ハゼの冒険

渋川 浩一



 はじめに

 日本はハゼ大国である。ハゼ好きや研究者にとっては天国ともいえるだろう。
 なにしろまず種類が多い。この原稿を書いている2007年3月末時点で、日本から正式な記録のあるハゼは452種にのぼる。日本産魚類全体でも4006種だから、この国では魚の10にひとつ以上がハゼ、ということになる。
 しかもハゼはどこにでもいる。北は北海道から南は沖縄まで、河川の上流から河口域、湖沼、運河や用水路、地下水脈、沿岸の干潟や岩礁域、砂浜海岸、転石帯、サンゴ礁、マングローブ域、内湾、さらには水深400メートルの深海にいたるまで――日本全国ハゼだらけといっても過言ではない。
 見られる面々がまた多彩だ。現在13〜14の科グループ(科や亜科)にまとめられることの多いハゼだが、一国内で全グループのメンバーが見られるのは、世界広しといえど日本と中国くらいのものである。
 ドンコ科など東〜東南アジアの大陸部を中心とした地域にしか見られないグループが生息すること、西部太平洋というハゼ種多様性の著しく豊かな地域に位置すること、国土が南北に長く、亜寒帯から亜熱帯まで幅広い気候帯をカバーしていること、きわめて豊かな陸水や海洋環境をもつことと様々な好条件が、日本をハゼ大国たらしめている。

 日本にハゼを求めて

 日本の魚類相の豊かさは世界的にも有名で、古くから多くの先達による調査研究が広範かつ詳細に行われてきた。ハゼが豊富に産することも、すでに言いつくされた感がある。それでもさすがにここまでハゼ相が豊かであることがわかったのは比較的最近のことだ。
 日本のハゼを学名とともに初めて紹介したのは、オランダの医師であり、当時高名な生物学者でもあったハウトインである。1782年というから、ときは鎖国体制真っ只中のこと。彼は、出島に駐留していたスウェーデン人医師ツュンベリーから送られた標本をもとに、“Gobius Niger”というハゼ1種を含む合計36種(うち23種は新種)の海産魚を発表した。ツュンベリーといえば植物学の業績で有名な人物だが、後には日本産魚類に関する論文も自身いくつか著している。その彼がなぜ貴重な標本をわざわざ先にハウトインに送ったのだろう。ハウトインが彼の日本行きを推薦してくれたひとりであったためではないかと推察する人もいる。なんにせよ、ハウトインはこうして日本産魚類研究の先駆けという栄誉に浴することになった。ただし、彼によるこのハゼの同定は誤りである。真のGobius nigerはもともとリンネにより記載されたものだが、これは地中海や黒海、大西洋東部に生息するハゼであり、日本にはいない。標本が残っていないため、残念ながらハウトインの“Gobius Niger”が何であったのかを特定することは難しい。
 日本からハゼの新種が報告されるのは、それから半世紀以上後のことになる。1833年から1850年にかけて刊行された『Fauna Japonica(日本動物誌)』がその舞台だ。このあまりに有名な著作について、くわしい説明は必要ないだろう。シーボルトとその助手ビュルゲルが日本からオランダ船で持ち帰った膨大な標本をもとに、ライデン博物館の館長テミンクや同館の脊椎動物管理者であったシュレーゲル、同無脊椎動物管理者デ・ハーンが調査研究し、記載を与えた大著である。収録された359魚種のうち、ハゼは11種で、マハゼやハゼクチ、ワラスボ、チチブ、カワアナゴ、ドンコなど8種が新種であった。ハゼクチやワラスボといえば、日本では有明海や八代海でしか見られないハゼである。さして多くない掲載種のなかにそうしたハゼがいるところあたり、長崎(出島)しか外国船の入港が認められず、外国人の国内移動にも厳しい規制がかかっていた時代背景を強くうかがわせる。
 その後も、長崎発のハゼ報告はつづく。魚類分類学史上もっとも著名な研究者のひとりブリーカーもまた、そうした日本産ハゼの研究を行ったひとりだ。インドネシアにオランダ軍医師として駐留するかたわら東南アジア産魚類に関するおびただしい数の著作をものにした彼は、日本産魚類についての論文をも数多く発表している。多くはやはり長崎(ときに山口)産標本をもとにしたものであったが、1860年の報告では“Jedo”(江戸)という採集地名も見受けられる。この江戸産標本は、鎖国政策崩壊前後に来日し、日本では「近代西洋医学教育の父」として高名なオランダ海軍医ポンペから送られたものであるという。ポンペがどのようにしてその魚を集めたのかは定かでない。ともあれそうしてブリーカーの手により学名のつけられた日本のハゼは、日本産標本をもとにしたものだけでも、ヒメハゼやスジハゼ、アカハゼ、ヒゲハゼ、エドハゼなど6種にのぼる。
 さらに当時、日本の標本を持ち帰っていたのはオランダ船だけではなかった。ロシアや米国による独自の探検調査隊も日本周辺にまで足を伸ばし、入港はかなわなかったにもかかわらず、採集した生物標本をこっそり(?)自国に持ち帰っている。北海道南部や本州沿岸の潮溜まりに多産するアゴハゼは、そうした標本をもとに新種記載されたもののひとつである。
 鎖国が解かれると、それまで長崎周辺にほぼ限定されていた魚類研究の手が他地域にも広がってゆく。明治政府が招聘したいわゆる「お雇い外国人教師」のヒルゲンドルフやデーデルラインは、職務の合間を縫って日本各地で魚を集め、自国に持ち帰って研究をすすめた。ヒルゲンドルフが新種記載したハゼは7種あり、春の風物詩「踊り食い」で有名なシロウオなど5種については今も彼の命名した学名が使用されている。1875年には英国の調査船チャレンジャー号が横浜に寄港し、しばらく日本各地で海洋生物調査を行った。この調査で得られた魚類は大英博物館のギュンテルによってまとめられているが、そこにもやはり日本産ハゼが散見される。
 20世紀初頭、傑出した著名な魚類研究者としてすでに名を馳せていた米国スタンフォード大学教授ジョルダンと彼の弟子たちによる日本の魚類相研究が精力的にすすめられた。そのうちのハゼに関する総合的な報告は、ジョルダンとスナイダーが1901年に著している。彼ら自身が日本各地で採集した標本に加え、東京帝国大学や帝室博物館に所蔵されていた標本、米国の調査船アルバトロス号が収集した標本などを検討し、絵師スタークスによる緻密な点描画とともに21新種を含む57種のハゼを紹介したもので、これにより日本、少なくともその温帯域のハゼ相に関してはその大枠が把握できたといえよう。ちなみにジョルダンらが発表した日本産魚類の新種は約700種にのぼるとされ、1913年に出版されたジョルダンと東京帝国大学の田中茂穂、スナイダーの共著による日本産魚類目録には1236種が収録されている(そのうちハゼは82種)。

 日本人によるハゼ研究

 この頃から日本のハゼ研究の主たる担い手は、日本人研究者へとシフトしてゆく。
 ハゼの新種を発表した最初の日本人は、さきの目録の事実上の主著者だったという田中茂穂である。田中は173種もの新種を発表した当代きっての魚類研究者で、日本のハゼに関しても、1909年に発表したボウズハゼを皮切りに、ホシノハゼやイサザなど合計10種を新種記載している。後年、田中はハゼ研究を教え子である富山一郎に託した。日本産ハゼの分類は富山の大学院生時代の研究テーマとなり、1936年には道標的論文『Gobiidae of Japan(日本のハゼ科魚類)』を上梓する。富山はこの論文で1新属6新種2新型を含む100種の日本産ハゼについて解説した(台湾産を含む)。指導教官の田中は魚の分類に際し年とともに細分主義者(スプリッター)から非細分主義者(ランパー)へと変化したとされるが、当時はすでに後者の傾向がつよかったという。その影響もあるのだろうか。現在は独立種とみなされているものでも、この富山の論文では同一種内の亜種や型、あるいはそれにも満たない単なる変異として扱われている場合が少なくない。ちなみに富山は、後に現在の天皇陛下のハゼ研究を指導したことでもよく知られている。
 その後の1955年に発行された松原喜代松による不朽の名著『魚類の形態と検索』では、147種の日本産ハゼが掲載された(台湾・朝鮮半島産を含む)。松原の指導で学位を取得した高木和徳も5種のハゼを新種記載している。現在ハゼの同定ツールとして欠かすことのできない頭部感覚器系の情報は、この高木によって有用性が国内に紹介されたものである。
 1970年代以降、日本のハゼ研究はまた新たな段階に入る。沖縄の本土復帰、スキューバダイビング技術の向上と普及などがあいまって、沖縄地方を中心とした亜熱帯性魚類の研究が国内の諸研究機関により精力的に進められるようになったのだ。熱帯・亜熱帯域のサンゴ礁やマングローブ域はとび抜けて多様なハゼが見られる環境であり、日本産ハゼの記録数はすさまじいペースで増加していった。そうした研究成果は、『魚類図鑑 南日本の沿岸魚』(益田ほか、1975:掲載ハゼは80種)、『日本産魚類大図鑑』(益田ほか(編)、1984:同、292種)、『日本産魚類検索――全種の同定』(中坊(編)、1993:同、342種)など、相次いで出版される図鑑類に順次反映され、一般にも普及してゆく。2000年に刊行された『日本産魚類検索――全種の同定』の第二版には、ハゼ411種を含む3863種の日本産魚類が掲載された。その後に追加された日本産ハゼは41種、そして総数はついに452種にまで達した。

 新種ラッシュはなおつづく

 松浦・瀬能(2004)の集計によれば、日本産魚類の総数が将来的に4400種を超えるのは確実であるという。これまでに正式に記録されている魚種数が4006種だから、いまだその1割分にも相当する数の名前のない魚が日本には存在することになる。なかでも突出しているのが、ハゼである。さきの集計では、未記録魚種約420種(新種約350+その他の未記録種約70)のうち、ハゼ科だけでも230種あったという。次点のゲンゲ科が19種であることを見れば、ハゼの極端な突出ぶりが容易にうかがえよう。
 昨今ハゼは、“マクロ派”と呼ばれる小型底生生物に魅せられたダイバーの格好の被写体として人気を集めている。ダイビング雑誌では毎号のように美しいハゼ写真が紙面を飾り、ついにはハゼの水中写真だけを扱った図鑑すら書店に並ぶようになった。水中に向けられる目は少し前までとは比べものにならないほど多く、見つかる新顔もいまだとどまることを知らない。そのうえさらに、これまで十分な調査がなされてきたとは言いがたい100メートル以深の場所にも、思いのほか豊かなハゼ相が見られることが明らかとなりつつある。ミミズハゼ類のように、驚くべき数の未知種の存在が明らかになっているグループもある。生態的あるいは遺伝的調査により、従来1種と考えられていたものが複数種に分けられる事例も増えてきた。日本産ハゼの総数が将来どれほどになるのか、いまはまだ予想をつけることさえ難しい。
 ハウトインから225年、すでに踏破しつくされたように見える日本にも、いまだ数え切れないほど未知のハゼがいる。ハゼ研究者の冒険は、まだまだつづく。
(国立科学博物館)



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