書籍出版と出版マーケティング

― 製品論の地平から ―

木下 修



 なぜ出版マーケティングか――製品戦略が問われる理由

 1990年代に入ると、日本の出版産業の内部および外部でかつて経験したことがない異変が次々起きはじめた。本の売上高と売上部数の長期的低迷・下降もその一つである。その要因は複合的であるが、大きな要因の一つとして本のパワー不足、商品力の低下、すなわち著者の創造性の陳腐化と編集者の企画貧困化・マンネリ化が指摘されている。それゆえ出版企画、新刊・重版戦略、出版マーケティングがこれまで以上に問われるようになった。
 企画編集会議は、どのような新刊書を開発・出版するかを決定する出版社の最重要会議の一つだが、これが儀式化、形式化していてはならない。著者の実力、作品の市場性、アピールポイント、原価計算、損益分岐点、重版可能性等が検討され、確実に利益を出すのか、本当に出版に値するものかなどが厳しく問われる。編集部が出した企画案に対して、営業部が販売データを示し却下を迫ったり、営業部員自らが企画立案したりするようにもなった。
 製品開発、既存製品、ブランド戦略をどうするか、読者ニーズをどう開発するか、流通・販売は取次・書店経路依存でいいのか、よりいいチャネルがないのか、見計らい配本・返品自由・返品相殺決済がセットの新刊マーケティングは合理的・効率的か、高水準の新刊マーケティングはどうすれば可能かなど、本をめぐる状況は課題山積である。

 マーケティングミックスと「4P」の内容

 マーケティングミックス(marketing mix)とは企業が標的市場(target market)でマーケティング目標を達成するために用いるマーケティングツールの組合せのことである。E・J・マッカーシーがマーケティングミックスの「4P」、すなわち製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)について自書“Basic Marketing”で提唱したのが1960年であった。
 P・コトラーは「4P」について次のように説明する(注1)。Productは製品の多様性、品質、デザイン、特徴、ブランド名、パッケージング、サイズ、サービス、保証、返品の10をいい、Priceは標準価格、割引、アロウワンス、支払期限、信用取引条件の5つ、Placeはチャネル、流通範囲、品揃え、立地、在庫、輸送の6つ、そしてPromotionは販売促進、広告、セールスフォース、パブリックリレーションズ、ダイレクトマーケティングの5つだとする。それぞれの「P」が多様な内容をもつことを抑えておこう。次にマーケティングミックス戦略のフローは、提供物ミックスとして企業が製品、サービス、価格を準備し、プロモーションミックスは、販売促進、広告、セールスフォース、パブリックリレーションズ、ダイレクトマーケティング、テレマーケティング、インターネットを活用して、流通チャネルを通じて標的顧客に到達するのだ、とする。
 なおマーケティングミックスは「4P」だけでは十分ではないとする論も多く、コトラーは「4P」プラス「2P」、すなわちPolitics、Public Relationsを付け加える(注2)

 Product 10項目からみた書籍の現状

 コトラーのProduct 10項目の一つ一つから、日本の書籍の製品としての現状を検討していこう。
 製品の多様性(product variety)
 新刊書籍発行点数が約8万点、注文対応可能なアイテム数が約80万点あるように、自動車やパソコンなどと比べると本には製品の多様性がある。一年中、シーズンに関係なく次々と新製品を生産・流通・販売していること、多品種、少量生産、低開発コスト、低価格などが本の特色としてあげられよう。出版点数が多いことは言論・表現の自由が保障されていることの証左でもあるが、新製品の成功率、ヒット率はどうか。カニバリゼーション、多産多死は回避すべきであろう。多様性だけでなく、個性化、品質の高さも要請されている。
 品質(quality)
 学術出版は品質がいのちである。これは、著者のコンテンツの水準と編集者の編集力で決まってくる。企画力の低下、商業主義のいきすぎ、投機的出版、粗製乱造は困りものである(注3)。校閲部の水準も本の品質に関わってくる。箕輪成男は、かつて日本の学術出版について克明な調査分析をし、そして学者の質(能力)については厳しい批判をしているが、これは現在でも傾聴に値するものだ(注4)。箕輪の分析は1970年代末、80年代初の状況についてである。その後、博士も学位論文も大量生産され、広義の学術論文、学術書が確実に増加しているが、質の面はどうだろうか。大学出版部は学術情報流通の品質の面でどのような役割を担えるのだろうか。
 デザイン(design)
 現在はプロのデザイナーにブックカバー、見返し、扉のデザインだけでなく、本文、目次、写真、図表、参考文献、注などのレイアウトなどすべてを委嘱することがある。カバーデザイン、本文組版様式は本のコンテンツとうまく適合していることが望ましい。
 特徴(features)
 特徴とは製品の特色、個性、差別化のことであり、本では品質と特徴が大変重要である。ここでも、著者の実力と編集者の編集力が問われる。著者、テーマ、内容、アピールポイント、切り口、類書との差別化などが問われよう。タイトル、目次、見出し、序文などで本の特徴を簡潔にセンスよく表現することが大事である。
 ブランド名(brand name)
 ブランド名は社名、製品名、サービス名など他と識別する言語的・視覚的コードであり、著者、タイトル、シリーズ、出版社などの名称がそれである。書籍出版社としてのブランド力をもつのが岩波書店、東京大学出版会、有斐閣などである。新書では岩波新書、中公新書、講談社現代新書のブランド名が高かった。ベストセラーが出るとそれにあやかった書名の新刊が次々発行されるが、それは消費者にとってタイトルや著者名が購入動機の大きな要因となることを物語っている。
 パッケージング(packaging)
 書籍の場合は函、ブックカバー、帯である。家電製品・AV・ゲーム機などは使用時に包装が取り外されてしまうが、本とカバーは一体化している。本という知的な内容とうまく一体化したパッケージデザインが望ましい。
 サイズ(sizes)
 出版物の場合はA判、B判、菊判など、印刷用紙の全紙のとり方をどう選ぶかで本のサイズが決まる。変形判もある。本のサイズは小型化の傾向があり、A5判やB5判が減り、B6判、四六判、新書が増えている。
 サービス(services)
 書籍におけるサービスとして、CD-ROMなどの付録・景品がある。百科事典全巻購入者に書棚をサービスした時代もあった。
 保証(warranties)
 これは品質、サービスの問題と関連してくる。パソコン、家電などが故障した場合は購入後一定期間内ならば無料修理・交換等をしてくれる。本の場合、落丁本・乱丁本は交換する。ところで本のコンテンツの欠陥、すなわち初版本や重版本に致命的な誤植・誤謬・誤訳があった場合の購入者への保証がない。辞典、事典、そして医学・薬学、数学、物理、化学の本、統計集などの誤謬、誤植、誤訳は致命的だ。告知ルール、訂正ルールをつくる必要があるのではなかろうか。
 返品(returns)
 出版産業は戦前から書店―取次―出版社間で新刊書に返品制を採用しており、これによって取引の円滑化、店頭陳列効果、市場活性化を図ってきた。昨年の書籍部数返品率は42.6%と高く、新刊返品率も推計60%を超え、書籍流通の非効率性が指摘されている。
 さてProduct 10項目の中で、本において特に重要なのが品質、特徴であり、ブランド名、デザインであろう。競争優位に立つ書籍出版社は特色あるパワーブランド、ロングセラーをもち、製品開発力とマーケティング力によってヒット商品を次々と出していく。

 大学出版部の強み、特色

 大学出版部は、限られた読者を対象にした小さな市場で少数の競争者を相手に出版活動をしている。しかも商業出版社と同じ土俵で競争しているのだ。
 大学出版部の競争優位、コアコンピタンスは何か。大学出版部でなければならない出版物があるのか。パワーブランド、ナンバーワンブランド、オンリーワンブランドはあるのか。ユニークブランド、ニッチブランドはあるのか。商業出版社に対して競争優位に立てるものがあるのか。大学出版部をSWOT分析していくと、強み・弱み、機会・危機として何があるのかが見えてくる。

1 大学ブランドを背景にした情報収集力・企画立案力
 「東京大学」「京都大学」「慶應義塾大学」「早稲田大学」等は認知度、信頼性において威力のあるプレステージブランドである。それを背景にして、大学出版部は画期的かつ壮大な企画をたて、学者を動員できる。また、その大学の教授、准教授、講師と容易にコミュニケーションをとり、専門領域の注目すべきテーマと研究者、学問動向、最前線情報、世界の動向をキャッチでき、企画のヒントを得ることができる。後者はすべての大学出版部において可能だ。

2 大学のテキスト、その新定番、ロングセラーの出版
 大学のテキストはほぼ毎年確実に増刷できるシーズン製品であり、それぞれの大学出版部の大事な経営資源である。東京大学出版会の場合、教養学部「基礎演習」のテキスト『知の技法』は、1994年が初版で04年第37刷に達した。教養課程用の『哲学 原典資料集』は、1993年初版、08年14刷と手堅い。ちなみに東京電機大学出版局は高等学校用の文部科学省検定済教科書、文部科学省著作教科書を1963年から発行しており、大学出版部では唯一のケースである。なおテキスト、教科書を大学出版部は独占的に出版できない。商業出版社が競争者である。

3 学術書の出版、定番・新定番、ロングセラーの出版
 定評のある学術書は確実に売れかつロングセラーとなろう。丸山眞男『日本政治思想史研究』東京大学出版会は1952年が初版、83年新装版第1刷、08年第14刷である。ちなみに丸山眞男『現代政治の思想と行動』(未来社、上巻・1956年、下巻・57年初版)は、64年に合本・増補版第1刷、05年に158刷に達した。これは、複写紙型が擦り減り、印刷にかすれが出るようになったために06年新組・オフセット印刷の新装版発行、08年4刷を行い、累計20万部を超えたという。学術書も大学出版部vs.商業出版社の構図がある。

4 大学通信教育学部のテキストの受託制作
 慶應義塾大学、早稲田大学、中央大学、法政大学、玉川大学、武蔵野美術大学、明星大学等には通信教育学部がある。そのテキストの受託制作を大学出版部が一手独占可能なことが強みでもある。

5 受託制作一般
 大学/学部/研究所/広報課、各種学会等の委託出版物(書籍、紀要、機関誌、会報、年報、大学案内、パンフレット、卒業記念アルバム、その他)。これらは大学出版部vs.印刷所、編集プロダクション、商業出版社の構図がある。

6 助成金出版
 文部科学省、大学、各種団体等の助成金・支援金による小部数発行の学術書の出版。学術性が高い本の出版は意義があるが、損益分岐点を必ず突破することが出版の条件であろう(注5)

7 一般図書、学術書、教養書、翻訳もの、叢書等の出版
 大学出版部ならではの、評価される本、ロングセラーを出版することが大事である(注6)。この部門は競争が激しい。名古屋大学出版会はこの部門で出版賞を数多く得ている。東海大学出版会は『日本産魚類大図鑑』等特色ある図鑑類の出版でも知られている。翻訳ものでは麗澤大学出版部のアマルティア・セン『経済学の再興』、法政大学出版部のヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』、京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」などが高く評価されている。
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 大学出版部は、これらの強み、特色をもつことが特徴といえよう。大学出版部は、商業出版社と厳しい競合関係にあるが、ロングセラーとなりうる学術書、一般図書、確実に重版できるテキストを出版していくことが基本であろう。なお出版社は、大手・中小零細、老舗・新規参入者、そして経営危機の社も、そして大学出版部も、資本金、事業規模、社の歴史に関係なく、自らの企画力、マーケティング力でヒット商品を出し、ハイリターンを得る可能性をいつも秘めているという特色をもつのだ。
(杏林大学総合政策学部客員教授)

■注
(1)フィリップ・コトラー『コトラーのマーケティング・マネジメント ミレニアム版(第10版)』恩蔵直人監修・月谷真紀訳、ピアソン・エデュケーション、2001年、20―22頁。[→本文へ戻る]
(2)フィリップ・コトラー『コトラーのマーケティング・コンセプト』恩蔵直人監訳・大川修二訳、東洋経済新報社、2003年、143頁。[→本文へ戻る]
(3)佐野眞一「出版社の趨勢が映すたしなみのなさ」『中央公論』2008年3月号28―29頁。ある倒産出版社の出版物の質の問題について厳しく批判している。[→本文へ戻る]
(4)学術出版については箕輪成男『情報としての出版』弓立社、1982年に詳細な調査、克明な分析がある。箕輪成男『消費としての出版』1983年、200―206頁参照。大学教授の質の問題については『消費としての出版』234―241頁。[→本文へ戻る]
(5)G・R・ホウズ『大学出版部』箕輪成男訳、東京大学出版会、1969年、234頁。[→本文へ戻る]
(6)恩蔵直人『競争優位のブランド戦略』有斐閣、1995年、113頁。有斐閣の売上は「6割以上」が再版・重版によるという。ロングセラー、新定番をもつことが書籍出版社ではいかに大事であるかをそれは物語る。[→本文へ戻る]



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