中国の変貌と大学出版部の行方

山口 雅己



 セミナー参加にあたって

 第11回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナーは、2007年8月27日〜29日という日程で、中国・浙江省都杭州の浙江大学科学技術園・国際交流中心を会場として開催された。セミナーの主題としてホスト国・中国大学出版社協会から2007年1月の段階で提示されたのは、「大学出版部の経営管理問題―― 一.大学出版部の管理体制プログラム、二.大学出版部の財務・税務管理問題」というものであった。具体的には、「企業統治制度に基づく経営管理、非営利組織的運営に基づく経営管理、企業でも非営利組織でもない方式で行う経営管理」を論じるレポートと、「大学出版部の原価計算・原価管理、納税方式と税種・税率と税額」を論じるレポートとを、それぞれ一編ずつ要請されたのである。
 2006年8月に開催された第10回京都セミナーでは、「三カ国交流10年の回顧と今後の展望」と「国際学術交流と大学出版部」という2つのテーマに対する総括的な発表が三カ国の大学出版部協会による「協定書」の調印へと結実し、その後ソウル大学で開催された「三カ国大学出版部合同ブックフェア」のように具体的・実質的な協働事業の実現へと歩み出す準備を固めることができた。これをもって私たちは、京都セミナーの成功を自賛してよいだろう。この協働事業を拡大する方向で三カ国セミナーが継続する、という私の予想は、しかしながら見事に外れてしまった。中国の大学出版社にとって、自国における改革開放・市場経済化の波をどう受け止め、その中でみずからの存在意義をいかに高めていくか(有体に言えば、競争市場に参入して利潤をあげるにはどうしたらよいか)が最大の関心事であることに、あらためて気づかされた次第である。

 私たちのレポートが示唆するもの

 杭州セミナーへの参加に際し、私たちは「日本の大学出版部における組織運営形態」と「日本における大学出版部の財務と税務――出版企画の経済設計と税制度を中心として」という2つのレポートを用意した。「創新型国家の建設」という国家戦略を受けて、中国の高等教育人口は近年、飛躍的に増大し、2006年には大学進学率21%、学生数2300万人というレベルにまで到達している。これに伴い書籍の発行点数も着実な伸長を持続しており、中国はいま、市場経済における「出版の離陸期」を越えつつあると思われる。このような状況において、現在は国家の管轄にある出版事業が、将来、個別の法人(経営主体)に開放された場合に備え、全中国の出版社537社の18%、98社を占める大学出版部が個々にどのような組織をつくり、運営していくべきかをあらかじめ研究しておく意義はたいへん大きいと言える。一般化されたかたちではあるが、日本の大学出版部がどのような経験を積んできたかを伝える上述のレポートが、中国・韓国の大学出版部の役に立つことは間違いないであろう。
 ところで、後掲する私たちの第一のレポート(三浦レポート)は、中国大学出版社協会により提示された主題と少しずれたものとなっている。それは「管理体制プログラム」という述語が、日本の大学出版活動にそぐわない、違和感の拭えぬものであることに起因している。その結果、「日本の大学出版部の設立形態とそこから出てくる組織運営の違い」という視点からのレポートとなったのである。第二のレポート(後藤レポート)にしても、まとめるのはなかなか大変だったであろう。その作成にあたった三浦氏、後藤氏、そして元・京大の小野氏に、また、側面からご支援いただいた方々にあらためて感謝申しあげ、その労を多としたいと思う。また、これらのレポートは、日本の大学出版部の現状、あるいは社会的制度との関わり等における「差異」を浮かび上がらせ、私たちがみずからを見つめ直す、たいへんよい機会を与えてくれるものであることを、ここに強調しておきたい。

 セミナー総括

 さて、セミナーでは、予定通り三カ国から2件ずつの発表がなされた。この場をお借りしてセミナーで得た印象を述べて、全体的な総括としたい。
 繰り返しになるが、日本からのレポートを作成することは、私たちそれぞれ個別の大学出版部の存在や活動における「差異」を見つめ直す、よい経験となった。こういった現状を踏まえたうえで、すべての加盟出版部のパフォーマンスの向上にすこしでも寄与できるよう、大学出版部協会として今後どのような活動を企画していくかが重要であることを、あらためて確認しておきたい。わかりきったことをいまさら記すようで心苦しくもあるが、各位のご協力を賜りたいと思う。
 一方で、後掲のレポート(とくに第一主題)が中国側の期待に合致したものだったかと問われると、自信をもって「イエス」とは言い切れない。実は昨年、京都セミナーが成功裏に閉幕した数日後に中国訪日団が東京大学出版会を訪れ、1時間以上話し合う機会をもったのだが、そこで中国側から、優秀な社員の養成法や給与体系の問題に関する、たいへん現実的な質問(いい仕事をした人には特別のボーナスを支給するのか、役員報酬は初任給の何倍か等)を多数浴びせられた経験がある。このことから類推すると、中国サイドでは大学出版部の「管理体制プログラム」を構築するために(あるいはそれを、より向上するために)すぐに役立つ実践的な情報――たとえば日本の大学出版部の「なんら包み隠すところのない」ケーススタディのようなもの――を欲していたのではないか、とも考えられるからである。
 韓国大学出版部協会のレポートは、とくに目新しい情報をもたらすものではなかったと感じている。とは言うものの、効率的なマーケティング手法の追求や、原価計算・損益分岐点の管理等、自社の現状との比較でこれらのレポートを読み込んでみれば、参考にできる出版部はけっして少なくないだろう。是非トライしていただきたい。
 問題は中国大学出版社協会のレポートである。中国の出版事情についてはいくばくかの予備知識を集めたうえでセミナーに臨んだつもりであったが、その準備がまったく不足したものであったことを思い知らされた。
 まず、統計数値に関することがらでは、大学出版社の年間売上がたいへん大きく、9000億円と言われる中国の書籍売上に占める大学出版社の比率も相当高いという事実について認識が浅かったことを、明らかにしておかなくてはならない。刊行「点数」(新刊6割、重版4割程度の比率)の多いことも同様で、1999年からの5年で50%の伸びを記録し、2004年には20万8000点を優に超えている。刊行点数上位ベスト5は高等教育出版社(6382点)、科学出版社(5240点)、人民教育出版社(4497点)、北京出版社(2870点)、清華大学出版社(2654点)となっている(帰国後に調査した「数字」である)。講談社の新刊が1850点(2006年)であることを考えれば、その規模の大きさがわかるだろう。
 もうひとつは、中国における出版状況の変化が、伝わって来る情報に比べはるかに急激であったことである。とくに体制改革、市場経済化に関する私の知識が旧態依然たるものであったために、浙江大学出版社・傳強氏が強調していた「企業」と「事業」の違いが判然とせず、レポートの真意が理解できなかったことは反省点としたい。当人に質問もしてみたのだが、国家の持ち物であるはずの大学出版社の資産を「登録」して(すなわち「私有財産化」して)大学が出資者となり、大学出版人は出版社の自律的な経営者となる、ということが本当に可能なのか、疑問として残ったままであった。

 第12回ソウルセミナーに向けて

 セミナーが終了し、帰朝してすぐの9月中旬に書協・国際委員会主催による講演会があり、中国出版科学研究所の辛広偉氏("Publishing in China" の著者)からたいへん興味深い話を聞くことができた。さらに、『中国・台湾の出版事情』(島崎英威著、出版メディアパル)を読んで、ようやくながら中国側のレポートや、彭松建・中国大学出版社協会常務副理事長のセミナー総括あいさつの主旨をじゅうぶん理解するに至ったのである。余談ながら島崎本は初版2007年7月と最新の著書でもあるし、是非一読をお奨めしたい。また同シリーズには『韓国の出版事情』(舘野皙・文ヨン珠著、初版2006年5月)もあり、併せて読めば来年のソウルセミナーの準備もできよう。
 こうしたうえで第11回杭州セミナーを振り返ってみれば、内容的にたいへん豊かなものであったとあらためて総括できよう。第12回のソウルセミナー(主題(1)学術出版市場における大学出版部の位置付けと発展戦略、(2)三カ国大学出版部間の国際交流のための著作権実態分析)に向けては、まだ解決すべき問題もいくつか残っているが、三カ国の協力のもと、有意義な議論が再びソウルで交わされることを期待する次第である。
(理事長、東京大学出版会)



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