韓国・国立忠北大学出版部
25周年記念大会に参加して


竹中英俊



 2008年10月21日、曇天のもと、韓国仁川国際空港に降り立った。韓国の中西部、忠清北道の清州市にある国立忠北大学で開かれるシンポジウムに参加するためである。高速バスを待つ間に空港駅の周辺を歩き、韓国の土を初めて踏みしめた。人工的な植相ではあるが、紅葉を始めた落葉樹は日本の関東地方で見るのとそうは変わらない。私は異国の地に来たのだろうか。むしろ日本語と韓国語という言語距離の近系の地に立ったのだという意識が強い。
 シンポジウムの正式タイトルは「国立忠北大学出版部創立25周年記念国際学術大会:アジアにおける疎通(コミュニケーション)と出版の共同構築」である。本シンポジウムに参加するきっかけは公共哲学共働研究所の金泰昌(キム・テチャン)所長からの要請であった。金先生は、1980年代に同大学の行政学院の院長を勤めた経歴をもち、また東大出版会刊のシリーズ『公共哲学』全20巻の編者である。
 関西国際空港から金先生の同道であった。仁川空港でバスに乗り中央高速道路を走る。漢江(ハンガン)を挟んでソウル中心部を東に見て一路3時間。色づいたプラタナスの並木が6キロも続く道を経て清州高速バスターミナルに着く。タクシーで忠北大学へ。9階建ての本部棟前で降りる。忠北大学出版部の部長であるキム・ヨンファン教授に迎えられ、7階にある大学出版部の事務所に案内される。広めの研究室2部屋分が充てられている。
 挨拶もそこそこに渡されたのは、シンポジウムのペーパーをまとめた書籍である。菊判並製228頁、本文2色刷り、表紙には韓国語のタイトルと著者名があり、地球の衛星写真がカラーで印刷されて、その背景に漢字で「疎通」と「出版」の文字が薄く印刷され、その定価は1万2000ウォン(約1000円)。キム教授は「15分前に届いたばかりです。」と満面の笑み。
 感激する。私が日本語のペーパーをファクスで送ったのが10月12日日曜日。金泰昌先生が主宰した3日間の公共哲学京都フォーラムの最中に新宿南口のホテルで仕上げたものである。それが、まさか、書籍となっているとは思わなかった。それも、日本語と韓国語とのふたつの言語で…。国際会議を開くときのゲストを迎える作法を教えられた。
 10月22日、小雨のなか、学内の会議場でシンポジウムが開かれた。リム・ドンチョル総長の挨拶に始まり、韓国・日本・中国・フィリピンの4カ国12人の発表がなされた。その詳細は前記の書籍『疎通と出版』にゆだねる。ここでは、国立忠北大学出版部について紹介しておきたい。同出版部の部長であるキム・ヨンファン教授には、シンポジウムの前日に大学から車で15分ほどの龍潭洞にあるお住まいのマンションに招かれて交歓した。教授は倫理学とくに仏教倫理を専攻している。教授はシンポジウムの全体をコーディネートするとともに、ご自身“Public Communication of Han and Publication”という題で発表された。
 《国立忠北大学出版部は1983年に設立された。学内向けの教科書の出版を中心として活動をしてきたが、2000年その発行元の名称を「図書出版開新」に改めた。組織活動名としては国立忠北大学出版部を維持しつつ発行元としての名を変えたのは、21世紀における大学の公共的な出版物の価値を位置付けし直すという意図による。大学の公共的出版物の新しい価値は公共哲学によって打ち立てられるのが望ましいと考える。》
 キム教授の説明を踏まえて『疎通と出版』を改めてみるとハングルで「開新名品叢書」とシリーズ名がある。発行元の名称「開新」にはどのような意味が込められているのか。「開新」は、同大学の所在地の名称(開新洞)である。と同時に、その言葉には日本では「創発」と訳されることもある“emergence”の意味も込めている。そしてまた、同大学の総長ほか関係者からいただいた名刺の校章には“novaaperio”(ノヴァ=新+アペリオ=開く)とある。忠北大学と忠北大学出版部=図書出版開新との並々ならぬ意欲を感じた。
 私自身も「出版と公共性」という題で発表した。大学がuniversityからtransversityへと不可逆的な転換が進んでいる中で、大学出版部もまた“press”(「出版」)から“publishing”(「開版」)への転換を果敢に進めていかなければならないという趣旨で、《新しい出版の概念と構造》の創出を訴えた。この「転換」と「創出」はまさに「開新」を意味するものであり、忠北大学出版部=図書出版開新の心意気と試みに対して、同志的連帯感を抱いた。
 忠北大学がある清州市は、シンポジウムがある3日前、ペ・ヨンジュンの韓国文化勲章の授章式があって、日本からチャーター便で450人が来たと報道された地である。授賞式会場の近くには、世界最初の金属活字本『直指心體要節』が高麗時代末期の1377年に印刷された興徳寺がある。グーテンベルグ以前である。シンポジウムでも西原大学のチェ・モンキ博士が『直指心體要節』を取り上げて東アジア世界のコミュニケーションの広がりについて発表した。この興徳寺跡に「清州古印刷博物館」がある。前年2007年10月にマインツのグーテンベルグ印刷博物館を訪れた私としては無理をしてでも訪れたい場所である。
 シンポジウムの翌日23日、帰国を控えて午前8時半には清州高速バスターミナルから出発しなければならない。早朝、私のペーパーを翻訳し通訳を務めていただいた作家のチャン・パルヒョン博士(古代日韓関係史に関する研究論文以外に大作『小説武寧王』がある)にお願いして、清州古印刷博物館に行ってもらった。開館前であり館内には入れず、受付でパンフレットをいただいたのみ。正面には「直指」を花で飾っている。背景には小高い裏山。館の入り口の右壁には、『直指心體要節』の逆字を、そして壁側には印字を配している。東アジアにおける印刷文化の光芒を天籟のように感じた。
 忠北大学出版部=図書出版開新と東京大学出版会との関係で言えば、古田元夫著『ベトナムの世界史』(1992年)の韓国語訳が9月に刊行され、その直後の訪問となった。シンポジウムの会場で古田先生の教え子に当たり同書を訳された朴洪英(パク・ホンヨン)准教授から挨拶され、予期していなかっただけに、1冊の本が結ぶ人と人とのつながりに思いをいたし大変嬉しく思った。
 このように忠北大学出版部25周年記念大会は、伝統を踏まえた「開新」の息吹あふれる地での「アジアにおける疎通と出版の共同構築」の饗宴となった。
(東京大学出版会)



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