アメリカ型大学出版モデルのゆくえ

―「デジタル時代における大学の学術情報発信」(イサカ報告)をめぐって ―

山本 俊明



 アメリカ型大学出版モデルの終焉?

 アメリカの大学出版部は、日本をはじめとする世界の大学に、母体となる研究教育機関に基盤をおいた学術出版の規範となるモデルを提供してきた。
 その特徴は、第一に、大学の生み出す研究成果を質の高い学術情報として公開することである。特にアメリカの大学出版部は、人文科学、社会科学を中心としたモノグラフの出版社である。第二は大学の一部局として出版活動により、学術情報を普及する機能を担うことである。そのために学術書の編集・制作・販売・経理の専門の担当者を育成してきた。第三に「一方では学問の目的に献身的に密着すると同時に、他方で書籍出版の経営技術を完全にマスターして経営」(ホウズ『大学出版部』)するというビジネスモデルを打ち立てたことである。学術的価値は高いが市場における需要の低いモノグラフの出版と普及を継続的に行うためには、大学などからの補助金が不可欠である。しかし漫然と補助金によって損失補填をするというのではなく、コスト管理を厳密に行い、損失を予定し、「最高の能率化と計画損失」(箕輪成男『歴史としての出版』)によって運営するという高度な経営技術を発達させてきた。厳しいコスト管理と学術情報の厳しい吟味、また読者の少ないモノグラフを適切に普及させるためのマーケティング技術のせめぎあいの中から、優れた出版物が生み出され、普及され、大学と大学出版部の名声と評価を高めてきたのである。
 このようなアメリカ型大学出版モデルがいま存立の根拠から問題とされている。
 2007年7月に、アメリカの高等教育における情報技術の導入を推進しているNPO法人イサカが発表した「デジタル時代における大学の学術情報発信――イサカ報告(1)」(以下「報告」)では、大学において急激に進展するデジタル化に対応できていない大学出版部の将来像を次のように描く。「いくつかの大学は、(既存の出版部とは別に)新しい出版部を開設する。またいくつかは出版部を閉鎖するか、その事業を教育や研究業績の評価に特化した機関に発展させる」。さらに「大学の使命からかけ離れた出版部の余命は短い。問題は出版部が完全に機能不全に陥っていないことである。時がくれば壊れる。しかしそのときでは遅すぎる」「まもなくその機能を終える。過去にしがみついているからである」などの辛らつな意見が紹介されている。「報告」は、88の大学出版部を対象にしたアンケート調査と、出版部長(26人)、学長・学務担当副学長(14人)、図書館員(12人)、その他(5人)に対する聞き取り調査を基にしているが、大学管理者たちから、いわば大学の内部から大学出版部に対する厳しい評価が与えられているのである。
 これまでも大学出版部が一角を占める学術情報流通システム(生産・流通・保存・利用)が機能しなくなっていることに関する分析や提言が数多く発表されてきている(2)。それに対して、「報告」は、「デジタル時代に大学が学術情報の発信機能を再活性化すること」に焦点を合わせている。そのため「報告」にはデジタル環境に対応すれば、学術情報流通システムの危機がすべて解決するというような技術決定論の性格がいささか強く出ているが、他の文献で補いながら批判的に検討し、3つの特徴から見たアメリカ型大学出版モデルのゆくえを考えてみたい。

 学術情報とは何か?

 「報告」が第一に問題とするのは、デジタル時代に学術情報の形態が多様になったことである。これまで大学出版部が取り扱ってきた学術情報は、モノグラフであり、ジャーナルであった。しかし研究者は、プレプリントや研究報告書、学会の予稿集も学術情報として発信するようになった。またブログなどこれまで非公式とされてきた情報も学術情報と捉え、研究対象とするようになっている(3)。学術情報の「公式・非公式の区分がぼやけてきた」(p.4)のである。さらに、イメージ、音声、音楽、映像などが学術情報として取り上げられるようになった。文字以前の文化を研究対象とする人類学ではイメージが重要な研究対象となる。これらは印刷メディアでは、困難であるかあるいは不可能であったがデジタル化されオンライン化されることによって、学術資料のオープンな利用が可能になったのである。しかし学術情報の多様性はインターネットの登場した時点で指摘されていたことで、ようやく実現されるようになったということに過ぎない。
 第二の学術情報の問題は、ジャーナルである。「ほとんどの読者はジャーナルの文献にオンラインでアクセスするほうを好んでいる」(p.8)、「ジャーナルは、学術出版の中で最初にオンライン化したもので、〈学術情報の〉中心となる形態である」(p.19)。ジャーナルはいち早く電子化に対応し、研究者にどこからでもアクセスできる研究環境を提供してきた。しかし、大学出版部の多くはモノグラフ出版に重点を置き、ジャーナルを発行する出版部は「報告」によれば、18となっている(筆者の手元にあるAAUPの2004−5年の名簿では、調査対象の88のうち33出版部、385タイトルであるが、10タイトル以上は、11出版部にとどまる)。
 問題は、経済学分野の英語ジャーナルではここ40年に発行点数が10倍に急増したことに見られるように(p.9 表1)、研究者の研究成果公開の方法が変化してきたということである。注2に挙げた文献でトムソンは「研究成果の公開の形態は固定的なものではない、最近の10年で重要な変化があった……査読ジャーナルが多くの学問分野で、自然科学分野を越えて、次第に重要なものになってきた。さらに1990年代はじめから多くのジャーナルが印刷されたものと同様、電子的に利用されるようになっている」(p.84)ことを指摘している。同じ注2の文献でダールトンは、人文科学、社会科学分野の研究成果の公開の形態を1987年、92年、98年で比較し、モノグラフが減少し査読ジャーナルが倍ぐらいになっていることを分析している(p.258 表2)。もちろんモノグラフが出版できない状況もあるわけであるが、人文科学と社会科学というこれまで大学出版部が主として関わってきた分野の研究者たちの研究成果の公開方法が変化したのである。この変化に学術情報を普及する機能を担う大学出版部がどのように対応してきたのかという問いもあるだろう。

表1 非営利出版 商業出版
1960年代 30 0
1980年代 60 60
2000年代 100 200
■■
表2 査読学術ジャーナル モノグラフ
人文学科 社会学科 人文学科 社会学科
1987 1.6 2.2 1.1 2.0
1992 1.4 1.9 1.2 2.1
1998 3.3 4.4 0.8 1.5

 表1にあるように経済学分野のジャーナルだけをみても商業出版社は着実に市場を広げてきた。査読ジャーナル全体でみても60%以上(発行元45%、学・協会の委託17%)を発行し、商業出版社は独占的に価格を決定できる立場にたった(p.9)。同様に15000タイトル発行されているといわれる査読オンライン・ジャーナルのうち、エルゼビア2000、シュプリンガー1950、ワイリー900と市場を支配してきているのである。
 第三の学術情報の問題は、より大学出版部のあり方に関わる。「報告」では大学出版部の中心的出版物であるモノグラフがデジタル時代にその使命を終えたことが、再三暗示されている。研究者は印刷メディアに依存し「モノグラフのはじめから終わりまで読むことが必要であったが、いまや全体を読むことは研究活動のほんの一部になった」(p.7)、著者に書籍になるぐらいの議論をしてモノグラフを書くべきであるといえるかも知れないが「読者はいつもはじめから終わりまで読むとは限らない」(p.24)、「研究成果は断片的であり、研究者はその成果をすぐにオンライン化したい。大学出版部は、依然としてカバーからカバーまで(モノグラフ出版)だけに取り組んでいる」(p.20)。
 「報告」の立場は明確であり、デジタル環境には、モノグラフ形式は効果的でないということである。むしろジャーナル形式が推奨されている。大学出版部が取り組んでいるモノグラフのE-Book化への取り組みにも批判的である。アメリカ学術協会協議会(ACLS)が、カリフォルニア、ハーバードなど10の大学出版部と立ち上げたHistory E-Book(2007年1月からACLS Humanities E-Book)に対しては、「中心となる文献を電子化し利用できるようにしたことに成果があったが、マルチメディアを基礎としたフォーマットを普及させることはなかった」、またアメリカ歴史学会(AHA)とコロンビア大学出版局が制作しているGutenberg-eプロジェクトに対しては「制作に費用と時間が掛かりすぎる」(p.14)としている。そこで「報告」では、モノグラフを「ジャーナル化」(journalize)することが提案されている。モノグラフをジャーナルと同じようにサイトライセンス方式で図書館に販売できるからである。また、電子化されたモノグラフを需要に応じて「章あるいはひとつの塊に切り分けて販売することもできる」と、印刷メディアではできなかった方法も提案されている。この方法もインターネットが登場したときに、インターネットが学術研究にどのような影響を及ぼすかが検討され、その時点ですでに想定されていた。
 Gutenberg-eでは博士論文を電子版モノグラフに再編成するときの困難が強調されているが(p.23)、いずれにしても、さらに情報技術が発達すれば、マルチメディアを利用したり、原資料にリンクを張るなど電子版モノグラフの制作にそれほど時間も費用も掛からなくなるだろう。そうすると、より重要な問題は、「報告」が目的としている「大学のブランドを高めるために」大学から発信する学術情報はどのようなものであるのかということになる。
 「報告」では、いくつかの大学出版部で、モノグラフが表している永続的な価値について議論が続いているという。そして大きな規模の大学出版部の部長のことばを紹介している。「モノグラフは大学出版部のこころであり魂です。本はジャーナルとは違った役割を果たします。本は、変化を生み出す作用因として、学問分野を結びつけ、いくつもの主題に橋を架けるように働きます。本は分野を越えた会話の基礎を形成しますし、より研究を活性化させる基礎でもあります」(p.24)。しかし、このことばは、前述したように、読者はモノグラフの全体を読むことはない、と簡単に否定されている。
 インターネット、デジタル時代には、だれもが容易く、データを発信できるようになった。またこれまで触れることのできなかった文献にアクセスできるようになった。「ACLS提言」では、デモクラシーの観点からいえば、だれもが自由に貴重な文献にアクセスできるという大変望ましい「文化共和国」ができることになると説明されているが(p.8, 14など)、見方を変えれば、われわれは無秩序な断片化された情報の宇宙のなかに放りだされていることなのかもしれない。そこで必要なのは断片化された情報を結びつけ、ひとつの意味システムに位置づけなおすことではないか。これを一貫した議論のまとまりとして発表するものをモノグラフと呼ぶとすれば、いま大学に求められているのは、モノグラフ形式の学術情報の発信ではないだろうか。
 「報告」は、NetLibraryなど初期のeBook発行の実験は利用者のニーズに合わず、満足できるものではなかったが、大学出版部は、この転換期を意味あるものにするために、デジタル化に対応する基盤を形成する戦略を持つべきであると提言する。しかし大学出版部は「まだ電子コンテンツ〈モノグラフ〉のビジネスモデルを持っていない」(p.24, 30)と結論づける。大学出版部が電子メディアでもモノグラフを制作できないとすれば、デジタル時代にアメリカ型大学出版モデルは終焉することを意味するのではないだろうか。

 学術情報発信の担い手はだれか?

 学術情報発信の担い手は、これまで、大学では大学出版部だけであった。しかし学術情報の多様化に応じて、情報発信の担い手も多様化した。
 第一のグループは、研究者自身である。どのくらいの数かは把握しがたいが(日本では研究者総数の1割といわれる)、かなり多くの研究者が自分で立ち上げたウェブサイトに著書、論文、研究報告などを載せている。
 第二は、図書館、情報センターなどが、大学に置かれたサーバーに学術情報を集積し、発表することである。2003年ごろから「機関リポジトリ」として制度的に学術情報を蓄積し、発信する試みが世界的に展開している。このほか「ACLS提言」に紹介されているが、大学間研究センター・コンソーシアムなどが、研究資料のデジタル化とその集積、研究成果の公開をしている。
 第三は、「報告」また「ACLS提言」が推進し、擁護しようとしているオープンアクセス方式の学術情報発信である。
 オープンアクセス方式ジャーナルは、出版費用を著者あるいは大学などが負担し、利用者は無料で学術情報にアクセスできる。研究者が、オープンアクセス方式に期待するようになった状況を次のように説明する。
 「特に専門化した分野の研究成果を出版する場合、その成果に関心を持つ人も少なく、その市場価値もかなり少ない。学術的なインパクトから言えばその価値は高い。しかもそのインパクトが明らかになるのに、その研究成果が出版されたあと、数年あるいは数十年掛かる場合もある。大学に基礎をおいた出版部あるいは非営利の学術出版社は、しばしば学問の要求と(出版の)費用回収の要求という対立する要求と格闘することに慣れている(といっても、なかなか出版に踏み切れない)。これらの出版社から出版する可能性がなくなったとすれば、研究者は出版する選択肢がより少なくなり、望んでいる出版をする機会はますます少なくなる。……研究者たちは研究成果を出版できないという問題を解決するひとつのモデルとしてオープンアクセスに期待しているように見える」(p.10)。
 大学出版部は、学術的価値は高いが需要が少ないモノグラフを出版することをめざしてきたが、現在において、研究者の期待にこたえる出版プログラムを提供できなくなっているのである。
 これらの新しい学術情報配信システムの登場は、「学術情報へのアクセスの機会を拡げ、費用を削減し、オープンに利用できる」環境をもたらしたが、同時に、「伝統的な出版機能と競合し、これまで学術出版社が依存してきた(学術情報の)選別、評価のモデル、また経済モデルを混乱させる可能性がある」(p.8)としている。「報告」では、研究者自身による研究成果公開、機関リポジトリ、オープンアクセスを同列に論じているが、筆者には特にオープンアクセスが学術情報流通システムにより大きな影響を与えているのではないかと思われる。
 第四の学術情報発信の担い手として現れたのが、エルゼヴィア、シュプリンガー、ワイリーなど大手の商業学術出版社である。これらの出版社は市場需要の乏しいモノグラフ出版は手がけず、学術ジャーナルの発行を中心としていた。それでモノグラフを出版する大学出版部と競合することなく、市場を分け合っていた。商業出版社は、その事業規模と資本力により、1990年前半には学術ジャーナルの電子化に取り組み始めた。そして利用者からコンテンツの大きな集積が求められるようになると学術書のデジタル化に取り組みはじめたのである。
 「報告」によれば、2007年ジョン・ワイリーが数百点の学術書をオンラインで発行する、エルゼヴィアが4000点、シュプリンガーが15000点を発行することを決定した。その他ランダムハウス、ハーパーコリンズもコンテンツをオンラインで販売することを、著名であるが規模の小さな大学出版部に呼びかけている。「これらの商業出版社が学術出版に進出することにより、大学を基盤に置く出版社のとてつもなく大きな競争相手があらわれた」(p.9)。学術出版市場は、もともとそれぞれの学問分野によって細分化された性質をもっているが、それにも関わらず、大手商業出版社は学術的評価の高いジャーナルの発行で成功した経験をもって、限られた需要しかないが、質の高い学術情報を集積し、自分たちのサイトの学術的価値を高めるために、学術書のオンライン配信に取り組みはじめたのである。
 事業規模において、資本力、マーケティング力において競争にもならない相手が現れたことが、この「報告」の提言の背景にある。つまり、商業出版社が資本力に物を言わせて学術コンテンツを独占することに対抗するために、大学は、学術情報発信に力を入れ、大学出版部、図書館などが共同でコンテンツを集積し、発信するプラットフォームを構築すべきであるという提言である。
 提言では、大学間を横断する規模のモデルまた共同モデルとして第三者機関によるプラットフォームをつくることが提案されている。デジタル時代には個々の大学出版部がもっている資金と資源では商業出版社に規模の上で対抗できない、だから共同が必要であるというのである。その共同の例として1990年代半ばから、ジョンズ・ホプキンズ大学出版局と図書館が共同で、大学出版部、学協会〈現在、60〉が発行する学術ジャーナル〈現在、300〉のデジタル化と発信に取り組んできたProject Museなどが、評価され、紹介されている(p.26)。しかし、出版部と図書館という学術情報をめぐって別々の文化をもった組織が共同することで、それぞれの能力を生かせるかは、この「報告」では明確ではない。むしろ、共同の組織が実現したとき、大学出版部が果たしてきた重要な機能はどうなるのかが問題である。たとえば、大学出版部は大学の一部局であるが、学術情報の選定、評価においては、大学の他の組織、部局とは独立した独自の専門性をもってきた。それゆえ、大学出版部で原稿の厳しい審査をし(採択率20%、ダールトン、前傾論文)出版したモノグラフが終身在職権を得るため、あるいは昇任のための第三者評価基準となるのである。
 大学出版部は、デジタル時代に学術情報発信の中心でなくなったことは確かだが、出版部が長年培ってきた(一朝一夕には形成できない)、質の高いの学術情報を作成し、学問的価値を評価する独自な機能が、デジタル時代にどのように継承され、発展されるかは、大学のブランドを高める学術情報発信をするためにも重要な問題である。

 学術情報の「制作と発信」の費用はだれが負担するのか?

 大学出版のビジネスモデルは、ホウズの次のようなことばに表明されている。「原価が高く、マーケットが狭いことが学術書出版経済の特色であるので、大学出版部の経済にとって補助金は重要な役割を果たしている。大学出版部は、その原価を下げ、読者を拡大し、収入を増やすすべての可能な方法を試みている」〈前掲書〉。この「補助金」獲得と「費用回収」(原価を下げ、売上を増加させる)の努力によって市場需要の少ないモノグラフを継続して刊行してきたのである。
 しかし、「報告」は、この「費用回収と補助金によるモノグラフの出版というビジネスモデル」が機能しなくなっていることを繰り返し指摘する。「大学出版部ではささやかな補助金と零細な資金に対して減量経営をする一方、費用〈原価〉の回収と学問的価値のバランスをとる厳しい取り組みをしている。しかしこのような日々は長くは続かない」(p.10)、「大学出版部は費用回収モデルに縛られている。……(デジタル化への実験)をする予算の余裕がなく、大学管理者が新しい事業に投資する意欲を持つように誘導することもできないという八方ふさがりの中にいる」(p.19)。
 これまでの大学出版部の「補助金・費用回収」モデルに対して、「報告」が提示するのが、学術情報の性質によって幅を持たせているがサイトライセンス・モデルとオープンアクセス・モデルなのである(p.10, 30)。
 サイトライセンス・モデルはこれまで大学出版部など出版社が経営の基盤としてきた定価設定方法を変えることを意味する。大学出版部では、損益分岐点を考慮しながら、原価を部数で割り、個々の出版物の定価を設定してきた。損益分岐点を下回る金額は補助金などによって補填するのである。この「費用回収・補助金」モデルによって継続した出版活動が可能であった。これに対してサイトライセンス・モデルは、コンテンツの集積されたサイトへアクセスできるライセンス料であり、多くは大学などの機関に販売する。商業出版社が多くのコンテンツの集積規模を競い合うのは、多くの利用者がアクセスする魅力あるサイトにし、ライセンス料を獲得するためである。
 一方でデジタル時代に大学が学術情報流通システムをつくり維持することには大きな資金が必要となる。特にシステム立ち上げの初期費用だけでなく、情報の訂正、最新の情報への更新、リンク切れのチェック(「報告」では繰り返し更新されるコンテンツをdynamic contentと呼ぶ)などサイトの維持には予想以上の費用が掛かるといわれている。デジタルによる学術情報流通サイト立ち上げの初期費用と維持費用は、だれが支払うのか。
 サイトライセンス料による費用回収であろうか。サイトライセンス・モデルはどのような費用回収モデルとなるのか。その場合の損益分岐点はどこにあるのか。
 あるいは、大学から、大学出版部に支給されている以上の補助金が継続して投資されるのか。「ACLS提言」が提案するように政府や財団に資金提供を呼びかけるのか。いずれの場合も、永続的な安定したシステムが構築される見通しはもてない。
 特に「報告」が提言している「市場の需要が少ない、しかし重要な学問的成果を低コストで発信する」しかも「新しい定価設定でアクセスできる」(p.30)ことを目指すとすれば、発生する費用はだれが支払うのか、この報告からは明確に見えない。
 さらに大きな問題は、オープンアクセスが学術情報流通の主流になっていくだろうということである。アメリカ大学出版部協会が2007年2月に出した「オープンアクセスに関する声明」では、オープンアクセスが、学術情報流通の機能の点では大学出版部の目指す方向と矛盾しないと表明しつつ、一方では著作権の侵害の問題と学術情報流通システム全体への影響から、現在の大学出版のビジネスモデルを破壊することへの懸念を表明している(4)。しかし大学出版のビジネスモデルにとどまらず、サイトライセンス方式などコンテンツに価格を付けて販売するビジネスモデルをも破壊するのではないか(「声明」では商業出版社に対する直接的影響を予想している)。情報に価格を付けられるかという本質的問題がそこにあるからである。
 マーク・ポスターは情報に価格を付けて販売することについて『情報様式論』の中で次のような議論をしている。
 資本主義経済の下では、資源が稀少であることにより、商品は価格を上げることができる。しかし情報はゆたかにあり、しかも安いのである。その場合、情報の流れを制限することにより、情報の価値を上げることになる。書籍を例に挙げれば、これまで書籍の生産者と消費者は生産過程で分離されてきた。消費者は複雑な生産過程を経て製造される書籍を自分で製造することなど考えなかった。「消費者は書籍の製造に対して価格を支払っていたのであって、公共図書館でただで利用できるその中の情報には支払わない。……情報はそれが出荷される『パッケージ』と分離できないものであり、この『パッケージ』に価格票がついている(5)」のである。しかし、デジタル時代に、パッケージとしての「紙の本」とコンテンツは分離してしまった。消費者は容易にコンテンツを生産、あるいは再生産することができるようになった。しかも情報の流れの制限をむしろ取り払うことをめざすオープンアクセス方式では情報としてのコンテンツが無料で配信される。情報が無料であることが常態となったときに、改めてコンテンツに価格は付けられるだろうか。

 デジタル時代に大学出版部はどのような役割を果たせるのか。かつて大学出版部が大きく飛躍した時代は、1930年代にアメリカで「知の爆発」が起きたときであった。いま「デジタル情報の爆発」の中でアメリカの大学出版部は、その基盤を揺るがされている。
 アメリカ型大学出版モデルは、ゲートキーパー機能によって選ばれた原稿を編集機能によって価値付与し、厳密な定価設定とマーケティング機能によって販売されるという厳しい出版過程を経ることにより学術的価値の高いモノグラフを発行してきた。またモノグラフを販売したときの資金回収と計画損失を見越した経営によって継続的に出版活動をしてきた。その大学出版モデルが機能しなくなったデジタル時代には、どのようにして大学のブランドを高めるような価値のある学術情報が生み出されるのか。
 「報告」は「いくつかの大学出版部は、学術情報発信に引き続きリーダーシップをとる」と予想する。しかし、無料の学術情報が大量に流通する中で、アメリカ型大学出版モデルはどこにゆくのか、行く先はまだ見えない。
(電子部会長、聖学院大学出版会)

■注
(1)Laura Brown, Rebecca Griffiths, Matthew Rascoff, University Publishing in a Digital Age: Ithaka Report, July 23, 2007, http://www.ithaka.org/strategic-services/university-publishingこの報告ではpublishingを出版という概念から拡げて「知のコミュニケーションと普及」と定義している。つまりデジタル時代のpublishingを印刷メディアによる「出版」と区別している。そこでUniversity publishingを敢えて「大学の学術情報発信」と訳した。[→本文へ戻る]
(2)文献は数多いので、下記に挙げる二点にとどめる。それぞれ重要な文献を紹介している。John B. Thompson, Books in the Digital Age: The Transformation of Academic and Higher Education Publishing in Britain and the United States, Polity, 2005, Margaret Steig Dalton,“A System Destabilized: Scholarly Books Today”Journal of Scholarly Publishing, 37-4, University of Tronto Press, 2006[→本文へ戻る]
(3)「報告」にも紹介されているアメリカ学術協会協議会の提言 Our Cultural Commonwealth: The Report of the American Council of Learned Societies Commission on Cyberinfrastructure for the Humanities and Social Sciences, 2006, pp.12など参照。以下「ACLS提言」。http://www.acls.org/cyberinfrastructure/Our Cultural Commonwealth.pdf[→本文へ戻る]
(4)AAUP Statement on Open Access, February 2007, pp.4-5.
  http://aaupnet.org/aboutup/issues/oa/statement.pdf[→本文へ戻る]
(5)Mark Poster, The Mode of Information: Poststructuralism and Social Context, Unirersity of Chicago Press, 1990, p.73(室井尚ほか『情報様式論』岩波書店、1991年、166頁参照。)[→本文へ戻る]



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