翻訳出版担当者はかく語りき

勝 康裕



 2008年1月、ある新年会での1コマ――
A 出版不況といわれて久しいけれど、最近ますます学術書の売れ行きが悪くなっているようだね。
C ええ。一般論としてですが、翻訳書も含めて学術書に分類される本の出版点数が年々増えているというのは、そのひとつの表われかもしれません。さらにその反動は、返品率の高さに反映されてもいます。
B 私の専門というか、関心をもっている人文・歴史系の分野は、ほかの分野とくらべてもさらに状況は悪化していて、教官をはじめ、まわりもみな嘆いています。
A そうしたなか、たとえば法政大学出版局は、翻訳書だけでも年間40点ほど刊行しているね。例の叢書ウニベルは、かれこれ900点近くになるんじゃないかな。
C そうですね。日本大学出版部協会という団体に属しているなかでは、東京大学出版会のように書き下ろしの研究書に多くの比重を置いているところもありますが、法政大学出版局の場合は早い時期から、翻訳書をひとつの戦略として位置づけてきたといえると思います。
B 京都大学学術出版会、名古屋大学出版会や北海道大学出版会などの翻訳書も、よく書店で目にしますが、最近では慶應義塾大学出版会のものが増えてきているような印象を、私はもっています。
A たしかに慶應義塾大学出版会の翻訳書をみると、分野も広がりをもちはじめているように感じるね。それと、京都大学学術出版会には西洋古典思想の翻訳叢書があって、いまの古典「新訳ブーム」のなかでは地味かもしれないけれど、長く残る仕事になるんじゃないかな。
B そういえば先日、必要があって○○出版社の翻訳本を買って読んだのですが、訳文がたいへん悪く、何が書いてあるのかさっぱりわからない。訳者は内容を理解しているのだろうか、と。おまけに値段も高くて……。
A 原著者はそれなりのひとで、すぐれた学術書を著わしているし、啓蒙的な本も数多く出版しているけどね。出版社が翻訳を企画したのだろうか、それとも、だれかの持ち込みかな。そのへんのところは、普通どうなの?
C 出版社によりけりですね。ただ、翻訳書であれなんであれ、企画の持ち込み自体を嫌う出版社もあります。まあ、編集者がまともに活動していれば、その一線をどこで引くかは難しいところですが。
B 学術書などの場合、海外で売れたからといって、その本を翻訳すれば売れる、あるいは採算ベースに乗るとはかぎらないような気がします。研究者や専門家などは、必要であれば原著で読むのではないでしょうか。
C そう思います。ただ、学術啓蒙的な内容で「いけるかな」と思われる著書の場合は、大小の版元をまじえた版権取得の競争が以前より激化しているようです。そうなると、版権料だけでもバカにならないでしょうね。
B はあ。だとすると、翻訳書を出版するときのコストについては、どのように考えたらいいのでしょうか?
C その点はいくつかの側面からみる必要がありますね。まず、いまいった版権料の問題。著作権が生きているものの場合、通常は契約時に、仮の定価と出版部数にもとづき、前払い印税というのを原著出版社等に支払います。
A 訳稿が仕上がるまでには一定の時間がかかるから、先行投資みたいなものだね。でも本が刊行されるまで、その分は未回収ということになる。何点も版権を取得して原稿が滞れば、それなりにお金がかかるでしょう?
C とうぜん契約上の刊行期限もあるので、超過すると前払いの追徴金や再契約を要求されることもあります。ですから、訳稿が仕上がるまでの時間や訳稿のチェックといった編集上の手間も、コストといえるのかもしれません。
B でも重要なのは、翻訳の「質」ということではないでしょうか。読者にしてみれば中身を読むまではわからないわけですから、さっきの本などの場合は、大枚はたいて本当に損をした気分になってしまいます。
C おっしゃるとおりです。出版を急ぐから、横が縦になっていればいい、原註は割愛、多少の間違いがあっても分野に精通していないひとに翻訳を依頼してかまわないという理屈は、読者に通用しませんからね。たとえば、翻訳はその手のプロにまかせて、内容については専門家が確認するという訳者の組み合わせもありうると思います。
A 同時に重要なことは、どの本を翻訳するべきかという判断だね。この点、出版社と訳者・研究者のあいだでもっと吟味したほうがいいかもしれない。たまに、なんでこの本の翻訳がいまごろ……、といった疑問もあるよ。
B そうしたなかには、なかなか訳稿が仕上がらなくて刊行が遅れたものも多くあるのでしょうね。
C 翻訳書であれ、旬の時機を逸してしまうと売れ行きに関わるものもでてきますので、決していいことではありません。また、翻訳紹介する本の検討には慎重になるべきだというお考えに、私も賛成です。そのための努力をするのが編集者の役割ですから、これをコストと考えるか投資と考えるのか、ということになりますかね。
B いずれにしても、いろいろなコストの考え方があるんですね。ちなみに、翻訳書などの場合、出版助成や金銭的な援助みたいなものはあるのでしょうか?
A たしか、文科省の研究成果公開促進費のなかには、翻訳書に対する助成もあったね。
C 文科省は、ほかの言語で書かれたものから日本語へというより、むしろ日本語から他言語への翻訳や、最初から外国語で書かれたものの出版を奨励しているのではないでしょうか。
B そういった例はかなりあるのですか?
C 分野によるかもしれませんが、人文・歴史系はすごく少ないと思います。また、他言語への翻訳、他言語での出版の場合も、国内であれ海外であれ版元を探さなければなりません。これは、現状では狭き門といえるでしょう。
A 昨年末に完結した名古屋大学出版会の翻訳本で、文科省の助成がでているものがあるね。選定の基準はわからないけれど、あのローマ史に関する本は古典的名著で大部なものだから、助成の意義を認めたということかな。
B ほかの財団とか機関などはどうですか?
C 多くはないようですが、あります。たとえば、スペイン語からの翻訳の場合は「グラシアン基金」、また、カナダ人によるカナダに関する著作の翻訳という制約のある「カナダ出版賞」、さらに一部の大学による出版助成のなかには、翻訳書を認めているケースもあるようです。
 A それと、たしか、法政大学出版局で30巻ほど刊行が予定されている朝鮮語からの翻訳叢書、あれは日韓文化交流基金からの助成がでているよね。
B そのようですね。ただ、この叢書については、選択されている本の内容は別として、ものによっては読みづらいという話を友人から聞いたことがあります。
A 批判もあるだろうけど、ベール著作集のように、ひとりの訳者が膨大な註と解説を付して数十年がかりで完成した、知的財産と呼ぶべき訳本も刊行しているよ。
C そういえば、かつてトヨタ財団が「隣人をよく知ろう」という大規模な翻訳促進プログラムをおこなっていました。これは、東南アジアや南アジアに関して現地語で書かれた、ないしは現地で研究経験をもつひとの著作物の翻訳に対し、訳者と出版社それぞれに助成したものです。
A 大学の出版会から刊行された本はあるの?
C 何冊かはあるかもしれません。ただ、私の記憶では、多くは一般の出版社で刊行されたように思います。
B 1970年代末ごろより井村文化事業社などから刊行された東南アジアに関する翻訳本がトヨタ財団の助成を得ていたことを、何かで見たような気がします。
C 井村文化事業社(勁草書房発売)のシリーズはかなりの冊数に及びますが、文学、歴史、社会科学と分野も多岐にわたっていますし、ひとつの版元からまとめて出版されたことは、大きな意味があったと思います。
A むしろ、そういった企画に、大学の出版会が積極的に関わる必要があったように思うけどね。
B それと、現地語からの翻訳という話がでましたが、日本では英、独、仏からが圧倒的に多いので、もっとほかの言語からも必要ではないでしょうか?
C そうですね。ただ、哲学・思想などでは、イタリア語で書かれたものの翻訳が徐々に始まっているように思いますし、また歴史学では、中国語や朝鮮語、あるいはスペイン語などからのものは増えているようです。
A たとえばイスラームのことを理解するためには、やはり欧米の言語の経由ではない、アラビア語から直接翻訳されたものをもっと読んでみたいという気がするよ。
B なるほど。それぞれの国や地域の言語、そこより発信されている思想や学術的メッセージなどから、直接に何かを読み取っていくということですね。
C とくに大学の出版会は、さまざまな言語の翻訳者に対して門戸を開いていく必要がありますね。どの言語についても、すぐれた訳者は探せば見つかると思います。
B いろいろ話を聞いていると、学術書の翻訳にどのような意義や方向性がありうるのか考えてしまいます。
C たしかに、そういうご意見もあるでしょう。でも、ほかの言語で書かれた本を日本語で読めるようにする必要はあると思いますし、読者のニーズも確実にあります。
A そうはいっても、さきほど話にでたように、大学の出版会を含めて、出版社どうしの企画の競合といった問題は避けられないでしょう。その点はどう考えるの?
C もちろんそうですが、ことをあまり深刻に考える必要はないと思います。単純に、できないものは他社にまかせればいいのです。学術書ということでいえば、研究の節目で重要な位置づけがなされている書籍の一部しか紹介されていないのが、現状ではないでしょうか。
B その意味では、新しい本ばかり追わなくても、古典といわれる本も含めてこまめに企画を発掘していけば、販売面でも採算がとれるということになりますか?
C それほど楽観的には、みな考えていないでしょう。理想としては、大学の名を冠する出版社なのですから、分野に固執せずに幅広く、研究の礎となったり啓蒙的な意味合いをもつ翻訳書とモノグラフ、教科書などを、バランスよく織り交ぜて出版することだと思います。書き手と読み手のリピーターをうまく創出していけば、小さなパイでもなんとか維持することは可能かもしれません。
(註 この文章は一部フィクションを含みます。また、筆者およびその所属先の意見を反映したものではありません。)
(法政大学出版局)



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