「第六回モスクワ国際ノン/フィクションブックフェア」
派遣報告(前編)


中村 晃司



 はじめに

 2004年11月29日から12月7日の9日間、国際交流基金(JF)と出版文化国際交流会(PACE)が共同し、ナショナル・ブースを出展する「第六回モスクワ国際ノン/フィクションブックフェア(12月1日〜5日開催、略称non/fiction)」に、会場での応接・出版事情の調査等を任とする派遣専門家として参加した。今回、日本大学出版部協会に派遣要請があり、国際部会員でPACE会員社の所属である筆者がその大役を引き受けた。本稿は、次号(夏号)と2回にわたり、ロシアでの出版人や教育関係者、大学出版人との交流という得がたい経験を踏まえた現地の出版事情について紹介したい。

 JF/PACE共同プロジェクト

 JFとPACEは、出版物を通じた国際的な文化交流・海外における日本理解研究の促進を目指し、共同プロジェクトとして、毎年十数件の国際ブックフェアに出展参加している。JFは、日本に関する研究・教育を行う海外の研究・教育機関に対して日本関係の図書寄贈プログラムを運営しているが、このプロジェクトでの展示書籍は、原則としてプログラムに申請され採択された機関に寄贈される書籍で構成される。つまり、残念ながら展示書籍は「見本」であり、来場者は購入することができない。この点を承知し、書籍の管理や購入希望者には寄贈先を教えたり、アマゾンなどのボーダレスなオンライン書店を通じて購入する方法を説明するのも大事な任務となる。特にロシアでは、様々な要因が重なり、総じて和書の入手が非常に困難であることから、フェア期間中の購入希望者が後を絶たなかった。
 今回の展示書籍(日本関連の英文書、和書《絵本・漫画・グラビア・写真集等を含む》)226点は、在ロシア大使館を通じ、経済法律学院(クラスノダール)、モスクワ大学アジア・アフリカ諸国大学、リャザン教育大学に寄贈された。

 non/fiction

 non/fictionは、正式名称をInternational book fair for high-quality fiction and non-fictionとする、ドイツ、ポーランド、東欧・北欧・CIS諸国を中心に14カ国、191の出版社・団体・書店らが集まる比較的小規模のブックフェアである。アジアからは日本ブースが唯一の出展であった。モスクワにはもう1つ、「モスクワ国際ブックフェア」という出展者3000社・入場者数30万人以上の巨大ブックフェアが9月に開催されている。non/fictionはスケール面で太刀打ちする余地すらないが、後述する独特の特長を活かし、巨大な相手の存在に埋没せずに年々拡大を続け、今年の出展数は昨年比で3カ国・約30社増加した。
 アスト(ACT)・ナウカらの出版グループ体、アズブカ社・シンポジウム社といった大手出版社の出展はもちろんのこと、日本文学専門出版社として著名なギペリオン社、歴史書のテッラ社といった良書の出版を続ける中小出版社は、より選ばれた読者や関係者が集まるこのフェアでビジネスチャンスを狙っている。
 大学出版部の参加は、サンクトペテルブルク大学、モスクワ人文大学、モスクワ大学文学部、マリア・キュリー・スクラドフスカヤ大学(ポーランド)があり、マリア・キュリー大学を除き全てを訪問・出版事情のヒヤリングを実施した(ロシアの大学出版部事情は、モスクワ大学出版部訪問記と併せて次号で紹介する)。

 熱心な読者が会場に

 会場はエルミタージュ、プーシキンと並ぶロシアを代表する美術館であるトレチャコフ美術館の新館と軒を同じくする中央芸術家会館の2階。約3000平米のスペース全てを利用する。地下鉄の最寄駅(環状線・オクチャリフスカヤ駅かパルク・クリトゥルーイ駅)のホームから会場までは慣れた足で15分、お世辞にも便利とはいえない場所である。ところが地理的ハンディをもろともせず、オープニングを迎えると同時に入口には行列ができ、開場後1時間を経たずしてクロークがパンクした。フェア2日目からは、会場の3階スペースで大学進学フェアが同時開催され、その相乗効果も働いたのだろうか、人の波が途絶えることはなかった。このフェアへの期待、読者、出展者を引き寄せる魅力とは一体何なのだろう。その答えのヒントは、昨年の地元紙によるnon/fictionとモスクワ国際ブックフェアを比したこの評にあるように思う。

 「ブティックとスーパーマーケットの違い」

 “高水準のフィクション・ノンフィクションの展示”を目的とするnon/fictionは、人道主義的・教育的文学、芸術、建築・デザイン、ビジネス関連等の作品の展示、中小規模の出版社の参加、文学賞作家の講演、図書館学への貢献などに重きが置かれる非常に個性的なイベントとして、現地メディアで高く評価されている。熱心な読者にとっては、お宝(好みの本)は品揃えが洗練されたブティックで探す方が容易で気分がいいというわけだ。

 会場では書店の半値で

 ロシアには書籍定価制(再販制)がない。書店ごと定価はバラバラであるが、特価販売をしていない限りは大体似通った値段が付く。このフェア期間中、市価の半値程度で販売をしているブースが目立った。ブース訪問の際、定価と製作原価の関係について尋ねてみた。大学から完全資金援助を受けている大学出版部を除き、概ねフェア会場での売価が販売代行会社への卸値で、そのほぼ倍額が書店の市価なのだそうだ。また、製作原価は市価のおよそ25%が目安だという。
 現地アシスタントによると、少しでも安く買うために一般書店よりも若干安いネット書店や、出版社に直接買い求めることも稀でないようだ。会場では両手に手提げ袋をぶら下げて帰路につく人の姿をよく目にした。やはりこのフェアの最大の魅力は、高水準の格安直売場としての存在なのだろう。

 「売れてしまうんだよ」

 相当な売行良好書や教科書採用分以外、一般向けの書籍の重版はしない傾向にあるそうだ。準大手から中小レベルの出版社の初版発行部数は、一般向けで5000部、専門書で1000〜2000部、中には300、500部といったものもある。多くの出版社では、重版するならに次の新刊を、という意識が強いという。自転車操業的な要因もあるようだが、どうもバックリストを長年保管するという嗜好がなさそうだ。モスクワ大学出版部での話だが、過去20年で8397点発刊し(年間約300点、平均2000〜3000部)、現在販売可能なのはせいぜい500点程度。年間で5〜6点の重版しかないとのこと。「売れてしまうんだよ」というティモフェエフ出版部長の自信に満ちた言葉に、さすがに困惑した。モスクワ人文大学出版部の話しだと、販売代行会社経由の書店委託販売分(期間は3〜6ヶ月)の返品がおよそ25%というから、強ち虚言でもなさそうだ。
 印税は契約条件にもよるが、卸値の5〜10%の印税分に相当する本を渡して終わりというケースが多いそうだ。重版機会の少ない傾向を加味すると印税を収入源とする著作者は意外と少ないのだろうか。「著者は、印税よりも出版機会を得ることに喜びを感じる」と、どこかで聞いたことがあるフレーズも耳にした。
 旧ソ連時代から続いてきた出版社登録制度が約10年前に廃止され、年を増すごとに活性化してきたロシア出版業界であるが、その裏側は共産主義の名残か、驕れず欲をかかず案外地道なのである。
(次号に続く)

(東海大学出版会・協会国際部会員)



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