日韓中大学出版部の採算管理問題

後藤 健介



 中国・杭州で行われた3カ国セミナーの第2主題は「大学出版部の原価管理と税務」である。ホスト国・中国大学出版社協会の提案でそのように設定された。この背景には中国の大学出版社の「企業化」(独立経営体になることを指す)改革がある。企業経営の根幹をなすと思われる原価=採算管理と、税制(税金の制度だけさらっても仕方がないことなので、つまりは利益処分のことだろう)のありようを、市場経済の先輩格である日本と韓国の大学出版部に取材しようとしたのだと思われる。

 1 杭州セミナーでの日本側の発表

 これに応える日本側の発表は、第1主題と同様、[日本]大学出版部協会国際部会での合同作業で準備された。昨年度の国際部会長・小野利家氏(京都大学学術出版会)は、「日本の大学出版部における平均的な原価管理政策」および「日本として特色があろう税制・税制運用(単行本在庫調整勘定など)」の2つの論点で原稿を作成、部会として多少の付加をしたものを、取りまとめ役の筆者が(この方面には不案内ながら)杭州で発表することとなった。
 発表の前半では、企画の特性に応じた採算管理を「コスト・プラス方式」と「プライス・ライン方式」に大別して紹介し、そこに東京大学出版会における間接経費の反映政策を注の形で補足した。補助金の有無など、採算管理の実際にあたってはさらに考慮すべき点は多いが、これらの変数は各出版部および各書目の経済的規模や「使命」に応じて、戦略的に運用されるものであることを強調した。
 後半では日本的な制度として「再販売価格維持制度」と「単行本在庫調整勘定」の2点を紹介、最後に、租税納付と利益処分も社会的還元に位置づけ、発表全体を、大学出版部の持続可能性の実現は社会的責任である、というような論旨で閉じた。

 2 「企業化」する中国の大学出版社

 中国側が何を発表するかは私の関心事であった。登壇したのは陸銀道氏(北京大学医学出版社)、題名は「大学出版社が財政・税務管理を通じて経営管理レベルを向上」である。直ちに推測されるとおり、市場競争における財務管理・予算管理の重要性を一般論的に指摘したものであった。翻訳の問題もあり発表当日には理解しがたい点もあったのだが、ここでは、もう少し陸氏の発表を詳細に見てみよう。
 驚くのは「[独立した]採算管理を採用している大学出版社は中国ではいまだ非常に少ない」という指摘である。ではなにを経営の主要な指標としているかについては不明だが、社会主義経済の一般的理解から、おそらく生産目標とその達成であろうと思われる。このことは、発表中の「発行部数を販売部数のことだと誤解すべきではない」というくだりなどにもうかがえる。中国で出版経営の外枠を規定するのは本をどれだけ出すかであり、それがどれだけ売れるかではないのである。
 改革開放政策から最近まで、こうした状況は大枠で変わりないながら「企業」的な経営をする(注1)という折衷的状況であったという。しかし中国側の第一発表によれば、今年の4月より政府の教育部(日本の文部科学省に相当)と言論機関統括機構(中国新聞出版総署)とのイニシアチブで、中国大学出版社で体制改革が試行されることとなった(注2)。「企業」化する大学出版社は、従来の考え方とは彼らにとって真逆の方向で、すなわち市場の需要によって生産を定義することになる。この「市場性」をどうとらえるかは世界どこでも大学出版部の重要な論点になるが、それについて、「大学出版の根本は学術出版である」べきだと発表の冒頭で主張する陸氏は、「我々大学出版部はここ数年……学術書の刊行は行いながらも、より大きな精力を市場の拡大と利潤の増大においてきた」と現状批判する。学術出版市場の調査もなく、ろくな採算設計もせず、「特色図書」(昨年までの中国側発表に頻見された表現)を出したら売れたのブーミングにのってきたのが、ここ数年の中国の大学出版社の姿なのだろう(注3)。今回の体制改革を経て、市場競争をおのれの使命を顧みる機会とし、独立採算的に持続可能な経営をおこなう転機とすべきだというのが、陸氏の主張であったと思われた。
 では中国の出版業界における競争とはなにか。出版社間の価格引下げ競争、書店での割引販売の過熱を陸氏は憂慮しているようだが、果たして市場にはどんな敵が現れるのか、まだそれが見えてこない。いきおい論点は出版社内のコスト削減策に移ることになる。
 陸氏の発表では、刊行書目の経済性の吟味と市場調査、一括仕入れなどによる直接製造原価の圧縮、職員のコスト意識の共有と1人当たりの生産性を向上させる(つまり従来のように人員を増やすことなく生産高をあげる)ことと、そのためのモチベーション政策の重要性を指摘する。
 その他にも、インターネットでの情報提供や電子媒体をだきあわせにして書籍の付加価値をあげる、シリーズものを刊行して書店に常備させることにより出版社在庫を減らす(?)などの提案もあったが、興味深いのは納税に対する姿勢である。陸氏は、税はただ仕方なく取られるものではなく、採算管理努力の重要な論点として考えるべきであるとし、堂々たる節税論を展開する。利益は自社に投資して経費として計上、節税し、競争力を向上させることが、企業財産として預かっている国有財産を殖やすことになるのだというロジックは、中国の税務署は困るだろうが、社会主義市場経済における経済の公共性のダブルバインドをよく物語っているようにも思われる。
 なお、韓国からはソウル大学出版部の李圭一氏が「大学出版部と企業会計」と題して発表した。従来韓国の大学出版部は、いわゆる「アメリカ型」――大学の予算を計画性をもって執行し非営利的な出版活動をおこなうもので、書籍の売上で独立的に再生産する「イギリス型」と対置される――に類するものと思われていた。だが、近年の韓国における大学と大学出版部の法人化を経てか、李圭一氏の報告は用語や運用の細部において差異はありながらも、日本側の意識と実務によく対応するものと思われた。

 3 「共通性」の確認から、そのむこうへ

 第2主題における3カ国の発表は、日韓の共通性に比べて中国との距離はなお残るものの、大きな視点にたてば「よく似た発表」であったとも、私には思われた。原価=採算管理の問題は、各国国内の各大学出版部でも発想・運用が異なるものであり、また出す本ごとにもバリエーションがあるようなものであろう。今後も3カ国セミナーのみならずあらゆる機会で語られるべき論点ではあるが、それを具体的な戦略論ではなく、国際的に論じようと一般化してしまえば、発表は果てしなく「大学出版社が財政・税務管理を通じて経営管理レベルを向上」の一文だけに近づいてゆき、あとは様々な経営・会計上の共通の原則と、相互には分かりづらい個別事情が残るだけとも思えた。
 今回のセミナー第2主題では、韓国にくわえ中国の大学出版社も、日本と大枠として同様の経済的観念をもちつつある事実を確認したことを収穫としたい。そして3カ国の大学出版部の「共通性」を確認をするとともに、今後「そのむこう」の課題に取り組むことがもとめられよう。
 たとえば、(1)現在財団法人の法人格をもっているいくつかの日本の出版部は、公益法人制度の改革後に、どのようにこの問題を論じるか。「収益事業」の出版と「公益事業」の出版などというものが分別できるものだとすれば、それぞれどのようにコスト管理され、持続的に資金調達されるのか。これは中国の「事業」系大学出版社にも示唆を与えるだろう。
 (2)電子媒体との関係において、この議論はどう変化するか。電子辞書の普及期、辞書をもつ日本の出版社では、そのコンテンツ販売によって過去最大の利益をあげたところもある。しかし、大半がハード製作側主導で行われた事業であり、多くの出版社にとってそれは単年度の突発的収入でしかなく、その後出版社側が継続的に電子コンテンツの開発・販売を事業に位置づけ独自の採算設計を有するにいたった例は少なかったと思われる。日本の大学出版部でこうした辞書・事典コンテンツを持っているところは少ないだろうが、たとえば「ネット・ライブラリ」や「レポジトリ」に電子データを提供する際の「対価」の問題はどうか。電子情報インフラの普及により、大学による研究の公表(university publishing)の方途が次第に大学出版(university press)外の領域に展開しつつあるが、その主体は大学当局や大学図書館などであり、大学出版部は協力を期待されながらも対価は保証されていない。現在はまだ細々とした流れではあるが、この傾向は必ず構造化し、書籍の販売にも何らかの影響を及ぼす。良い影響も考えうるが、なににせよこの損得勘定には、ほぼ手が付けられていない状態ではないだろうか。
 上記は私の思い付きをただ並べただけであるが、我々日本の大学出版部がいま直面している問題こそ、「共通性」の確認以後に3カ国セミナーで研究・議論されるべき問題の有力な候補だろうと私は考えている。特に後者の電子化の問題については韓国・中国の大学のほうが事態が進んでいる可能性も大きく、日本に大きな示唆を与えることもあるだろう。
 韓国や中国と比較して、日本の大学出版部(ないしは大学行政、出版業)が先進的だと思える場面は、ここ数年急激に少なくなってきた思いがある。もし我々日本側になんらかの先進性があるとすれば、我々自身がこの日本でぶちあたっている問題の構造を明らかにして両国と分かつことにしかない。そのように思えた発表であった。
(東京大学出版会)

(注)
(1)同発表によると、それでも大学出版社のような教育機関が運営する「企業」の税金は免除され、書籍によっては付加価値税相当分が還付された、という。
(2)「企業」として体制を改革する社では、自社が所轄してきた国有財産の確定と精算をおこない、それを自社の企業財産に登記し、薫事会(理事会、取締役会などに相当)など経営組織をととのえることとなる。改革中の社には税金が減免され、諸資源の割り当てには優遇を受けるという。一方で「事業」にとどまる大学出版社は、非営利的な別形態をとることになるようだ。
(3)なお、中国の出版業界において大学出版社はしばしば大手出版社である。概況については島崎英威『中国・台湾の出版事情』(出版メディアパル、2007年)を参照。





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