歩く・見る・聞く――知のネットワーク35

岡本太郎記念館

伊藤祐二



 中学を出るとき、仲間と企んで、おのれの卒業のために祝電を打った。差出人を「岡本太郎」として。まさかと思ったが、これが式典で堂々と読み上げられた。子供の悪戯だが、これはこれでハプニング的な作品として僕らは満足していた。
 思えば「芸術」を初めて体験した記憶は、ピカソでもセザンヌでもなく、岡本太郎だった。彼の思想など微塵も解さなかったが、同時代にその爆発を見て、その火の粉を浴びた(彼は誤解を受けることを承知でメディアに登場し、はたして僕たちは誤解したのであった)。稚拙な方法ながら、なにかパフォーマンスによって観衆を驚愕させようとした僕らにとって、祝電の送り主は岡本太郎でなければならなかったのである。
 数年して東京青山の岡本太郎記念館を訪れ、画伯の霊前に、かつてお名前を無断で拝借した無礼を詫びた。記念館には超リアル岡本太郎ろう人形がある。小さい目玉をひん剥いて両手を広げ「ン……ナンダコレハ」という、あのポーズでスックと立っている。その人形に向かって一礼。
 ここは、1996年、84歳で逝くまで、岡本太郎のアトリエ兼住居だった。1953年から約40年にわたって彼が生活した空間である。したがって、作品を展示してはいても、「記念館」の名のとおり厳密には美術館ではない。しかしここでの体験は、ツンとおすましした美術館で岡本の「名画」を鑑賞するのとはわけが違う。神棚にまつりあげられ、日常から遊離してしまった芸術・伝統を批判し、徹底的に捉え直そうとしたのは、ほかでもない岡本太郎だったのだ。あるじ不在の邸宅に残された作品たちが、岡本の言葉を体現するように未だ衰えぬエネルギーを放つ。加えて言えば、ここはそもそも、岡本一平・かの子・太郎の一家が永く生活した場所。この土地には濃厚な地霊が宿っている。
 岡本一家の旧居は戦災で焼失した。新たに建てられた岡本太郎邸(記念館)は、ル・コルビュジェの弟子、坂倉準三の設計である。コンクリートブロックを積んだ壁に凸レンズ型の屋根を冠した、岡本太郎に似つかわしいユニークな「顔」をもつ、住宅建築の傑作だ。「凸レンズ」は正面からみると目玉のようにも見えるし、裂け目のようにも見えて、示唆的である。写真をカラーで見せられないのが残念。坂倉による無彩色の器に、岡本太郎のカラフルな作品が映える。
 さて内部に行こう。家だから、靴を脱いで入る。広い吹き抜けの玄関ホールからまず2階へ、坂倉の明快なレイアウトはシンプルだが、吹き抜けを横切る渡り廊下は、まるで空中を歩くようでアクロバティックだ。2階の広間に展示された絵画を観たあとは階下へ。住居だった当時そのままのリビングルームとアトリエが見物できる。アトリエは、朝夕を問わず安定した光が入るよう、北側一面に大きな窓を設けている。それは柔らかな独特の光で、視覚が研ぎ澄まされてゆくようだ。このアトリエの光景は、岡本太郎が見た光そのままなのである。
 緑に囲まれた前庭では、そこかしこと置かれた岡本太郎作品を五感で体験。有名な「座ることを拒否する椅子」に思う存分座れる。椅子に刻み込まれた大きな目玉が尻を凝視する、堅い凹凸が肉に食い込み骨を打つ、でも、椅子に顔があったっていいじゃないか。そして、岡本太郎ツアー最後のイベントは、テレビCMで知られた久国寺の梵鐘、全体にトゲトゲの生えた、あの鐘である。傍に鐘木が置いてあるので、これは人目をはばからず思いきり打ち鳴らすのが良い。打ち疲れたら、隣接するカフェでひと休み。お疲れさまでした。
 もっと作品を堪能したいという方には、あわせて 川崎市岡本太郎美術館(http://www.taromuseum.jp/)にも足をのばすことをお勧めする。
(法政大学出版局 伊藤祐二)

所在地  東京都港区南青山6-1-19
     東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線
     表参道駅より徒歩8分
開館時間 10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日  火曜日(祝日の場合は開館)
     年末年始(12/28〜1/4)及び保守点検日
観覧料  一 般 ¥600(¥500)
     小学生 ¥300(¥200)
     ※( )内は15人以上の団体料金
電 話  03-3406-0801
URL    http://www.taro-okamoto.or.jp/



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