これから求めていくべき「力」を考える

黒田 拓也



 昨年8月25日〜27日の日程で、恒例の大学出版部協会夏季研修会が福岡で開催されました。毎年1回開かれるこの研修会は、28大学出版部のメンバーの多くが参加し、全体会ではケーススタディが行われ、さらに各部会(編集・営業・電子・国際)に分かれて活発な議論が展開されます。
 昨年は、そこに新たな試みが加わりました。編集・営業両部会共同で「拡大編集企画ケーススタディ」が企画され、そこに書店および販売会社の方々を招待し、これまで編集部会内で行われていた「編集企画ケーススタディ」を公開したのです。
 あえて外部の方々にこの「ケーススタディ」を公開したのは、「書店激戦区」である福岡で、書籍販売に関わる多様な方々に、われわれが携わっている「学術出版」のあり方をご理解いただき、今後の新たな出版の方向を共に議論していくベースをつくりたいと考えたからでした。
 名古屋大学出版会で数々の定評ある書物の刊行を手がけてきた橘宗吾氏によるケーススタディは、書籍編集に関わる者にとってはひとつの重要モデルとして、それ以外の方々にとっては、書物が構想されてから企画化まで、そして企画化から刊行までの長期にわたる苦闘が、さまざまな場面が眼前に浮かび上がるようなかたちで提示されました。
 この試みを通して、書店・販売会社の方々には書籍の編集に対し強い印象を持っていただけたようで、われわれにとって非常に喜ばしくかつ力強い援軍を得たような思いでした。
 以上に紹介させていただいた試みは今回の夏季研修会のひとつのクライマックスでしたが、その試みにも触発され、ここではもうひとつ、われわれが研修会および編集部会で重ねた議論の一部を紹介し、そこから私なりの私見を披露してみたいと思います。なお、以下で展開される議論は、筆者の個人的なものであり、東京大学出版会および大学出版部協会の意見を代表するものではないことをあらかじめお断りしておきます。

 われわれの夏季研修会は、「ケーススタディ」をひとつの核にして開催されます。これは毎年ひとつの大学出版部に報告が要請されるものです。昨年は京都大学学術出版会から、「京都大学学術出版会の現状と課題:主に企画・編集の側面から」と題された報告がありました。報告を担当された鈴木哲也氏の詳細なレジュメをここで紹介できないのは残念ですが、私なりにその報告を整理すると、以下に挙げる7つの、非常に興味深い論点を提示できます。
 (1)コスト・利益構造、(2)博士論文等をベースにした書物の企画・編集のあり方、(3)叢書・シリーズ、(4)教養書・教科書、(5)刊行物の分野別・領域別の構成、(6)販売のあり方、(7)助成金(出版補助金)
 上に挙げた各論点は、大学出版部だけではなく、広く専門書版元と呼ばれる出版社すべてが日ごろ問題意識をもって取り組んでいるものかと思います。しかしながら、それらの多くをバランスさせながら活動していくことにはさまざまな困難が伴います。これからの議論は「大学出版部」を念頭においていますが、「大学出版部」のなかでもその規模、組織形態等必ずしも一様ではないので一般化しづらいのが現実です。しかし、これまで私が参加してきた「編集部会」における議論の積み重ねから感じることは、けっしてそのような差異は大きな問題ではなく、その場その場で「いかに明確な問題意識を持つか」ということが重要で、「出版」という活動に携わる以上、置かれている立場の相異こそあれ出発点は一緒であることを前提にしたいと思います。
 7つの点のすべてに詳しく言及するのは筆者の能力に余るところですので、ここでは順不動ですが、先に挙げた論点を強弱をつけながら考えてみたいと思います。
 順序が逆になりますが、まず(6)の点から。
 出版業界全体の不況が久しく叫ばれるなか、専門書の出版を中心におく大学出版部にとって、このテーマほど、「なんとかしたい!」ものはないように思います。出版部数は限られた範囲で価格も高価。自ずと書店で読者の方々の目に触れる機会はどうしても少なくなります。そこに内容も難しい、となったら手枷・足枷をはめられているような気さえします。でもここでくじけては、われわれ大学出版部の「ミッション」である、出版という行為を通じての「学問の普及、発展への貢献」は実現できません。ではどうしたらよいのか。現時点で、残念ながら明確な答えはないのですが、夏季研修会およびその後のフォローアップの議論のなかでひとつ私なりに重要なイメージがつくられてきました。それは、編集者によるさらなる販売への関与、加えて営業・販売部門における編集的機能の強化、ということです。両者は当然、重なる領域をもっています。ベン図のイメージです。
 ある書物についての情報を一番もっているのが著者であり担当編集者です。その情報はどのように生かされているのか。私は現在編集部に身をおいていますが、過去の経験をふりかえって、書物をとりまく情報の生かし方について満足のいくものであったかどうか、仮にうまくいっていたとしてその経験をみえるかたちで蓄積し他者と共有できるような状態にできていたかどうか、確固たる自信はありません。販売担当者との打ち合わせやいくつかの場面において情報をやりとりする機会はありますが、それが生きた情報になっているのかいつも不安です。
 一方、販売担当者のほうは、その書物に関する情報に対してどのような姿勢で臨んでいるのでしょうか。生きた情報を引き出す構えになっているでしょうか。自らが活用できる情報を得るには、当事者間の意見交換だけではなく、最終的に読者に販売していただく書店の状況のより精確な認識、編集者とは違った観点からの読者層の把握等といった受身ではないアプローチがより求められているように思います。そのためには販売担当者も売るべき書物に対し明確な問題意識をもってその都度接していかなくてはならないと思います。
 おそらく、専門書の出版において編集者と販売担当者との間のコミュニケーションの問題はもっと真剣に詰めるべき課題でしょう。編集者があらゆる手段を使って販売の実践に取り組み、販売サイドでは書物に関する情報だけでなく、その著者やとりまく学問的状況等について積極的にアプローチしていく、といった能力を高めることが必要です。双方向から迫る努力なくして良質なコミュニケーションは成立しません。
 編集部会では、編集者が販売に取り組む方法のひとつとして、さまざまなメーリングリストを活用した販売促進の方法など具体的な議論も重ねられていますが、今後、大学出版部協会全体でもその手段の多様性をもっと追求していくべきでしょう。
 販売担当者の編集的機能の強化については地道な努力を続けるしかありませんが、先の「公開ケースステディ」に参加していただいた書店・販売会社の方々のご意見を拝聴していると、その能力はいま切実に求められていて、いかに質の高い情報を提供できるかが最大の課題であり、その先に現状と比べてどのような変化が生じるのか、間断なく見極めていく必要があるように思います。
 最近、個性的で魅力的な書物を刊行している、一人もしくはごく少人数で営まれている出版社がありますが、その成功しているところでは、日常の活動でこれまでに私が感じたことが自ずと実践できていると思われ、その活動からは大いに学ぶべき点があるように感じています。

 上記に関連して(1)について。この点は、とくに各大学出版部の個性が出るところです。本号の山本氏の論文でも触れられていますが、現在28ある大学出版部のそれぞれの形態は実にバラエティに富んでいます。株式会社もあれば有限責任中間法人、財団法人の形式をとっているところ、大学の一部局として成り立っているところ、そして規模の違いもさまざまです。したがって自ずとそれぞれ基準とする経営指標も違いますし、出版事業における収益構造も多彩です。しかしながら先の(6)について述べたことの努力を前提に、いかに効率の良い経営体質をつくりしっかりとした書物を刊行し続けられるか、という課題は共有できることです。ここでは(1)と(6)の相互関係、さらには企画全般に関する課題との関わりをみていく必要があるでしょう。

 経営体質をどのようにバランスさせていくかは、売上げがあがる、つまり先の(6)の課題の克服が大きな要素であるわけですが、それを支えるのが(3)(4)(5)のあり方です。教養書は定義が難しいのですが、この分野は多くの出版社がしのぎを削っているところでもあり、また近年は「新書ブーム」といわれるように多様な新書が登場し、価格面でも安価なわけですから規模の小さな出版社にとってはなかなか競争力の発揮しづらいところです。
 そうなりますと「大学の中」に身をおくわれわれとしては、とくに良質な教科書の継続的な開発・刊行に力を注ぐことが、やはり必要不可欠なものになってくるでしょう。手前味噌ですが、東京大学出版会においては法律学の分野で高い評価を得ている教科書が複数存在し、売上げ全体に占める割合は非常に大きなものです。また東大教養学部の蓄積を背景にしたさまざまな教科書群も重要な位置を占めています。ただそのような教科書の開発は時間もかかりますし、著者がかけるエネルギーも莫大です。
 しかしながら、あくまで私見ですが、良質の教科書というのは、単に安定的な販売が見込めるというだけではなく、真に学問の最先端への扉を開いてくれるものだと思っています。著者の深い知見と行き届いた配慮がちりばめられた教科書には、学問の先端へと導くいくつものヒントが隠されています。だとするならば、そのような教科書の開発・刊行は、大学出版部に課せられた「ミッション」をまさに体現するものであるように思います。
 教科書から一歩踏み出して、専門性と体系性を併せ持ったものとして叢書・シリーズ(講座も含む)は位置づけられますが、この形態の難しさは今日増すばかりです。まず「全○巻」という数冊まとまったものは、ある一定期間をすぎるとなかなか書店に置き続けてもらえないという現実があります。日々多くの書物が刊行されるなかで限られた書店の棚スペースを考えるとそうした苦しい現状も致し方ないとも感じてしまいますが、ではこれまでにその時代時代の重要な学問的成果を叢書・シリーズ(講座)という形で世に問うてきたものに変わるオルタナティブをどのようにつくりあげていけばよいのでしょうか。もはやそのようなものは必要ない、無理だという意見もあると思いますが、日々研究の現場に接しているとなにかのかたちで全体像を伝えたい、とやはり強く思います。どういった分野のものが求められているのか、どのような領域をカバーしていったらよいのか、そしてそれをどのような「器」で読者に提供したらよいのか、ここでも格好よくいえば、現場と市場とのコミュニケーションのあり方が問われているのだと思います。

 最後に(2)と(7)について。大学院の重点化以降、ある意味制度的に博士論文が数多く生産されるようになりました。深く考察された多様な研究成果が多く生み出され、それが出版を通じて学問のさらなる発展に寄与していくならばとても素晴しいことではありますが、事はそう単純には運びません。大学出版部はもちろん、さまざまな出版社に博士論文をベースにした出版の打診の数は増え続けていると思います。それらを出版してある一定以上の読者を獲得できればよいのですが、なかなかそうはならないのが現実です。それを乗り越えるには、その博士論文がどこまで当該領域の枠を越えていけるのか、京都大学学術出版会の鈴木氏の言葉を借りれば、「「二周り外」の領域へのインパクト」をどこまで持ちうるのかが出版への大きな鍵となります。ここに編集者や出版に携わる者が関与する余地があります。
 しかしその関与のあり方は簡単ではありませんし、マニュアルもありません。そこにあるのは難しい判断のオンパレードです。その論文の個性をいかにピックアップし、「「二周り外」の領域へのインパクト」をどう見出すのか、それは本当に求められているものなのか、この書物が先頭になって新たな分野を切り開いてくれるのか、書物の経済性をどのように担保するのか(ここでの出版助成金の役割は大きく、現実問題として多様な助成の制度をしっかりと認識しておく必要があります)等々、悩みはつきません。ただそれを乗り越えたものは、派手さはありませんがしっかりとした売行きを示し、結果として出版社にとって大きな貢献をしてくれます。
 言うは易し、行なうは難し。その実践の難しさは、これまでに挙げた7つの論点の大部分が、「編集」と言い換えてもよい連続した作業のなかにすべて埋め込まれているからなのではないかと思っています。したがって「編集者」も「販売担当者」も同様の「力」が高いレベルで求められているのです。7つの論点のそれぞれのなかで議論されるさまざまな課題がバランスされ、あるひとつの明確な像としてむすばれるとき、成功の道筋が見え、出版のダイナミズムを感得できる瞬間が訪れるのかもしれません。

 2005年7月1日に大学出版部協会はこれまでの任意団体から「有限責任中間法人」へと「法人化」されました。これまで以上に個性ある事業を行える可能性が高まりました。どのような事業を行うにせよ、質の高い書物を刊行し、学問世界の面白さ、楽しさ、厳しさを広く世に伝えていくことが最大の課題であることに変わりはありません。ここでは私個人の私見として、個人的にさらには大学出版部に身をおく仲間の皆様との議論を通じて、その唯一とも言っていい目標に近づくために、どのようなことを考え実践していくか、そのひとつの方向性を述べてみました。今後の議論のたたき台になればと思います。
(東京大学出版会編集部)



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