インターネットの現在と未来、
そして学術書の現在と未来


岡本 真



 インターネットの現在――普及期の到来

 漠然とインターネットに脅威を感じたり、逆に安易に期待を抱くだけでは現状分析も将来構想もできない。そこで、まずインターネットの現在を統計というマクロ視点と、現在人気を博すサービスというミクロ視点で見てみよう。
 インターネットの利用者数は、2007年末時点で9000万人近くに、人口普及率70%近くに達した。特に指摘すべきは、利用目的と利用形態の多様化だ。インターネットの利用目的は当初はごく一部の情報発信に、次第に情報検索へと広がってきた。そして現在ではショッピングやオークション、金融取引や映像・音楽の視聴、SNSの閲覧・書き込みやオンラインゲームと多様化している。さらに携帯電話の普及によって利用形態も激変した。主流であったパソコンだけからのインターネット利用は全体の16.7%と少数派となり、逆にパソコン・携帯電話・PHS・携帯情報端末併用でのインターネット利用者が全体の68%にあたる5993万人となっている(注1)
 変化するインターネット環境の中で特に利用者の支持を集めているものがある。それが2004年前後からWeb2.0という言葉で総称された双方向性を特徴とするサービスの数々だ。その最たるものは2008年末時点で1630万人が参加するソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のmixi(注2)だろう。また参加型百科事典Wikipedia(注3)も2008年11月時点で月間2300万人もの利用者を得ている(注4)。だが、伸長著しいのはこの2つだけではない。はてなブックマーク(注5)やYahoo!知恵袋(注6)は出版産業関係者であっても知っていていい存在だろう。

 インターネットの学術利用の現在――2×4分類

 では、インターネットの研究利用の現況はどうだろうか。ここではインターネットの学術利用の現在を二つの分類をクロスさせて見ていこう。インターネットの学術利用に関しては、倉田敬子が2000年というかなり早い時期に、
(1)「特定の組織や個人のサイトから、何らかの情報を入手するために利用する場合」(情報入手型)
(2)「他の研究者たちと情報を共有するためにサイトを運用する場合」(情報共有型)
という2分類を示している(注7)。また、筆者は2006年にインターネットは研究を変えるのかと問い、以下の4分類を試みた(注8)
(1)「研究の手段を変えるのか」(研究手段)
(2)「研究の対象を変えるのか」(研究対象)
(3)「研究の過程を変えるのか」(研究過程)
(4)「研究の成果を変えるのか」(研究成果)
 この2種類の分類をクロスしたマトリックスに基づいて、インターネットの学術利用例をいくつか紹介しよう。
 情報入手の手段(1.1.)の代表例は国立情報学研究所が提供するCiNii(サイニィ(注9))だろう。約1200万件の記事を検索でき、そのうち300万件の本文が提供されている。情報共有の手段(2.1.)では、ブログに注目したい。ブログによって研究者やその予備軍としての自分の存在を可視化し、集まった注目を業績につなげていく事例も少なくない。たとえば、図書館情報学系のブログ「かたつむりは電子図書館の夢をみるか(注10)」を学部学生の頃に開設した佐藤翔はその好例だろう。
 また、加藤哲郎や二村一夫のようなベテランの研究者が研究の過程や成果にインターネットによる情報共有を活かす例もみられる(2.3./2.4.)。加藤は20世紀前半に海外で活躍した日本人の身元調査という研究過程をインターネットで公開している(注11)。二村は初期労働運動を牽引した人物に関する研究成果「高野房太郎とその時代」を百回に渡って連載している(注12)

倉田分類×岡本分類
 倉田分類   1.情報入手   2.情報共有 
 岡本分類  1.1.手段 2.1.手段
1.2.対象 2.2.対象
1.3.過程 2.3.過程
1.4.成果 2.4.2成果


 学術出版の現在――様々なネット活用事例

 学術出版の側も手をこまねいているわけではない。一部ではインターネットの活用事例が目立ちつつある。たとえば、ブログの機能を生かして情報ハブ化したサイトを構築している笠間書院(注13)はその代表的な事例だろう。
 また、前出の加藤哲郎や二村一夫のインターネットでの仕事を学術書として刊行した岩波書店のように(注14)、インターネット上の学術的営為を元に学術書を刊行する事例も散見される。学術雑誌では、ネット版論文誌『リテラシーズ(注15)』を創刊したくろしお出版や、『英語青年(注16)』という歴史ある媒体を紙版からネット版へと転換した研究社のような出版社もある。
 さらに見過ごせないのは、既存の出版社とは異なる学術出版活動の担い手の登場だ。その担い手とは、すでにみた研究者個人に加えて、大学図書館である。京都大学学術出版会の協力を得て京都大学附属図書館が実施している機関リポジトリでの既刊書の公開(再刊(注17))や、九州地区の機関リポジトリと連携した国立大学協会九州地区支部による『研究論文集(注18)』の創刊、そして慶應義塾大学図書館による「Googleブック検索」図書館プロジェクトへの参加(注19)はその代表例だろう。
 これらの事例が示すように、すべての学術出版がインターネットをただ脅威と感じているわけではない。だが、様々な実践はあるものの、全体的な方向性は定まっていない。そして、学術出版社が独占してきた学術出版機能が個人や組織へと分散する傾向も見受けられる。

 学術出版の現在と未来――編集力と媒体力の喪失

 さて、インターネットの活用を模索する学術出版だが、その本来的な役割・機能はいまどのような位置にあるだろうか。
 これまで学術出版が担保してきたのは、信頼性と信憑性であった。この担保こそが、学術出版の歴史的な役割・機能であったと考えられる。学術書が学術的な品質であるという信頼性を担保してきたのは編集力であり、学術書は不変で確固たるものであるという信憑性を担保してきたのは固定性の高い紙の媒体力だった。編集力は編集者というソフトの力に、媒体力は紙というハードの力に支えられてきた。だが、ソフトの信頼性とハードの信憑性は大きく揺らいでいる。
 信頼性の揺らぎは、出版の内部におけるモラルハザードと出版の外部における環境変化によってもたらされる。編集力の内部崩壊の最たる理由は、手抜きの横行、そしてそれを指弾しない出版産業の体質である。自分の身には覚えがなくても、形だけの素読みと原稿整理で自称「学術書」を刊行している学術出版社に心当たりがない、と言い切れる編集者はいないはずだ。そして、学術出版全体への信頼を落とす同業者に対して批判の声をあげた編集者は何人いるだろうか。
 編集環境も変化している。インターネット上の学術的コンテンツの増加は、インターネットでだれもが読める原著の増加を意味している。これはつまり、編集の仕事が可視化されるということだ。この結果、点在する論考を集積することが多い学術書は、刊行にあたって編集力がどれほど発揮されたのか、容易に把握される状態になりつつある。
 では、信憑性はどのような状況にあるだろうか。これまで紙は、圧倒的な力を誇ってきた。先行研究への言及と引用に依る学術研究にとって、紙の持つコンテンツの固定力は極めて強力であった。そして、コンテンツのデジタル化とインターネットでの公開が進む現在にあっても、紙というハードの持つ媒体力は依然、信じられている。しかし、技術の進歩は止められない。デジタル技術もインターネット技術も進歩する。信憑性を担保する紙の優位性が失われる日は遠からず訪れる。この認識を持たずに紙の力を信じることは根拠のない信仰に過ぎない。無自覚な信仰は学術出版を衰退に導くだけだろう。

 学術出版の未来――モデル転換と業界再編へ

 信頼性と信憑性が揺らぐ現在において、学術出版のこれからをどのように描き出せるだろうか。正直に言えば、筆者には確実な効果を見込める策が思い当たらない。だが、あくまで暫定的な当面の対処療法としては、従来の売り切りモデルからの転換に一つの可能性があると考える。
 これまでの学術出版は、著者と原稿の発掘から編集と刊行、そして販促と販売で完結してきた。インターネットはすでにこの一連のプロセスに入り込んでいる。インターネットでの著者発見や電子メールによる著者とのやりとりは、多くの編集者がすでに経験していることだ。また、インターネットはすでに重要な販路になっている。一部の出版社はインターネットでの出版にも取り組んでいる。
 だが、これらは従来のプロセスにインターネットを取り入れたにすぎない。出版活動にとって、インターネットの可能性は従来の行為の支援や代替にとどまるだろうか。筆者はここにインターネット活用の可能性を見出す。それが上述の売り切りモデルからの転換である。つまり、ライセンス販売の世界で行われているように、製品販売の後もサポートを継続し、保守・運用の対価を求めていくというものだ。これはサービス/ビジネスモデルの大転換を意味する。リスクは生じるが、より大きなマーケット形成のチャンスとも言える。
 とはいえ、これはあくまで対処療法に過ぎない。より踏み込んだ策が必要だ。すぐそこの未来を現在のようなエンドユーザー有償モデルでしのぐことはできる。だが、エンドユーザー有償モデルをとる限り、現代において重要性を増している検索エンジンの検索対象とはならない。つまり、それだけ潜在的・将来的な読者に到達する機会を失うことを意味している。他方、Google によるブック検索(注20)やアマゾンによる「なか見!検索(注21)」のようにエンドユーザー無償モデルをとり、進んで検索エンジンの検索対象となって読者への接触機会を拡大する大きな潮流がある。当面のその先でどちらのモデルをとるのか、あるいは第3のモデルを生み出すのか、ことは出版に限らず、様々な産業が直面している課題である。
 さて、来るべき学術出版のモデルを築くにあたって、まず何ができるだろうか。最後に問題提起をして締めくくりたい。中小出版社の多さは、日本の出版産業の特徴の一つであり、学術出版も例外ではない。中小出版社の意義を認めた上であえて言えば、そろそろ中小学術出版社の統合を考えるべきではないか。キャッチーな言い方をすれば、株式会社学術出版や株式会社大学出版を設立してはどうか、ということだ。規模の経済を有効に生かせば、現在、中小学術出版社に欠けているマーケティングやリサーチ、そしてインターネットの担当者を雇用できる可能性が高まる。インターネットの現在と未来、そして学術出版の現在と未来をクロスして分析し、学術出版の未来を育んでいくためには、これは1つの有力な選択肢にならないだろうか。経験豊富な出版産業関係者には失笑されるかもしれないが、議論の一つの糸口としてでも受け止めていただくよう願っている。
(ACADEMIC RESOURCE GUIDE)

■注
(1)以上の数値はすべて『平成20年版情報通信白書』による。
  http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h20/ [→本文へ戻る]
(2)http://mixi.jp/ [→本文へ戻る]
(3)http://ja.wikipedia.org/ [→本文へ戻る]
(4)http://www.netratings.co.jp/New_news/News12242008.htm [→本文へ戻る]
(5)http://b.hatena.ne.jp/ [→本文へ戻る]
(6)http://chiebukuro.yahoo.co.jp/ [→本文へ戻る]
(7)『電子メディアは研究を変えるのか』勁草書房(2000) [→本文へ戻る]
(8)『これからホームページをつくる研究者のために』築地書館(2006) [→本文へ戻る]
(9)http://ci.nii.ac.jp/ [→本文へ戻る]
(10)http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/ [→本文へ戻る]
(11)http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Homef.html [→本文へ戻る]
(12)http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/tfcontents.html [→本文へ戻る]
(13)http://kasamashoin.jp/ [→本文へ戻る]
(14)加藤哲郎『ワイマール期ベルリンの日本人』(2008)、
   二村一夫『労働は神聖なり、結合は勢力なり』(2008) [→本文へ戻る]
(15)http://literacies.9640.jp/ [→本文へ戻る]
(16)http://www.kenkyusha.co.jp/modules/03_webeigo/ [→本文へ戻る]
(17)http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/49762
  (一連の経緯は、鈴木哲也「知のコミュニケーションの核としての共同」(『大学出版』74, 2008)に詳しい)http://www.ajup- net.com/web_ajup/074/74T4.shtml [→本文へ戻る]
(18)http://wwwsoc.nii.ac.jp/ecrk/ [→本文へ戻る]
(19)http://www.lib.keio.ac.jp/info/index.php#130 [→本文へ戻る]
(20)http://books.google.co.jp/ [→本文へ戻る]
(21)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/15749671 [→本文へ戻る]




INDEX  |  HOME