初版本、ナンセンスなフェティシズム

夏目漱石著『吾輩ハ猫デアル』

酒井道夫



 漱石と橋口五葉が、協働して装丁を手掛けたと言う『吾輩ハ猫デアル』(上・中・下編、大倉書店・服部書店刊、1905・06・07)は、これをきっかけに近代日本の洋式装丁が、すっかり面目を改めたと言われるほどのものだが、これを手に取って見るとその不思議なたたずまいに困惑する。あらかじめ本文用紙の小口が裁断されていない「アンカット製本」なのはともかくとして、小口側の束が表紙からはみ出しているのが何とも奇妙。
 本来、アンカットは仮綴じ本として提供される。これを入手した者は味読吟味のうえで装丁の趣向を練り、製本師に依頼して自分好みの革装丁に仕立てる、そのための半製品。だからこれを一度繙読すると崩れて、束が小口側にはみ出してしまう。ひょっとして漱石は、そんな状態で未製本のまま書架に置かれてあった素敵な本をイメージし、自らの初出版をこれに似せて刊行したかったのではないだろうか? 割合最近このことに気付いたが、さてこれが正解かどうか、その証拠をあげるのは容易でない。
 『猫』はこれで仕上げだと考えたのだろう。その証拠に天金をほどこしている。ここにペーパーナイフを差し込んだら天金は容易に剥落してしまう筈。しかもナイフを逆手に構えないといけないが、どうやって読んだの? 表紙は突き付けで背表紙と繋げるセミハードカバー。本製本としてはあまりにも奇妙な処理だ。羽織袴に山高帽、編上げ靴で闊歩した文明開化の風情と相通ずるものがあるが、これも漱石一流の諧謔か?
 私は以前、この大倉書店版『猫』の三冊本を拝借していて、これまたもう自分のものだと思い込みたい心情に陥るのを恐れてお返ししたのだが、その頃「復刻版」なるものが世に出現。続いて版元が破綻したため、ゾッキ化して古書市場に溢れた。今手元にはこの偽復刻本(正しくは「影印本」!)が2セットある。これはこれで製本方式を知るのに便利だが、本物とは似ても似つかぬ「トンデモ本」。橋口装丁の持つ馥郁たる質感が全く伝わってこない。
(武蔵野美術大学)



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