の関心は低いようだ。教員ではフィールドで作業や研究をしている人が何人もおり、なかなか図書館に来られない教員の電子ブックへの関心の高さを感じさせた。
 講演は、「中国の面積を表す単位が日本のどのくらいの大きさに値するかを本で調べていたが、多くの時間を費やしてしまった。電子ブックだったら検索ができてさぞかし便利だろう」といった内容で、意外なことに理事長はあんがい電子好きであることがわかった。

 電子ブックの利点・欠点

 電子ブックがどのくらい使われているか調べてみた。公開当初こそアクセスが多かったがその後あまり使われている様子がない。利用者は電子ブックだから読みたいのではなく、読みたい資料が電子ブックにあるかどうかなので、そうした意味では電子ブックの数が全然少なく、アクセスが少ないのも当然だ。関連するもう1つの原因はOPACに反映していないことで、技術的なこととはいえ全くもって残念だ。早急な改善を出版社、システム会社に望みたい。
 図書館としての電子ブックの利点をあげると
・24時間いつでも、図書館が閉館でも利用できる
・しかも家からの利用も可能(名誉教授に説得力)
・複数の図書館で1冊あればよい(同時アクセスは1)
・本の内容が検索できる
・設定で書き込みが自由にできる(どうぞ存分に落書して下さい)
・返却延滞や紛失の心配がない
・保管スペースがほとんど必要ない(業務的には、受入、整理、支払いが楽で、装備、登録の必要がない)
 一方、電子ブックの欠点やユーザーからの要望もまとめてみた。

【欠点】
・資産登録ができない(蔵書数に数えられないので、大学ランキングなどに不利)。
・1ページごとのダウンロードができない(利用者からの苦情はこれが一番多い)。
・価格が高い(紙の本の約1.5倍)
・ネットにつながったPCがないと利用できない。
・OPACで利用できない(農工大の場合)。

【電子ブックに望みたい機能】
・本をまたがる内容の横断検索
・リンク(漢字のふりがな、意味、解説等に)
・読みやすく携帯可能な端末の開発(できれば寝ながら、温泉での利用)

【出版社への要望】
・1冊ごとの価格を知りたい(Book Web Proで検索すると、個別は見積になる表示がでる)
・e-Alert Plus!の電子ブック版が欲しい

【電子ブックへの期待】(売れ筋本の電子ブックがしばらく期待できない状況で)
・絶版本の復刊
・発行部数の少ない本こそ必要(教科書、専門書、地方出版物、自費出版等々)
・これらを安価で大量に提供できるのではないか

 販売会社の話を聞くと、欧米など外国に比べ日本では本の電子化に危惧感を持っている出版社が多く、特に売れ筋本の電子ブック化が難しいらしい。そういえばソニーやパナソニックの電子書籍端末はいつの間にかなくなってしまった。これは日本の特徴で、米国などでは売れているそうだ。小林多喜二の『蟹工船』が60万部のベストセラーで驚くが、これは青空文庫で無料で読むことができる。無料なのに紙の本を買って読む人が多いのは、まだ電子ブックが知られていないのか、使いにくいのだろうか。
 図書館としては、貸出しの作業が必要なく、延滞も紛失もない。自分専用の画面からは書き込みも自由。こう考えると良いことずくめであるが、それでも「私は紙でなければ納得できない」と主張する人は必ずおり、たとえるなら「ウオッシュレットのトイレは嫌いだ。紙でなければ納得できない」というのと同じかもしれない。
 電子ブックの時代になったとき、図書館は存在できるだろうか。電子ブックの購入は図書館の首を絞めることにならないだろうか。私は楽観していないが、知へのナビゲータとしての図書館は存在感を増すだろうと思う。しかし、そんな時こそ司書の力量が試されはずだ。
 電子ブックの時代、学識経験者はどこでインタビューを受けるのだろうか。人ごとながら気になる。
(元東京農工大学図書館副TL)



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