三カ国セミナー10年間の回顧と展望

三浦 義博



 はじめに

 1997年8月28日、諏訪湖畔のレイクサイドホテルにおいて開催された日本大学出版部協会夏季研修会に、韓国・中国大学出版部協会代表団26名を迎えて「日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」(以下「三カ国セミナー」)は始まった。
 第1回セミナーの講演者は朴邦培氏(全南大学校出版部)、彭松建氏(北京大学出版社)、平川俊彦氏(法政大学出版局)の3名であった。
 以降、三カ国セミナーは日本・韓国・中国を相互訪問しながら2サイクル(6年間)を経過し、お互いの理解も深まり議論も活発化していた2003年、開催国日本から中国大学出版社協会に対して「訪日中止」の依頼をせざるを得ない事態が生じた。
 三カ国セミナーは1982年から1996年までの15年、15回にわたって開催された「日・韓大学出版部協会合同セミナー」を前史とし、25年間途切れることなく継続してきたセミナーであるだけに、「訪日中止」依頼の是非については日本大学出版部協会内部においても議論が分かれたが、「新型肺炎」(SARS)に対するリスクマネージメントを勘案した上での苦渋の選択であった。そのために2003年に開催された第7回札幌セミナーは日・韓二カ国の変則開催となった。
 このような異常事態を憂慮した日・韓両大学出版部協会首脳が翌2004年9月に北京を訪れ、三カ国代表者による正常化のための調整会議が開催された。2005年の第9回慶州セミナーからは元の三カ国セミナーに復し、2006年の「第10回日・韓・中三カ国セミナー」を迎えることができたのは、このセミナーに対する三カ国代表者の熱い思いによるものであろう。

 日本の大学改革10年

 「三カ国セミナーの10年」と「日本の大学改革の10年」は、日本大学出版部協会にとって同じ位相に位置づけられる。日本の「大学改革と大学出版部」については三カ国セミナーにおいても報告されているが、改めて大学改革の10年間を概観するとほぼ以下のようになる。
(1)大学設置基準の改正(1991年)
(2)大学院重点化構想(1990年代)
(3)「二十一世紀の大学像」答申(1998年)
(4)「遠山プラン」の提示(2001年)
(5)専門職大学院・法科大学院構想(2002年)
(6)国立大学の法人化(2004年)
 このような大学改革という制度的な変化に、社会的変化(少子化、IT化)、出版業界の変化(出版不況)、法的変化(著作権法の改正)といった要素が加わり、韓国大学出版部協会、中国大学出版社協会の現状をより具体的に知りたいという欲求が生まれたものと思われる。

 三カ国セミナーの10年

 以下に、三カ国セミナーの開始から共通主題が導入されるまでの3年間(1997年〜1999年)を第1サイクル、共通主題が導入されてからの3年間(2000年〜2002年)を第2サイクル、日・韓二カ国開催から元のセミナーに復すまでの3年間(2003年〜2005年)を第三サイクルとして、三カ国セミナーの10年を回顧してみたい。

第1サイクル(1997年:諏訪、1998年:北京、1999年:ソウル)
 この3年間のセミナー講演主題は、三カ国の「大学出版事情」と「大学出版の社会的役割」などに集中している感がある。三カ国ともに相互の確たる実情把握には至らず、情報を提供しあいながら、本格的な交流に向けた準備段階としての交流であったといえる。
 三カ国セミナーの10年を振り返ると、この第1サイクルの期間に「相互の現状を十分には把握しきれない」といった不透明な部分が三カ国間で増幅し、この要因が働いて「相互理解と共通認識」という三カ国セミナーの道筋を描き始めたものと思われる。
 このような情況の第1サイクルの中で異彩を放っていたのは、驚異的な経済成長を始めた中国大学出版社協会である。その現実をわれわれは1998年の北京セミナーにおいて目の当たりにすることになる。

共通主題と複数年議論の導入
 第1サイクルの推移を受けて、日本大学出版部協会は5名の構成員から成る「国際専門小委員会」を設置し、(1)日・韓・中三カ国にとって複数年議論を可能にするセミナー主題とは何か、(2)日・韓・中三カ国のセミナー参加者にとって、相互理解と共通認識が可能なセミナーの運営形式とはどのようなものか、の2点を中心に据えて議論を積み重ねた。
 「共通主題と複数年議論」および「分科会」によるセミナー運営、という手法が導入されたのは2000年開催の「第4回三カ国セミナー」(琵琶湖セミナー)からであるが、この実現によって三カ国セミナーは、質・量ともに大きく変化したと言える。それを可能にした背景には、日本の大学出版部の多くが、大学の変化に伴って「大学出版のあり方を再考する」必要性に迫られていたという現実と、韓国・中国ともに、それぞれの情況下において重層的な変化に直面していたという現実が三カ国間で共鳴したことによるものであろう。

第2サイクル(2000年:近江八幡、2001年:上海、2002年:ソウル)
 2000年琵琶湖セミナーの主題は「大学出版部の役割とは何か――大学の変化と出版活動」であった。分科会では「編集における変化と出版活動」「製作における変化と出版活動」「普及販売活動における変化と出版活動」が主に出版実務を担う人材によって報告された。
 セミナー講演録を見ると「大学の変化」「社会と大学教育の変化」「読者環境の変化」「ネット出版」「インターネット書店」などの表現が踊っている。
 第1サイクルの3年間に日・韓・中三カ国が抱え込んで醸成した課題が「変化という共有概念」を得て一気に噴出した感がある。
 これらの課題は2001年の上海セミナーにおける「インターネットと伝統的出版」、2002年のソウルセミナーにおける「大学出版の環境変化と適応戦略」へと継承されて議論が白熱し、三カ国大学出版人の相互理解・共通認識が形成されていった。
 第2サイクルの3年間は、
 「日々にかわりつつある出版と読者環境の変化は、出版者の立場をより困惑させている。(中略)しかしひとつ明らかなことは、これからはインターネットと結合されずに出版活動をすることは難しいということである。私ども大学出版者は変化しつつある環境に正確な認識と感覚で電子出版と既存の従来の本の長所を最大に活用し、発展させるべきである。」(朱弘均・建国大学出版部)
と言った論調に代表されるように、「変化という共有概念」が「インターネットという共有ツール」を得ることによって、同じ方向性での議論を可能にしたことが読み取れる。
 2001年の上海セミナーにおいて、中国大学出版社協会講演者として登壇した北大方正による中国における電子出版の現状報告、また韓国大学出版部協会におけるIT立国化と大学出版部の可能性などの報告は、書籍の新たな表現形態としての電子コンテンツ、書籍のインターネット販売や新たな読書層の創出などの可能性を議論する場を提供した。

第3サイクル(2003年:札幌、2004年:北京、2005年:慶州)
 第3サイクルの共通主題は「大学の教育と出版」であった。第2サイクルの議論を受けて、大学との距離をより縮めた上で大学出版のあり様を考えようとしたものであるが、先述のように、日・韓二カ国セミナーからの開始となった。
 この時期になると、日・韓ともにインターネットを介在した書籍販売や電子コンテンツの実際をある程度経験し、議論は第2サイクルと比較してより具体性を持ち始めるようになった。
 2004年の北京では、中国大学出版社協会から李家強・清華大学出版社社長のレポートが提出され、中国大学出版社協会の発展する姿が具体的に紹介された。
 セミナーが三カ国間で正常に復したのは2005年の慶州セミナーからであった。
 この期間の評価は難しいが、中国大学出版社協会の経済的な成長と日本における国立大学の法人化などの大きな変化がこの間に生じていたことも事実であり、それは慶州セミナーにおいて報告がなされた。

 三カ国セミナーの近未来の10年

三カ国大学出版部協会の二極構造化
 さて、三カ国セミナーのこれからの10年にはどのような推移が考えられるだろうか。大きな流れとしては、顕著な二極構造の出現が予測される。
 2004年の北京調整会議の「中国大学出版社協会の5社が中国出版市場においてベスト10入りを目指す」という発言が示すように、経済成長と進学率の向上を背景として拡大を続ける市場の中で、中国大学出版社協会は更なる経済的成長を遂げるだろう。
 一方、日本の大学出版部協会が直面する少子化と大学改革は、長期的な減少要因として作用し、多くの出版部は抑制された経営の安定化を指向しながら、編集・販売両機能における質的充実に向かわざるを得ないだろう。
 中国と日本の二極構造化を、中国大学出版社協会の志向する「グローバル化」と、日本大学出版部協会が辿る「非グローバル化」と見た場合、三カ国セミナーの推移にどのような諸相が見えるだろうか。
 中国大学出版社協会のグローバル化は、国内市場を超え、翻訳著作権の売買や共同出版を通じて国際展開を図る道筋であり、日本大学出版部協会は、日本語文化圏と独自の市場システム、漸減する市場規模の中で「非グローバル化」の道筋を辿ることも予測される。
 このような構造下における三カ国セミナーの「共通課題」の設定には、10年間の交流とそれによって培われた相互理解・共通認識を基礎とした新たな展開が求められる。

三カ国協力調印書と三カ国セミナー
 2006年京都セミナーにおいて「日・韓・中大学出版部協会協力調印書」が取り交わされた。協力調印書は三カ国の大学出版部交流にとって基本的な合意事項が盛り込まれたものであり、「三カ国セミナー交流を基本として、より具体的な交流への移行」が意図されていることは明らかである。「相互理解・共通認識」の形成から「実質かつ実利的な国際交流」への移行と、「今後10年の三カ国セミナーの実質的な交流」に向けた新たな第一歩を踏み出すことを意味するものである。
 協力調印書に基づく交流は、情報の交換の他に物の交流、つまり三カ国の出版物の交換(交流)も含まれる。2006年京都セミナーにおいて企画された三カ国の書籍展示は、セミナー終了後に、京都のジュンク堂BAL店に移され、1カ月間にわたって開催されるブックフェアに再展示されて日本の読者へ紹介された。
 この試みを「協力調印書に基づく実質的交流の一環」と位置づけ、次回セミナーに継承し、「三カ国間の書籍展示の場」を設定することも考えられる。
 また三カ国間の今後10年の交流を、翻訳著作権の売買や共同出版、あるいは共同市場の創出といった視点で見るならば、二極構造や言語の問題は三カ国の実質的交流を阻害する要因として作用することは無いであろう。むしろ三カ国間による「著作権の共通理解」と「適切な契約形態のあり方」などがセミナーの新たな共通課題として想定できる。
 三カ国セミナーの今後の10年にとって必要なことは、二極構造の中において、実質的な交流とは何かを的確に捉え、理解することのできる「複眼的視点」ではないだろうか。

 日本における大学出版部の動向

 2005年7月、日本大学出版部協会は「有限責任中間法人大学出版部協会」として再発足し30大学出版部となった。協会未加盟出版部で組織される「大学出版部連絡会」には11の大学出版部と大学が集い、情報交換や学習会を開催して協会加盟の準備や大学出版部設立の準備を進めている。この中には国立系出版部と大学が多く集まっている。
 今後10年という時間の中で、日本大学出版部協会の将来を展望するならば、国立大学系出版部が徐々に協会運動の中核を担ってゆくという可能性も考えられる。その姿は未だ漠たるものであるが、この三カ国セミナーに過去10年以上の永きにわたって関わってきた者の1人として、日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナーに新たなメンバーが集い、より実質的な国際交流へと発展してゆくことを心より期待したい。
(事務局長、東海大学出版会)



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