原著出版社の業務

高坂 美恵子



 翻訳出版においては版権エージェントを利用する出版社が多く、版権取得の際の原著出版社の業務や活動はあまり知られていないようだ。そこでケンブリッジ大学出版局の最近の出版物や業務について紹介し、さらには原著出版社に頻繁に寄せられる問合せやトラブルについて解説することで、原著出版社に関する理解を深めていただければ幸いである。

 ケンブリッジ大学出版局とは

 ケンブリッジ大学出版局(以下ケンブリッジ)は1534年の設立以来、学術書、ELT(英語教材)を中心に、知識、学習、教育、研究の普及への貢献を第一に活動を続けている。年間約2500点の書籍、約230点のジャーナルを取り扱い、近年では電子ブックやオンライン商品(横断検索可能な電子ブックから、書籍内のデータからグラフを作成できるようなものまで)の販売をしている。出版拠点も英国本社のケンブリッジだけでなく、ニューヨーク、メルボルン、シンガポールに展開し、取り扱う出版権も書籍だけでなくデジタルコンテンツまでその範囲を時代とともに広げている。
 学術書では、英文学、言語学、政治学、経済学をはじめ、数学、地球科学の分野に注力している。近年は、特に医学、工学、法律学に力を入れている。また、ノーベル賞受賞者による著作の出版も多く、中でも経済学の分野においてその数は20名を超える。2007年には『Designing Economic Mechanisms』の著者の1人である米国ミネソタ大学名誉教授L・ハーウィックス氏が経済学賞を、また『Climate Change 2007』の著者である国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が平和賞を受賞している。

 ケンブリッジ大学出版局日本オフィスの版権業務

 ケンブリッジは1930年頃から版権の販売を始め、1960年頃から特に力を入れ始めた。現在では年間おおよそ600点の版権を販売する。日本における版権のニーズが高まったのは1990年頃からである。直接英国本社が行っていた版権業務を、日本を含むアジアの多くのオフィスが2006年から担うこととなり、それから約2年が経過した。これまでケンブリッジは版権業務の拠点を、特に問合せ件数の多い英国本社、米国、オーストラリア、スペインに集約していた。しかし近年、アジアにおける翻訳権のニーズが増加傾向にあり、それに対応すべく各アジア諸国で版権業務を行うこととなった。特に中国と韓国では、大学教科書から専門書を含む広い範囲での版権問合せ件数の増加が著しく、海外からの知識の輸入に熱心であることが伺える。

 日本における翻訳出版傾向

 日本において翻訳対象となっているケンブリッジの書籍の多くは、300ページほどの学術専門書である。版権問合せにおいての最近の傾向は、バイオメディカルを含む医学、歴史学、経済学の分野の引き合いが多くなってきている。2007年に契約した主な書籍は、医学では『Fighting for Mental Health』、『Communicating in Science 2nd edition』、歴史学では『The Global Cold War』、コンピュータサイエンスの分野では『The Text Mining Handbook』、『Geometric Folding Algorithms』などがある。
 エージェント経由の契約ではHSS(人文社会科学)分野の問合せが多く、反対に出版社との直接契約ではSTM(科学技術医学)のタイトルが多く見られる。
 近年は、書籍以外の形態での版権の取り扱いも始めている。2007年4月からカシオ計算機(株)の電子辞書に、小学館と共同出版した英英辞典『Cambridge Learner's Dictionary Semi bilingual』のコンテンツ提供を開始した。8月には『Wireless Communication』を『ゴールドスミスワイヤレス通信工学』として、丸善と共同で翻訳出版した。進行中の案件として、ある医学研究会がネット上のウェブページで翻訳書を電子ブックとしてのみ利用するという形態での電子コンテンツの提供を準備している。コンテンツを提供する形態は,ますます多様化しそうである。

 版権の取得について

 ケンブリッジは出版社との直接契約、またはエージェント経由の契約を行っており、特約エージェントは設けていない。ある原著についての翻訳出版の問合せを頂いた場合、翻訳を検討してもらうための期間として、通常は3ヶ月間のオプション期間を設定する。オプションのタイプとしては、「exclusive」と「non-exclusive」の2つがある。
 exclusiveのオプション・・・3ヶ月間、特定の1社が優先的に検討する期間を設定するオプション。他の出版社から問合せがあっても、オプションを持っている出版社が優先される。前もって複数の出版社からの問合せがある場合は、ケンブリッジの判断で順番にオプションを設定する。
 non-exclusiveのオプション・・・複数の出版社に同時に検討してもらう期間を設定するオプション。オプション期間中に複数の出版社が出版する意向を示した場合は、ケンブリッジ側の条件に合うものを選択することとなる。
 この2つのどちらのオプションを設定するかについては、ケンブリッジの判断で決定される。したがって、ある出版社が早くから興味を示して問合せしたとしても、その出版社にオプションを優先的に設定するとは限らない。ただし、当該書籍の前の版を翻訳出版している場合は、その出版社にexclusiveのオプションを優先的に設定している。比較的古いタイトルの翻訳出版を検討する場合は、版権が空いていればオプション期間は定めず、すぐに条件交渉に移る。
 翻訳出版が決まり、翻訳出版社とケンブリッジの間で条件の合意に達した後、ケンブリッジは原著者に最終的な確認作業をしている。この段取りは版元によって異なるところもあるので、その場合はその都度ご確認いただきたい。また、翻訳にあたって書籍の電子データを必要とする場合は、契約時にリクエストを受け付けている。契約後、有料でデータの提供を行っており、書籍によってPDFやQuark、TeXなどのファイルを用意している。

 翻訳出版社からの問合せ

 最も多い問合せの1つに、「ケンブリッジのロゴもしくはケンブリッジの名前を表紙に使用したい」というものある。原書がケンブリッジ大学出版局の刊行物であることを示すロゴを付けることで翻訳書の商品価値を向上させたいという期待があるものと推測される。ケンブリッジの見解としては、翻訳出版は版元であるケンブリッジから日本語翻訳権を取得して新たな書籍を出版することである。翻訳出版にあたっては、書籍に収録されている図版などを使用するために新たに許諾申請するところから始まり、翻訳するまで出版社の責任ですべてが行われる。その結果として、翻訳する出版社のロゴが入った新しい書籍が出版される。翻訳の質や装丁・デザインの決定に対して何の権限・責任を持たない原著出版社は(例外として原著者からの要望がある場合は校正ゲラを確認することがある)、著作権表示のページに明記されるだけの関係となる。したがって、ケンブリッジの出版物でない書籍へのロゴや名前の使用は、許諾や金銭的対価でもっても可能になることではない。しかしながら、「共同出版」という形態では、翻訳出版社とケンブリッジでコストや利益を配分すること、出版前にケンブリッジでも原稿を確認することから、両社のロゴを表示することとなる。ロゴの表示は、出版の形態・プロセスを表示する結果であることを理解していただきたい。
 また、「ケンブリッジは日本語翻訳のための許諾申請をしてくれないのか」という問合せが頻繁にある。前述した通り、翻訳出版とは原著出版社であるケンブリッジから日本語翻訳権を取得して新たな書籍を出版することである。図版などの使用についても、ケンブリッジが出版する際には英語出版のための許諾申請を行っているのと同様、日本語での翻訳出版する出版社は日本語出版用の許諾申請を行う必要がある。

 契約内容の遵守

 翻訳出版は、合意した契約の内容にもよるが、通常は原著者の意味するところを忠実に翻訳する必要がある。章の削除や加筆は、原著者の許可がない限り認められていない。ところが、著者の意図しない、あるいは著者の考えと異なることを付け加え、原著者から翻訳出版の中止を求められるという問題がしばしば発生している。このような事態は翻訳者(多くは大学教授)をはじめ両出版社を含めて多くの関係者に不利益を与えることになるので、必ず事前確認を怠らないでいただきたい。

 著作権侵害

 レアなケースではあるが、日本語で書き下ろされた書籍の内容が、その書籍の中で参考文献として挙げられた原書の内容を翻訳したものとなっているものがあった。参考文献としてケンブリッジの書籍を紹介するのであればそれは大歓迎であり、まったく問題ない。しかし、書籍の大部分を翻訳されてしまっては著作権侵害となってしまう。特に、授業で利用されていた資料をまとめ、本にして出版するケースではそのような問題が発生する可能性があると思われるので、ご注意いただきたい。

 おわりに

 日本においては日本語で書かれた良書が多く出版されているので、翻訳出版への関心はそれほど高くなくなってきているようにも感じられる。しかし翻訳出版は、原著者、翻訳者を含めて多くの著者との関係を築くことができ、出版社の出版活動を広げるきっかけの1つとなる。また、世界的に有名な著者の本や定評のある本を自社の目録に加える良い機会でもあり、今後ともその手段としての「翻訳出版」を活用いただければ幸いである。
 またケンブリッジでは、ロンドンやフランクフルトのブックフェアに出向かれない出版社を対象に、定期的に日本オフィスでブックフェアを開催している。翻訳出版に興味がある出版社はもとより、出版にあたってのさまざまな不安がある出版社も気軽にご相談いただきたい。
(ケンブリッジ大学出版局)



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