昭和レトロと原風景

品田 穣



 昭和レトロが若者にも人気だという。大きな古時計に小さなちゃぶ台、縁側の日だまりでネコとうたた寝をする。里の小川ではメダカが遊びホタルが……。そんな原風景に何故か惹かれる。しかも、今回だけではない。昨年は大江戸四百年、つい数年前にも、江戸のリサイクルや花鳥風月がブームになったことがある。なぜ、人々は、時代を超えて、昔の暮らしや風景に惹かれるのだろうか。心の中に、かつての暮らしや自然に人々を引きつけて止まないものでもあるのだろうか。

 人間に自然は何故必要か

 「トンボか、電力か」と、尾瀬のダム問題が新聞の特集記事になった頃学生時代を過ごした私は、数年後、自然保護と開発の渦中に、当事者として身を置くことになる。道路公団の上高地スカイライン計画である。文部省の文化財保護委員会でスカイラインに難色を示す私は、建設側と議論をするうちに「自然は何故必要か、証明できるか?」「証明してみせます」と約束してしまったというわけなのである。スカイライン計画は阻止したものの、約束だけは残ってしまった。
 私は、まず、考えられる限りの思いつきを並べたて、こんなに役に立つ(効用がある)のだから自然は必要なのだと説明するつもりだった。自然は酸素や食料を供給し、汚染物質を吸収する。そればかりではない。騒音防止にも、公害の指標にもなるし……というわけである。
 しかし、まもなくこの方法では「自然はなぜ必要か」を説明するのは難しいことがわかってきた。
 そのうえ、この考え方は、自然を資源として役立てようという人間中心主義が前提になっている。もともと、資源以外の「ヒトと自然のかかわり」は対象外のことであった。
 そこで、「人間と自然が欠かせないほどの構造的なかかわりがあるとしたら、自然が失われたとき、人間の側に何らかの総合的な反応があらわれるはずだ」と考えた。そして、その反応として「自然を求める行動」に着目した。そこから逆に、原因を探っていこうというわけである。
 自然を求める行動は、自然が失われてきて必要な状態になったときが問題である。そう考えて、都市化が進行し、身の回りから自然が失われてきた平城や平安の都の人々のふるまいをみることにした。その結果、和歌や倭絵、庭園など、明らかに自然を求める様々な行動の徴候が見出された。さらに、都市化がすすみ人口百万人、人口密度数万人に達して自然の失われた大都市の江戸では、自然が失われれば失われるほど、切実に自然を求める行動があらわれることが認められた。これらの事実から人間に必要な自然が欠けると、欠けたものを補うかのように自然を求めて行動するということが言えそうであった。逆に言うと、自然を求める行動の原因は、自然が少なくなってきたかららしいと言うことができる。
 しかし、情報に乏しい歴史的事実からだけでは微妙な反応は捉えようがない。そこで、1972年から1974年にかけて環境や人口密度の異なる東京・仙台・米沢など、23箇所で、「環境に対する行動や反応」と「緑の空間」のかかわりについて、できるだけ客観的に調べた。
 その結果、一定の限界値に達するまでは、環境の変化があるにもかかわらず安定状態を保っているが、限界値を境に急激に変化して、反応に安定―不安定相の二相があることが認められた。
 この急速に減少する変曲点、すなわち安定相から不安定相の二相分岐点の人口密度は1平方キロメートル当り約2200人、緑地率約60%であった。
 そうした人々の認識とほぼ同時に、住民の行動が変化してくる。まず、隣接する自然地への行動が増える。人口密度が3000人から5000人になると、今度は少し遠出して日帰りのハイキングをしようという人が増えてくる。さらに自然がなくなると、泊まりがけの旅行が増えてくる。こうして「自然がなくなると自然を求めるようになる」ということが、歴史時代ばかりでなく現代においても言えることが改めて確認された。
 もし、このことが普遍的な現象だとすると、「ヒト」と、「緑の空間」の間には、特別な結びつきがあるということになる。そうなると、次の課題は、一体、何が、「ヒト」と「緑の空間」を結びつけているのかという問題である。
 調査の結果、人々が「自然を求めて行動」する大きな理由は「やすらぎを求めて」であった。そして、やすらぎの高い自然は「見通しのよい草原・疎開林型自然」で、かつて人類の祖先が森林から草原に進出したとき、外敵の防衛上、一定以上の見通しを必要としたことから、両者の結びつきが、進化の過程で生じたと考えることができる。
 進化の過程で自然と結びついているということは、言葉を変えると「内なる自然」が組み込まれているとも言える。

 内なる自然―原風景の謎

 最近、棚田の復元や、手づくり、自然回帰、ふるさと志向、レトロや伝統、スローライフが人々の心を捉えている。なぜ、便利化・効率化を謳歌したつい先日までとは、うって変わった社会現象が生まれつつあるのか。
 それらに共通しているものは、「人間のために役に立たせる自然」ではなく、「自然と一体化した、人間らしい暮らし」を求めていることである。
 若者や子どもも巻き込んだこうした流れには、単なる文明の反動や、ノスタルジアでない、元に戻りたくなる何か基本的なものがあるような気がする。そこで、あらためて自然に対する考え方、自然観を見てみよう。
 これまで、自然についての基本的考え方は、さまざまに変遷してきた。太古の昔から自然の中で食べ物を得て暮らしていた人々に、自然を人間の役に立てようという発想があったとは思えない。それが、産業革命の結果、人々は、自然を単なる資源、つまり、人間の利益のために利用する材料・部品と考えるようになった。それが、1960年代から70年代にかけての環境危機の時代に、これまでの価値観が根本から見直され、自然に対する人間中心主義からの脱却を必要とした。そして、西洋の自然観は人間中心主義の反対側に大きく振れ、自然には人間にかかわらない固有の権利があるとする「動物解放論」や「自然の権利」に関する主張がなされ、さらに、ディープエコロジーなどの思想も見られるようになった。これらの考え方は、環境の危機に触発、連動して起きたと見ることができる。しかし、この考え方に基づいて動物などの自然に生存権があるとすると、その生存権を人間が侵すことは許されず、牛を殺し、食べることもできなくなる。それでは人間が困るので、何とか矛盾を解決するためのさまざまな説(たとえば、意識のない動物は殺して良いなど)が提案されたが、新たな差別を生むだけで解決にならなかった。
 こうして、人間中心主義と人間非中心主義がともに行き詰まるなかで、自然と人間を区別せず、自然と一体化して暮らしてきた先住民族や東洋の自然観があらためて注目されてきた。なかでも、我が国を中心とした東洋の自然観は、ほぼ一貫して、人間と自然の関係を「一体不二」のもとして、古くは万葉の時代から、清少納言、兼好法師、を経て親鸞、道元、芭蕉と、ぶれることなく日本古来の伝統的自然観が続いてきていた。これらは、明らかに人間中心主義、人間非中心主義と環境の危機に直面して大きくぶれた西洋の思想を乗り越えたもので、自然を人間の役に立たせる存在から、人間を自然と一体のものとして考える、古くて新しい自然(じねん)の思想であった。
 一方、欧米で第三の道として模索された人間を生物や地域の共同体の一員として捉える考え方は、目標が共同体の安定や美を崩さないことを目指していた。このため、共同体の一員である他の生物を食べたり飼ったりすることも許されず、共同体の安定のために、ひたすらにフリーズしていなくてはならなかった。これでは生きていけないので、何とか解決の道を見つける必要があった。考えてみると、自然界では、生物が、食べたり食べられたりするダイナミックな活動の中で動的な平衡を保って安定しているものである。この動的な共同体の考え方に立てば、人間が他の生物に干渉する事は許される。しかし、こんどは、人間が突出した力を自由に使うと、共同体の安定をも崩してしまいかねない。したがって、なんらかの自己規制が必要になる。
 
周辺の緑や自然環境に対する
肯定的反応率の変化

 われわれが他の生物を殺すとき、本能的にかわいそうと感じるのは、進化の過程で遺伝子にいつの間にか組み込まれている感性が「内なる自然」として存在することによって、自己規制として働いている。この「内なる自然」が自然との一体化によって組み込まれたものとすると、いま、人々がレトロや伝統を通じ「自然と一体化した人間らしい暮らし」を求めているのは、「内なる自然」がそうさせているとも言えよう。では、この人間に組み込まれて、目には見えない「内なる自然」の「実像」はどのようなものであろうか。私はその一つが「原風景」と言われているものではないかと考えている。「原風景」は人によってさまざまで共通したものがないと考えられているが、私はそうでもないのではないかと思っている。右図で人口密度、約2200人、緑地率で60%のところに評価の明らかな変曲点が見られることにあらためて着目したい。なぜ、このような二相分岐点ができたのだろうか。この点までは、減少しても同じような感じ方の緑の空間がある一方で、この点を境に、急速に空間の評価が悪化・不安定化する。ということは、変曲点に至るまでは緑に対して共通して抱く感覚があり、なんらかの「基準になる緑の空間像」が存在することになる。したがって、この「基準となる緑の空間像」は、とりもなおさず、ヒトと緑のかかわりの原点の風景、すなわち「原風景」を意味しているのではなかろうか。そうだとすると、これまでイメージの存在でしかなかった原風景に「実像」が浮かびあがってくる。それは、半分以上緑のある、見通しのよい自然で、人口密度が二・三千人の、のどかな風景である。
 そして、それは進化の過程で組み込まれていた人類の原風景に一致する。と同時にそれは、民族の原風景でもあり、昭和レトロの原風景にほかならない。
(東京農業大学客員教授)

参考文献:品田穣『ヒトと緑の空間―かかわりの原構造―』東海大学出版会(2004年2月刊)



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