出版―国際文化交流の「かたち」

高須奈緒美



 JOMON、メトロ、レヴィ=ストロース

 1998年9月、パリ15区。開館から1年を経た国際交流基金パリ日本文化会館は、「縄文展」に訪れた人々でごった返していた。文化庁共催、国宝2件及び重要文化財25件を含むこの展覧会は、縄文のヴィーナスや火焔式土器など、誰もが一度は教科書で目にしたことのある縄文文化の粋を集めた日本でも例を見ない大型展。構造主義の泰斗、クロード・レヴィ=ストロースがカタログに序文を寄せたこともあり、2ヶ月で3万489人という異例の観客を動員、会期中のカタログ販売も3000冊を超えた。展覧会初日、大型ポスターがところ狭しと貼られたメトロの駅に降り立ったレヴィ=ストロースは、90歳を迎えて杖こそ手にしているものの、矍鑠たる足取りで1時間にわたってひとつひとつの作品を見て回り、帰り際の「カタログ、あとでお届けしましょうか」との問いににっこり笑って「とんでもない、一刻も早く手に取って、ゆっくり読みたいから自分で持ち帰りますよ」と長身の痩躯を翻し、再びメトロの駅に消えていった。

 カタログに見る国際文化交流という営み

 あの日の人類学者の飾らない後姿を思い出すたび、私は出版というものに凝縮された国際文化交流の「知のかたち」を考える。レヴィ=ストロースは1977年、国際交流基金の招きで初めて日本を訪れた。以来30年以上の長きにわたり、日本を愛する碩学として文化を論じ、『国際交流』97号(基金30周年特集「地球的多文化共生の時代を迎えて」)にも文化交流の原点に触れる書簡を寄せた(注)。縄文展については当初原稿執筆を躊躇していたが、出展予定作品の顔ぶれを見て、「これほどの作品群であれば」と受けてくれた経緯がある。同じカタログに論文を執筆した国立東洋言語文化研究所(INALCO)のマセ、ベルチエ両教授は元基金フェローで、フランスを代表する日本研究者。INALCOは優れた研究者を多数輩出し、業績の出版も行う高等教育機関である。その日本研究を長年主導したジャン・ジャック・オリガスは1988年に国際交流奨励賞を受賞したが、今回日本側の論文や作品解説を翻訳したのは、彼が手塩にかけて育て上げた日本研究者たちであった。カタログ編集や広報資料作成にあたったスタッフも、彼から日本語と日本の何たるかを学んだ愛弟子たちである。かくしてJOMONをめぐるさまざまな知的興奮は結集し、思考のプロセスは記憶として固定され、「手に取ることのできる」出版物に結晶した。縄文展のカタログは、その年の「最も優れた出版デザイン」のひとつにも選ばれている。

 国際文化交流の力学―出版の位置づけと役割

 出版は、ひとの感動と知的興奮の記憶を書物という形で固定し、書物は流通と再版により、広く長くその価値を共有する。「国際文化交流は人に始まり、人に終わる」という松本重治の言葉は、国際交流というものがすぐれて人間の感動の共有に向けた力学であることを示しているが、その活動の相互連関性の中での出版というものについて、改めて考えてみたいと思う。

 出会いの場をつくる―図書展と図書館

 ひとはまず、日本と出会うだろう。多くの人々がまとまって日本と出会う場としては展覧会・コンサート・映画祭などがあるが、これらと並び、国際図書展や図書館も重要な出会いの場である。図書展は出版関係者のみならず、政府要人から一般市民まで多いときは200万人以上が訪れる巨大文化行事であり、日本に関する図書を展示して講演会やワークショップなどの催しを行えば、きわめて効率的に「日本との出会いの場」を創出できる。最近の日本語教育や若者文化への関心の高まりを受け、催し物の幅を広げればさらなる関心層の拡大が期待できよう。国際交流基金は1987年から本格的に国際図書展への参入を開始し、以来21年間に出版文化国際交流会とともに参加した国際図書展の数は49カ国、386件にのぼるが、日本がテーマ国となった2008年のベオグラード国際図書展の場合、文化大臣、教育大臣、旧王族など要人臨席のもと、テレビも入って大々的にオープンし、会期中15万人が訪れた。日本は約700冊の図書展示に加え、日本の作家や現地日本研究者による講演会、織物展、京都や建築のパネル展示、漫画ワークショップなどを会場で催し、市内では日本映画を上映し、総合的文化紹介が展開された。
 これに対し、図書館は「撤収のない図書展」ともいうべきものである。国内3ヵ所、海外18ヵ所に展開する国際交流基金図書館は、現地語を含む数千から数万冊の蔵書により、恒常的な日本とのふれあいの場を市民に提供している。基金図書館の顕著な特徴は、国際文化交流を目的とする専門図書館だということであり、日本研究、日本文化の情報発信及び翻訳、日本語教育、国際交流論などを切り口とした蔵書充実を図ることで、研究者から漫画ファンに至るまで、日本に関心を持つ多くの人々のアクセスを可能にしている。

 ひとを育て、ものを生み出す―翻訳と出版

 展覧会もコンサートも図書展も、一度きりではいずれ忘れられてしまう。いったん日本と出会ったひとが、より深くより長く日本と付き合っていくためには、あの手この手で愛情をつなぎとめなくてはいけない。それには魅力的な催しの継続とともに、日本を発信する「ひと」・「もの」の質と量の充実が不可欠であり、出版はその中核をなすと言っても過言ではない。国際交流基金はこれまでに、少数言語を含む49カ国語、のべ1890冊の日本関連図書の出版・翻訳を支援してきた。その範囲は古典から現代文学、歴史や民俗学、政治・経済から哲学・宗教、日本文化論から児童書まで人文・社会科学を網羅している。外国人研究者による日本文化論をアジアや東欧の日本研究者が現地語に翻訳するケースも見られ、翻訳のみならず研究者による書き下ろしも500冊を超える。これらは英・仏・独・西・露・中・葡・アラビア語などの広域的汎用性の高い言語に加え、韓国語やインドネシア語、デンマーク語など北欧諸言語やチェコ語など東欧スラブ系言語、トルコ語、ペルシャ語、ヘブライ語、イタリア語といった、話者の数は比較的少ないものの長年にわたって日本研究が育まれてきた国・地域の言葉でも成果がまとめられており、各国で広く一般市民に受け容れられている。
 これらの書物は、日本研究・日本語教育分野での長年の人材育成の果実である。来日した基金フェローは1972年以来のべ6000人を数え、その研究分野も人文・社会科学のあらゆる分野に及び、各国で交流の芽は着実に育っている。これらフェローは全員が、今後も国際交流の種を蒔き、出版物を生み出し続ける可能性を持つ、いわば「宝の山」である。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のエズラ・ボーゲル、韓国初代文化大臣になった『「縮み」志向の日本人』の李御寧、『代議士の誕生』のジェラルド・カーティス、ペルー大統領になったアレハンドロ・トレドなど、日本研究の中核的人材や国の指導者となったフェローの例も枚挙にいとまがない。
 優れた人が育ち、良き書物を生み出す上で、日本語教師の育成と日本語教材の制作・出版も大きな原動力となっている。これまでに基金は100カ国を超える国からのべ9600人余の日本語教師を日本に招へいして研修を実施した。また基金自主制作教材は、14カ国語に訳された『基礎日本語学習辞典』をはじめ、約60タイトル500点あまり。さらに、各国の事情に合わせた教材制作プロジェクトに対して行った助成は52カ国338作品、うち21カ国70作品が日本に招へいした日本語教育フェローとの協働の成果である。ここにも私たちは、ひとのつながりが紡ぎだす「知のかたち」を見る。

 ひとをつなぎ創造の仕掛けをつくる―専門家交流と情報発信

 レヴィ=ストロースのみならず、国際交流基金は、オクタビオ・パス、ガルシア・マルケス、V・S・ナイポール(以上、基金が招へいした後にノーベル文学賞を受賞)、カズオ・イシグロ、ウンベルト・エーコ、ウォレ・ショインカなど数多くの作家を招へいし、日本の文学者や研究者、出版人との交流を深めてきた。また国際図書展への専門家派遣、日欧の大学出版関係者相互交流、海外の日本関連図書を所蔵する図書館司書研修などにより、出版交流専門家のネットワーク形成を促進している。なかでも図書展への派遣は、専門職能集団が同じ屋根の下で数日間にわたって時間と空間を共有し、「顔の見える」形での流通経路の拡大を行うことができるので、出版国際交流の促進に大きな効果を持つ。
 人物交流とならび出版交流の息の長い仕掛けづくりにおいて、とりわけ重要なのが出版最新情報の発信であろう。国際交流基金は一九九三年から季刊Japanese Book News(JBN)を発行し、日本の新刊書の書誌情報や出版界の最新情報、テーマ別特集などを英文で提供している。日本における新刊情報を、包括的に英文で紹介し続ける雑誌は他に例がなく、出版関係者のみならず、文学者、研究者、図書館司書などにも活用されている。ちなみに過去に発行された全57号の中で紹介された作品のうち、少なくとも99作品がのべ28言語に翻訳され、256の作品として出版されたことが確認されている。
 日本研究に関しては、1974年から『日本研究基本書目』An Introductory Bibliography for Japanese Studiesにより、日本の人文・社会科学分野の学界の動向と研究成果を、主要な文献とともに英文で紹介してきた(1987年から東方学会に委託)。「社会科学編」「人文科学編」を毎年交互に発行して海外の日本研究機関や図書館に配布してきたが、2007年、第15巻を以て休刊となった。30年以上にわたるシリーズは日本研究の軌跡としても貴重な資料であり、新しいメディア状況も踏まえた今後の発展的継承が望まれる。

 おわりに

 ひとが出会い、感動や知的興奮を共有し、それぞれの異文化理解を多層的に積み重ね、出版というかたちに結晶させた瞬間から、書物はひとの手を離れ、自らの言語によって語りだす。版を重ね、国境をはるかに越え、数千数万単位で世界をひとりあるきする書物は、数え切れない人々が手にとって擦り切れるまで、その輝きを失うことはないだろう。良き種は、豊かな肥料ときれいな水を与えられ、明るい日差しを一身に浴び、いつくしみ育まれて大輪の花となる。寒い国でも暑い国でも、肥沃な土地であろうとやせた土地であろうと、長くいつくしみ育てる喜びと、花の美しさへの驚きは変わらない。国際交流を生業とする者として、その美しい「かたち」にあくまで誠実であり続けたいと思う。
(国際交流基金芸術交流部映像出版課課長)

 なお、本稿で述べられた意見・主張は筆者の個人的見解であることをここにお断りする。

(注)「数多くの視点を提供しつつ、基金はあたかも『私たち(日本)はこういうものです。あなた方は自分で判断し、自分の意見を形成してください』というがごとき感嘆に値する誠実さを示します。ここに、基金は異なる文化間の対話を成立させる唯一の健全な基礎がなんであるかを明らかにしているのです」(2002年6月10日付「国際交流基金への書簡」、「国際交流」第97号に収録)。[→本文へ戻る]

 文中敬称略。



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