出版人と三国外交

― ポスト京都の日韓中三カ国セミナー ―

斎藤 至



 2008年5月、韓国・光州市で開催された第12回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー(以下三カ国セミナー)は、国際出版連合(IPA)ソウル大会に引き続き開催という状況で行われた。またホスト国・韓国大学出版部協会の強い意向で5月15〜17日、開催時期を前倒しにした日程となった。IPAソウル大会と時期を併せた開催については、IPA未加盟国である中国大学出版社協会代表団の参加について多少の懸念があったものの、結果として日本側を上回る参加を得た。なお会期直前に中国・四川省を襲った大地震によって、当初22名の参加者が予定されていたが、7名が欠席を余儀なくされた。記して安寧を祈りたい。
 筆者は入社して以来の数年で、第10回(日本・京都)、第11回(中国・杭州)、第12回(韓国・光州)の全てに参加する機会に恵まれた。貴船の清流のもと、署名旗を掲げた京都の夏は、今も記憶に新しい。本稿では新たな転換期を迎える本セミナーの3カ年をささやかながら俯瞰しつつ、外交の観点からその意味を見つめ直したい。

 起点としての「京都調印書」

 1983年以来開催されてきた日・韓二カ国セミナー15年間の歴史を経て、三カ国セミナーは、1997年第1回の長野・諏訪湖開催を皮切りに、以後開催地を日本・中国・韓国の順で持ち回りにし、今年まで12年間開催してきた。この間、SARS(サーズ)問題をひとつの契機として中国側協会との連絡に支障が生じ、関係正常化のために調整を要したが(注1)、2006年の京都セミナーにおいて「日・韓・中大学出版部協会協力調印書」が取り交わされ、「実質的かつ具体的な交流」への新たな一歩が踏み出されることになった。
 これ以降、セミナーの主題は相互の出版事情の紹介を超え出て、具体化の様相を帯びはじめた。共通主題を列記するに留めるが、昨年の杭州セミナーでは、「設置形態」「財務管理」という経営管理上のイシューが取り上げられ、制度上の差違やその比較に注目が集まった。また今年の光州セミナーでは「出版戦略」「著作権管理」が取り上げられた。折しも日本では3月12日に大学図書館と大学出版部協会とのシンポジウムが開かれ、学術情報リポジトリへの取り組みが紹介された。続く4月下旬の出版学会でも、長尾真国立国会図書館長を招いて「デジタル時代の図書館と出版」と題するパネル・ディスカッションが催された。今回のセミナーにおける日本側の報告者である鈴木哲也(京都大学学術出版会)、植村八潮(東京電機大学出版局)の両氏は、それぞれの場で議論を牽引した当事者でもあり、この間の日本国内の議論を反映した密度の高い論攷を提示された。このほか韓国側から著作権に関する詳細な比較類型が報告されたことは、今後の版権交渉が生じた際の資料として参照に値する。
 このようにみると、「京都調印書」の周辺を巡る3カ年は、日韓が中国の出版人をどのように巻き込んで交流を継続・発展させてゆくか、という、ある種の「二極論」的構図として読むことができる(注2)。しかし、こうした解釈は日韓の側からみた一面性をはらんでいることに注意したい。むしろ、ある意味でセミナーにやや距離を取ったようにもみられるこの間の中国の姿勢が、意図せずしてセミナーの意義と内容に再考を迫り、実質的な深化を生むに到ったともいえるのではないだろうか(注3)。以下では、やや立ち入った検討を加えてみたい。

 国際交流をめぐる障壁と課題

 当初、日・韓二カ国の大学出版部協会の国際交流を目的として始まった合同セミナーに中国大学出版社協会が新たに加わり、現在の形に到っていることは既述のとおりである。回を重ねるごとに、主に日韓の間でより実利的な成果が得られるセミナーとしての位置付けが求められるようになってきた。そのような背景から韓国側の起草した協力書案をもとに検討を重ね、2年間の協議を経て、最終的に中国を加え、日韓中三カ国間での調印に到ったのである。中国との関係正常化を語るうえでは、少なくともこの点を踏まえたい。
 ひるがえって、国際交流としての三カ国セミナーへの関心度を測る時、セミナーの実益・実効性をどう位置付けるか、という点は無視できない重要な要素であるといえる。近隣諸外国の例に学び、その知的資産を自国に紹介できること、および、自国で高評を得た研究を諸外国へ発信できることはそれ自体、大きな実益といえよう。三カ国セミナーでは近年、各国の大学出版部の発行図書を展示し、版権交渉の契機としてきた。それにもかかわらず、契約が成立した実績は過去にひとつもなかった。また、展示図書は新しい企画を構想する際の参考になるはずだが、意見交換は充分になされてこなかった。
 セミナーに「参加することに意義がある」と訴えるだけでは、単なる同義反復の域を出ない。更に言えば、年1回、各国の代表者が集まり、主題に沿った報告を発表し合い、質疑を経て問題点を検証し合うだけでも充分とは言えまい。次に繋がる契機をつかみ取ってゆかなければ、率直に言って「有意義であった、また来年」の繰り返しに陥りかねないのではないだろうか。
 ひとつは、セミナーの進行形式に課題がある。現状では、報告資料は事前に三カ国に翻訳され配布されており、当日は三カ国の報告者が各20分程度に要約して講演し、質疑応答は十数分、逐次通訳を採用している。一部の参加者からは、口頭報告の時間を短縮し、同時通訳を採用して、質疑応答をより充実させてはどうかという意見も聞かれた。
 実際、言語の壁はけっして低くない。かつて日韓中三国は「漢字文化圏」という共通性のもとに連帯感を養ってきたと言われる。しかし近年の英語一極化、そしてこれと並行する自国語尊重という多極化は、連帯感の保持を難しくしている。残念と言うべきか、英語は必ずしも共通言語となっていない。韓国語とて、昨今の韓流ブームでにわかに注目を集めているものの、(ハングル尊重政策による)漢字を廃した看板や標識の列に、目の眩まない者はいないはずだ。筆者は逆立ちをしながら歩くようなもどかしさを憶えずにはいられなかった。

 外交交渉としての三カ国セミナー

 ここで冒頭に触れた「外交」という観点に立ち返りたい。外交とは国家同士の威信を賭けた、いささか大上段に構えた表現ではある。しかし実際のところ、三カ国セミナーは出版人一人ひとりが対面し合う生々しい外交の場にほかならない(注4)。このような認識に立ち、以下にいくつかの提案をおこないたい。
 今回、筆者の所属する京都大学学術出版会では、セミナーの際展示した図書が韓国の大学出版部から翻訳の申し出を受け、目下、鋭意交渉を進めている。また中国の大学出版社からは、自社の新企画のために、小会が刊行するシリーズの一部を参照したいという申し出もあった。実は、今回小会の展示図書には、中国語・韓国語の梗概ならびに推薦文を添えて臨んだのである。むろん、準備が充分なものであったかは、はなはだ心もとないし、成約の可能性も不透明である。しかし言語の壁は中韓側にとっても同じだからこそ、こうした僅かな工夫が関心を惹き、交渉のチャンスを拡げたことは確かであろう。
 また、個別の取り組みと併せて、十分な数の優れた同時通訳者を配置することも喫緊の急務である。とりわけ版権取引等でより実質的な交渉が進めば、多言語状況下の議論を円滑にし、支援する環境が求められる。優秀な通訳者を賄うだけの費用をどう捻出するか、課題は多い。しかし卓越した通訳者はしばしば「外交団の一員」「小さな外交官」ともみなされる(注5)。本セミナーの趣旨を的確に理解した通訳の助けを得ることができれば、代表団は議論そのものに力を集中することができるのではないだろうか。
 こうして考えると、実のところ本質的な問題は、多くの出版部が労を厭わず参加しないこと、三カ国セミナーの価値を理解しないことにあるのではないだろうか。更にできうるならばセミナーの場を単なる国際交流の場に留めるのみならず、自社の実益に結びつける位の意欲をもって参加するような認識を持っていないことにあるのではないだろうか。

 「ポスト京都」の大学出版交流

 「ポスト京都」の布石たる今回のセミナーは、日本側協会に多くの課題を突きつけた。実のところ、こうした国際交流は、一般の商業出版社においても進んでいる。折幸いにも、本セミナー直前の3月末に「東アジア出版人会議」が京都で催され、日本大学出版部協会からも関係者が同席する機会に恵まれた。そこでは、岩波書店やみすず書房の関係者を中心に《東アジア百冊の本》の選書が進められているときく。
 出版に限らず、東アジア共通の知的資産を構築する動きは少なくない。しかし同時に重要なのは、過去に目を向けるのみならず、目まぐるしく変容する同時代にあって先見性ある学術研究を積極的に紹介し合うことだろう。12(日韓セミナーを含めると27)年という交流の蓄積を考えると、大学出版部こそがそれを担うにふさわしい。
 来年、第13回を迎える三カ国セミナーは、日本がホスト国として準備に当たらなければならない。すでに東京国際ブックフェアに合わせた開催時期やセミナー主題など、韓中の協会からは多くの宿題を与えられている。今までより一層成果の多い日本開催となるよう計画を立て、実行できるよういち早く対応せねばならない。例年に増し、真価の問われる1年になることを覚悟したい。
(国際部会副部会長、京都大学学術出版会)

■注
(1)2004年、北京において調整会議がもたれた。この間の詳細な経緯は、後藤健介[2006]「慶州、京都、そして杭州へ――新しいステップへと移行する「日・韓・中大学出版部セミナー」」『大学出版』67号を参照。[→本文へ戻る]
(2)三浦義博は、近未来の10年を展望して、三カ国の二極構造化と実質的交流の深化を指摘している。三浦義博[2006]「三カ国セミナー10年間の回顧と展望」『大学出版』69号を参照。[→本文へ戻る]
(3)後藤前掲論文、13頁。[→本文へ戻る]
(4)通訳者個々人へのインタビューを通じて、国家外交の一端を明らかにし、公式文書に依らない「口承史学(オーラル・ヒストリー)」を構成した労作に、鳥飼玖美子[2007]『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房)を挙げたい。語られた歴史の妥当性を検討する余地は残るが、通訳者の眼から見た外交の内幕が垣間見られ、我々が国際交流を育む際のインスピレーションを得るところは少なくない。[→本文へ戻る]
(5)鳥飼前掲書、260頁。[→本文へ戻る]



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