書店の新しいかたち――自然史の魅力を伝える

岡村 一美



 はじめに

 「ナチュラルヒストリーの時間」、これはより多くの人を自然史科学の世界へ誘なうことを目的にした、2007年にあたって大学出版部協会(協会)が開催するブックフェアのテーマでした。
 この企画を全国の書店で展開していく旨が会議で報告されたとき、面白そうだけれど、難かしそうだなぁというのが正直な感想でした。なぜなら、私自身がナチュラルヒストリーに興味を持っていたわけでも、よく理解していたわけでもなかったし、ともすると多くの読者にとっても、同じように馴染みが薄い分野だろうと思われたからです。しかも、協会の書籍群を思い浮かべてみても、やはり硬い本のイメージが先行し、一般の読者を誘なうにはハードルが高すぎると思ったからでした。
 どのような切り口で取り組めば、興味のなかった「私」をはじめとする多くの読者を誘なって行けるのだろう、そして楽しめるのだろうと、ぼんやり思案し続けていました。あるときから,「協会のブックフェア」という直球で提案するのではなく、もっと柔軟に肩の力を抜いて企画を展開してみたら面白く出来るのではないかと思いはじめました。つまり、「敷居は低く・間口は広く・けれど奥は深いよ」というコンセプトなら、興味のなかった私自身も勉強しながら企画を進捗させられるのではないか。
 遅まきながら開催条件などを協会の営業部会に照会しました。その結果、北海道でもこのフェアを開催して良いとの承諾が得られました。
 札幌地区でのブックフェアの取組みは、関連する書籍群を並べるだけではなく、多面的な提案を試みてみよう!
 そこで、ナチュラルヒストリーとは何かを示して興味を持ってもらう層と、すでに興味を持っている層を対象として、後者にはさらに奥深く知ってもらうことにポイントを絞り、情報や場を提供しようと思ったのでした。そのために、博物館とのコラボレーションを実現できないものか、イメージしてみました。
 博物館の標本を商業施設の中で公開展示することがあまり一般的でないことは承知していました。しかし、逆になぜ商業施設に出張展示ができないのか? そんな単純な疑問から出発してみました。セキュリティの問題や温度、光、湿度等きりがないくらい多くのハードルがありそうです。でも、展示できる標本はまったくないのか? ハードルを越える条件を見い出すことは本当に無理なのか? セキュリティの条件など、可能性を拓くためには何が必要なのか、と発想を逆転してみました。
 出来ない思考ではなく、打開策を見い出す方向で考えてみることにしました。その結果として、「情報を発信する出会いの場・器=書店」に出張展示することは、「知的な出会いを求めて書店に来る多くの人たちにとっても、書店にとっても、出版会にとっても,さらには博物館にとっても、何かを得る可能性が広がるはず!」。この発想が私にとっての原動力となったのでした。

 「ナチュラルヒストリーの時間」の取組み

 札幌地区でのブックフェアは、紀伊国屋書店札幌本店にて、7月16日から9月7日までのロングランで開催され、無事終了しました。
 この開催にあたっては、地元の担当である北海道大学出版会(北大出版会)が、紀伊国屋書店札幌本店と北海道大学総合博物館(総合博物館)に対し、企画の趣旨説明と協力要請を行いました。紀伊国屋書店にはフェア開催と併せて、商業ベースとは異なる使用目的でガラスショーケースを開放していただくことを、総合博物館には、出張展示として標本の陳列をお願いし、博物館所蔵の昆虫標本が書店内で公開展示されることになりました。実施要領は以下の通りです。

 趣旨・・・自然史科学(ナチュラルヒストリー)を広く普及すること。
 場所・・・紀伊国屋書店札幌本店1階企画コーナー(160点面陳列棚)
 期間・・・7月16日〜9月7日(協力出版社30社)
 選書・・・一般書から学術専門書まで内容・出版社ともに多岐にわたる。
 ガラスショーケース・・・同コーナーに隣接して設置。幅1420mm・高さ2460mmミリ・奥行500mmミリ。鍵付。
 標本陳列期間・・・7月16日〜8月19日(長期間の陳列による劣化を防ぐため)
 その他・・・標本陳列と併せ、ショーケース内では総合博物館企画「ファーブルに学ぶ」展開催の紹介を行う。

 総合博物館では「ファーブル昆虫記」刊行100年記念日仏共同企画として「ファーブルに学ぶ」展を、全国に先駆け7月1日から9月16日まで開催することになっていました。総合博物館は1999年に発足しており、大学博物館としての使命を担いつつ、日々多彩な取組みをしています。しかしまだまだ歴史は浅く、活動の紹介や宣伝がさらに広がりを持ってもいいのではないかと感じていました。そんな思いから、博物館と「ナチュラルヒストリーの時間」を俯瞰してみて改めて痛感したのが、もっと身近に、敷居は低く、間口は広く、そして奥深く、でした。博物館の標本を書店内に出張展示することにより、読者に予期せぬ出会いを楽しんでもらうおうという発想です。書店で「博物館の標本に出会えた→博物館の活動の一端を知ることができた→もっと知りたいと思ったら、すぐそこには書籍があり、やっぱり博物館へも行ってみよう!」という流れで、きっと読者がいつもの書店とは違った出会いを実感することが出来るはずだ! つまり,今回のブックフェアの目的である「自然史科学(ナチュラルヒストリー)を広く普及する」という趣旨に合致すると思えたのです。
 総合博物館から標本の出張展示の承諾を得て、限られたスペースでしたが、テーマを「北海道大学の昆虫」として標本を陳列公開できることになりました。これは、北大キャンパスの昆虫相を明らかにするために1年を通じて採集されたコレクションの中から夏期に採集した標本を選んだもので、札幌の中心部に位置する北大キャンパスに、いかに多くの昆虫が成息しているのかがよくわかるようになっていました。
 このようにして、札幌地区で取り組んだ「ナチュラルヒストリーの時間」は多面的な展開となり、多くの読者が書店で、博物館の標本と書籍を通してナチュラルヒストリーの世界との出会いを楽しんでもらうこととなりました。

 進化する取組み

 その後、今回の取組が進化して行く様を体験しました。
 フェア終了間際の8月下旬、札幌市博物館活動センター(札幌市博物館設立準備室)の学芸員が紀伊国屋書店での標本陳列を見ての感想「自分のところの標本もこんな形で多くの人に見てもらいたい」が飛び込んできたのです。「おぉ、企画が進化している!」と喜びつつ、そんな素直な思いを実現できないものか、どのタイミングでこの思いを受け止められるかを考えていたときに、9月上旬、札幌で「日本地質学会学術大会」が開催されることが頭をよぎり、すぐにコンタクトをとりました。「ナチュラルヒストリーの時間」の企画の趣旨と共通するものであり、札幌市博物館活動センターの存在と活動紹介を、標本の陳列を通して改めて情報を発信できるのではないかと。今一度、取組みを進捗させました。
 ショーケース内では、新第三紀中新世から現在までの札幌の地史が標本陳列と解説で紹介され、札幌市民にとって身近なテーマが、再び書店の空間から発信することとなったのです。この標本を管轄する札幌市に対し、改めて今回の一連の経過と趣旨、そして大学出版部協会の活動の説明を行いました。
 札幌市へは、日本地質学会学術大会に併せて学会関係者や市民へ博物館活動センターの存在と活動の紹介をすること、そのためのスペースとして紀伊国屋書店からガラスショーケースの提供が可能であること、以上を踏まえて出張展示の検討をしてもらうことを申し入れました。承諾後、書店と札幌市が覚書を締結。活動センター所蔵の標本が9月7日より10月下旬まで公開となりました。書店内では、企画コーナーの書籍もリニューアルして提供されました。
 大学出版部協会から発した「ナチュラルヒストリーの時間」の企画を通して、書店が単に本を販売するだけではなく、さらに多様な情報を発信する「場・器」として機能するのだということを、読者や書店人のみならず、他の機関の方々にもアピールできたのではないかと思いました。また、今回の企画を進捗するために、多くの関係者が色々な場面で新たな扉を開けてくれました。関係機関の方々と協力し合うことで一歩を踏み出せたことは、きわめて大きな意義があったと思うのです。
 そして何より1人でも多くの人たちが、標本との出会いを通して博物館へ足を向け、また書物との出会いの中で、自然史学への興味が湧いたとしたら、さらに深みへ導かれたとしたら・・うれしい!

 おわりに

 今回の取組みを通して、一番楽しませてもらったのは、興味や理解を持ち得ていなかった「私」ではなかったかと思います。楽しさ余って勇み足ともなるようなこともありましたし、各関係機関との関わりの中で諸手続きのプロセスが逆転したりと失敗もありました。その都度、冷や汗をかきながらも、この企画の趣旨説明などをさせていただくことで、なんとか一つ一つハードルを越えてきたように思います。この達成感は、営業担当の私にとって、今後の活動を展望する上で有形無形の大きな財産となりました。
 その後、「ファーブルに学ぶ」展のほかにも多彩な企画を提供している総合博物館へは多くの市民が足を運んでいるとのことですし、紀伊国屋書店札幌本店からは、本企画を通して、多くの読者を迎えられたとの報告をいただくことができました。札幌市と紀伊国屋書店札幌本店との間では、来年の3月までテーマを替えながら標本が陳列されることになっていると聞いています。
(北海道大学出版会)



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