自然史博物館の誘惑

渡辺 政隆



 ぼくの自然史博物館開眼は遅かった。その種の博物館のない地方都市で育ったことが最大の原因だが、出遅れを取り戻すべく、今や、旅先では必ず自然史博物館をチェックする立派な自然史博物館フリークである。自然史博物館の魅力は、古さと新しさが混在していることで、そこに自分なりの思い入れも入り込む。ぼくの場合の思い入れは、博物館にまつわる自然史学者であることが多い。本稿では、象徴的な自然史博物館とも言える英米仏の三大自然史博物館に対する個人的な思い入れを語りたい。

 アメリカ自然史博物館

 そもそも、自然史博物館に深い思い入れをもつようになったきっかけは、かのスティーヴン・ジェイ・グールドだった。いや、彼に案内してもらったわけではない。『ナチュラル・ヒストリー』という月刊誌に連載されている彼のエッセイをいち早く読みたいばかりに、その発行母体であるアメリカ自然史博物館友の会会員になったのだ。
 当のグールドは、幼い頃に父親に伴われて初めてこの館を訪れた際に、恐竜展示ホールで恐竜の咆吼に遭遇し、以来、足繁く通い続けたとか。むろん、本物の咆吼であるはずはない。見知らぬ大人のくしゃみがホール中に響き渡ったのだ。いささか脚色されていなくもないが、ニューヨークっ子ならではのぜいたくな体験である。グールドは後にコロンビア大学の大学院に在籍しながらこの博物館で博士論文をまとめた。
 友の会会員の特権は、雑誌が送られてくることを除けば、入館料無料など、博物館のあるニューヨークに住んでいなければ享受できない恩恵ばかりである。したがって生まれて初めてマンハッタンに上陸したときは、何はさておき、セントラルパークに隣接したアメリカ自然史博物館に勇躍乗り込んだ。
 アメリカ自然史博物館の売りは、なんといってもジオラマである。まるで箱庭のような立体展示は、剥製をただ並べただけの展示とはちがう臨場感を醸し出している。これはただものではない。剥製のポーズ、環境の選択、背景画の制作など、一つの芸術作品といっても過言ではないだろう。実際、背景画は画家がモデルとなる現地に取材しスケッチした風景を基に描かれたものらしい。
 アメリカ自然史博物館はジオラマだけでも必見の価値があるが、荘厳な歴史的建造物の中をさまよいながら、思わぬ展示物や著名な科学者や哲学者の銘文に出会う楽しみも捨てがたい。館内が迷路のように入り組んでいるせいで、印象的な銘文との再会が思うように果たせないこともまた一興である。アメリカ自然史博物館の歴代館長のなかでもぴかいちは、古生物学者のH・F・オズボーンである。特にゾウの進化の研究で有名で、おまけに、英国留学時代にはトマス・ハクスリーの教えを受け、ダーウィンとも知己を得ていた。
 この博物館にまつわる現在の最大の話題といえば、映画「ナイトミュージアム」だろう。さっそくぼくも見たが、少なくとも建物正面は本物の博物館が使われているし、名物のジオラマもうまく活かされている。誰もが楽しめるエンターテイメントであり、博物館通ならば百倍楽しい。だいいち、「歴史を息づかせる場所」それが博物館だという台詞がいいじゃないか。
 映画にはロビン・ウィリアムズ扮するセオドア・ルーズベルトが登場するが、この第26代アメリカ大統領は、アメリカ自然史博物館と深いつながりがある。映画のように蝋人形は展示されていないが、館内にはルーズベルト記念ホールがある。テディベアの名称がルーズベルトに由来することで有名なように、彼は狩猟が趣味で、国立公園制度の創立者でもあり、自然史博物館の後援者でもあった。
 この映画の原題は A Night at the Museum つまり「博物館での一夜」だが、アメリカ自然史博物館は同じ名称を冠したイベント「博物館お泊まり体験」を実施している。子供たちが寝袋を持参して展示フロアーで一夜を過ごすのだ。日本の水族館などでもその種のイベントが実施されているが、子供時代にこのような体験をすれば、長じてから自然史博物館の熱心な応援団になることはまちがいない。
 アメリカ自然史博物館が舞台になった映画でもう一つ記憶に残るのは、まだ若かったトム・ハンクスが主演した「スプラッシュ」である。いうなれば人魚姫マンハッタン版だが、トム・ハンクスが博物館だか水族館のキュレーターで、アメリカ自然史博物館が重要な舞台となっていたと記憶する。トム・ハンクスは別だが、映画に登場するキュレーターは、概してなぜか怪しいオタクが多い。たしか「羊たちの沈黙」にはスミソニアン協会の国立自然史博物館とおぼしき博物館のオタク昆虫学者が登場していた。

 大英自然史博物館

 ロンドンの大英自然史博物館はロマネスク調石造りの美しい壮大な建物である。英名は Natural History Museum, London だが、歴史的に見ると大英博物館の自然史標本を収蔵展示する分館として設立されたという経緯があるため、ぼくはこの、「大英」という言葉にこだわりたい気がしている。
 この建物の外壁には、さまざまな動物のテラコッタ像があしらわれている。正面玄関ホール突き当たりの階段の上からは、この博物館の設立者で、19世紀の偉大な自然史学者リチャード・オーエン像が見下ろしている。ダイナソアすなわち恐竜という言葉を創造したオーエンは、同時代のもう1人の偉大な自然史学者チャールズ・ダーウィンの宿敵でもあった。ダーウィンは、ビーグル号の航海で発掘した巨大な化石をオーエンに託し、オーエンはその研究で学会の絶賛を博した。しかし、ダーウィンとオーエンとの蜜月時代はそれで終わる。後にオーエンは、ダーウィンの進化理論を攻撃する保守派の後ろ盾となったからだ。
 オーエンの牙城である大英自然史博物館にはダーウィン像もある。しかしまさかオーエン像と並べて建てるわけにもいかず、ダーウィン像はカフェテリアの一画に、ダーウィンのブルドッグ(番犬)とも呼ばれた盟友トマス・ハクスリー像と仲良く並んでいる。
 大英自然史博物館は、数年前から大改修工事中である。古い建物はアスベスト除去工事に伴う改修をし、それとは別にダーウィンセンターという斬新な研究棟を増築中なのだ。2002年10月に完成したダーウィンセンター、フェイズ1は、いうなればガラス張りの研究棟で、無脊椎動物と魚類を中心に、ずらりと並んだ液浸標本をガラス越しに見ることができる(ただし現在はフェイズ2の増築に伴い観覧中止)。それと同時にバックヤードツアー(予約制)も実施されていて、一般来館者立ち入り禁止の収蔵庫で、巨大なダイオウイカの標本や、ダーウィンがビーグル号の航海で採集した魚類標本などを見学できる。
 大英自然史博物館の中でぼくがとりわけ好きな場所は、正面入り口から右に折れた通路の壁面である。そこにはジュラ紀と白亜紀の海生爬虫類の化石が埋め込まれている。文才長けた古生物学者リチャード・フォーティはその一画を、「英国自然史博物館の展示室には、イクチオサウルス(それとプレシオサウルス)のまさしく群れが鎮座している。化石を含む石版が、1920年代に製作された展示ケースのなかに、床から天井まで飾られているのだ。……しばし立ちどまって見学の児童の群れをやりすごせば、ジュラ紀の海に浮いている自分の横を、海生爬虫類の群れが波しぶきをあげて泳ぎすぎ、潜行に移る光景を脳裏に浮かべられるだろう」(『生命40億年全史』より)と描写している。
 大英自然史博物館には分館がある。ロンドンから列車で1時間ほどの町トリングにあるロスチャイルド動物学博物館である。もともとここは、英仏の財閥として有名なロスチャイルド一族の1人ウォルター・ロスチャイルド(1868〜1937)またの名を第2代ロスチャイルド男爵の私設博物館だった。ヴィクトリア朝の美しい木製キャビネットに多種多様な動物の剥製がぎっしり並んでいる様は、まさに圧巻である。
 ウォルターは、幼いときから動物標本の収集を始めただけでなく、敷地内でシマウマやエミュ、ヒクイドリ、ガラパゴスゾウガメなどを飼っていた。シマウマに馬車をひかせたり、ゾウガメにまたがっている写真はけっこう有名である。博物館にも、シマウマを始めとして彼が飼育していた動物の剥製がたくさん展示されている。
 ただし残念ながら、ロスチャイルド動物学博物館はこの3月から、大英自然史博物館トリング館に名称が変更されてしまった。ロスチャイルドの名が消えたのは、なんとも寂しい。

 フランス国立自然史博物館

 フランスの自然史学といえば、ビュフォン(1707〜88)、ラマルク(1744〜1829)、キュヴィエ(1769〜1832)など、錚々たる名が浮かぶ。彼らが研究室を構えていたのが、パリ植物園内にある国立自然史博物館である。この博物館でいちばん有名なのは、「進化のグランドギャラリー」と呼ばれるメイン展示館である。そのほか、植物園内には昆虫館、鉱物館、古生物学・比較解剖学館などがあり、とても1日では見終わらない。
 グランドギャラリーは、エッフェル塔と同じ1889年に建てられた建物で、55×25メートル、高さ30メートルという巨大な吹き抜けの箱である。1994年にリニューアルオープンしたこのギャラリーの目玉は、アフリカの哺乳類が隊列をなして歩く光景が剥製で再現された展示だろう。そのほか、2階部分と3階部分にあたるバルコニーにも、進化をめぐるさまざまな展示がある。
 たいていの見学者はグランドギャラリーだけを見て満足するかもしれない。しかしぼくのお薦めは、古生物学・比較解剖学館である。グランドギャラリーをぐっと小ぶりにしたこの博物館に一歩入ると、骨のオンパレードに度肝を抜かされる。しかしこここそが、キュヴィエが創始した比較解剖学の総本山なのだ。キュヴィエは、一片の骨があれば動物を丸ごと復元して見せると豪語した。動物の器官は他の器官と調和しており、種類ごとに固有の普遍的特徴をそなえている。したがって一個の骨を見れば全体がわかると言い放ったのだ。
 展示されている骨格標本のラベルを見ると、キュヴィエの名も見つかる。ここに並んでいるのは、キュヴィエが実際に手に取って調べ、組み立てた標本群だったりするのだ。あるいは、展示ホールの隅には、ヒトの赤ん坊らしき奇妙な骨格標本も並んでいる。そのラベルには、なんと、ジョフロア・サンティレールとあるではないか。ジョフロアは比較解剖学全般のみならず奇形の研究でも知られている。彼が集めた奇形標本の一部が、ここにこうやって今も展示されているのだ。時間が止まっていると言うべきか、あるいは時空の隔たりが一気に消失してしまうと言うべきか、これぞまさに自然史博物館の醍醐味でなくてなんだろう。

 自然史博物館に対してぼくが勝手に抱く幻想と、教育施設としての整備された自然史博物館の現状とのあいだには、必ずしも相容れないものがある。標本が整然と整理された博物館が、時空の狭間に存在するボルへス的空間であるはずもないからだ。しかし、博物館を訪れた記憶は、時間がたつうちに都合のよい思い出だけが生き残り、かつまた増幅されることで自分好みの博物館像を膨れ上がらせていく。そんな夢想を保証するのは、展示室の裏の収蔵庫に時間を止めたまま横たわっているに違いない莫大な数の標本群の存在である。
 とにかく標本を集め収蔵すること。自然史博物館にとって第一義のこの使命が、日本ではなかなか実行されにくい状況がある。自然史学の興隆を招くには、まずなによりも自然史学ファンを増やすことだろう。そのために何ができるか、具体的な策を考えていきたいものだ。
(サイエンスライター)



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