フォトグラファーの四季 夏

Help me! 自由を求めて

堀口 守



 忘れもしない1982年8月、ニューヨークでファッション広告写真スタジオのチーフアシスタントとして活動していた頃、ガールフレンドのエミーとプエルトリコで休暇を過ごし、その帰りに思わぬ災難?にあった事があります。
 プエルトリコの空港で、搭乗口へ延びる長い行列に並んでいると、なんと、その先頭で全員のパスポートチェックをしているではありませんか。気づいたのは私達の直前。今更逃げられません。実は、私のアメリカ滞在ビザは二年前に失効しており、労働ビザを申請中だったのです。結局、アメリカ人の彼女は問題がありませんでしたが、私は不法滞在者として指紋と顔写真を撮られ、そのまま監獄へ。彼女は弁護士と相談するため、その夜のうちにニューヨークへ戻っていきました。
 過去に同様の問題で捕まった日本人の友人は、ブルックリンで一般犯罪者と同じ監獄に投獄され、持ち込んだ現金を全て牢主に渡して身を守ってもらったとのこと。幸運にも私の場合は不法滞在者だけの監獄でした。ベッドが20程、囲いのないシャワーが5つ、便器が2つ、壁には様々な言語の落書きがあり、記念すべき日本人第1号として、名前を刻んでおきました。
 1日で出獄できると思っていたのが、2日過ぎ3日が過ぎる頃、ふとこの小さな国の監獄にずっといるのではと不安になり、鉄格子のはまった窓からHelp me!と書いた紙飛行機を飛ばしたりしました。外に見えるあの道を歩きたい、ただ自由が欲しいと夢見続けた4日目、ようやく彼女から航空チケットが届いて釈放。といっても手錠をはめられたまま護送車で空港へ。その後、行き先も知らされないまま飛行機に乗せられ、着いた先はメキシコのアカプルコでした。しかしビザのない私は、すぐにはニューヨークに戻れず、しばらくメキシコで過ごすことになったのです。
 1ヶ月半後、なんとかニューヨークに戻ることができた私は、監獄の中で常に考えていた自由であることの大切さ、また、その自由の中で創作活動をする喜びを求めて、ニューヨークに自分のスタジオを持つことを決意。1年半程の間、昼は写真の仕事、夜は日本食レストランのウエイターを休まず続け、約2万ドルの資金を作り、1984年、遂に、西27丁目に写真スタジオMA STUDIOを設立したのです。アメリカに渡って6年目の夏の事でした。
(ホリグチ・マモル/写真家)

筆者の作品は以下のホームページで紹介されています。
http://www.mamoruh.com/



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