大学出版の環境変化とその対応を考える

小林 敏



 「情報提供の方法は変化している。そのような中で三カ国の大学出版部が話し合いを持つ意義は大きい。」
 これは、「第六回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」でのソウル大学校・鄭雲燦総長の言葉である。テクノロジーの進化は、私たちの生活に物的・時間的・空間的な余裕を派生させるという意味では歓迎の意をもって受け止められることが多い。
 しかし、人間の生活は、物的・時間的・空間的な効率のみに支配されているわけではない。そこには、人間が人間として生活するのに必要な思想・良心の自由、表現の自由に基づいた精神的自由権の営みがある。いかにデジタル化が進もうとも、他人の権利を侵害してまで物的・時間的・空間的な利益を享受することは許されるべきではない。デジタル化の時代では、時としてこの自明の観念が歪められる。従来、情報というものは、何らかの送り手のプロの存在を経て社会に送られることが一般的であった。それに対しデジタル化の時代は、誰でも、いつでも、どこからでも、情報を社会に向けて送ることを可能にした。この点については、出版業界の中に情報の送り手としてのプロとアマチュアの並立を許容せざるをえない、という見解がある。いわゆるアマチュアが情報の送り手となる場合、当然のことながら著作権未確認の編集著作物を社会に向けて発信することが多くなることはいうをまたない。いきおい社会風潮の中に権利意識が高まり、法的な紛争解決の機会が多くなるのは首肯し得るところである。一方、このような時代にプロがプロであるための証明を持ち続けることもたやすいことではない。今、デジタル化の情報提供と社会正義の問題は国際的な視野の中で考えることが不可欠とされてきている。著作権保護の問題一つをとっても三カ国で話し合えることはたくさんあるはずだ。私は、耳に当てたレシーバーの奥から聞こえてくる同時通訳の早口で乾いた口調を聞きながら、そのようなことを考えていた。

 第六回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー派遣団

 2002年8月24日午前9時20分、私たちを乗せたJAL983便は名古屋空港をソウルに向けて飛び立った。今回の訪韓団は、渡辺勲大学出版部協会幹事長(東京大学出版会)を団長として、山本俊明協会副幹事長(聖学院大学出版会)と市川昭夫協会副幹事長(法政大学出版局)が両副団長、三浦邦宏協会総務担当幹事(明星大学出版部)が秘書長、三浦義博氏(東海大学出版会)、笹岡五郎氏(専修大学出版局)の両協会国際担当幹事が国際担当役員を務める構成をとり、以下、玉川常信氏(麗澤大学出版会)、高野修司氏(玉川大学出版部)、折橋正虎氏(中央大学出版部)、中村晃司氏(東海大学出版会)、後藤健介氏(東京大学出版会)、依田浩司氏(東京大学出版会)、植村八潮氏(東京電機大学出版局)、佐野雄治氏(名古屋大学出版会)、古澤言太氏(九州大学出版会)、そして、私、小林敏(慶應義塾大学出版会)の合計16名で編成された。今回の「第六回」は共通主題による“継続討議”が各国主導で一巡する会議である。その意味で私たちは、今回の会議の出来が今後の日本・韓国・中国の国際会議のあり方を大きく左右することを意識しながらの韓国入りとなった。

 国際会議、日本側発表の絶妙

 「第六回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー」は、“継続討議”の形態を確実に継承する形で進行した。そもそも“継続討議”は、私たち日本側が「第四回 琵琶湖セミナー」で提唱した会議形態である。この会議形態は、「第五回 上海セミナー」で国家や立場を超越したフリートーキングという副産物を引き出した。公式発言の形式性を重んじる国際会議としては、予想を上回る飛躍的な歩みよりが実現したのである。そして、今回の「第六回 ソウルセミナー」を迎えた。私たちは、一年間の準備期間を経て今回に臨んだ。
 まず、共通主題の発表に対しては、日本側は後藤健介氏(東京大学出版会)にその重責を託した。氏は、「日本における国立大学制度の変化と大学出版――東京大学と東京大学出版会の事例から」と題して論を進め、「日本において本格化する国立大学の再編」および「大学改革と大学出版の方向性」について言及する中から一つの重要な問題を提起した。それは「(大学出版部には)大学や研究者の出版意欲をより公共的な言説空間に開き、市場に開くようにコーディネートする編集が求められてくるのではないか」ということであった。三カ国の大学出版部が今後必ず直面するであろう問題として重要な視点を含んでいると思う。
 次に、分科会の領域では、第一分科会で笹岡五郎氏(専修大学出版局)が「変革期の学術出版とオンライン」と題する論を展開し、第二分科会で中村晃司氏(東海大学出版会)が「日本の大学出版部と電子出版」と題する論文を発表した。笹岡氏はこの発表で日本の出版データを基礎資料に据えながら現状の出版流通の問題点を鋭く指摘して見せた。特に「(韓国における)ネット書店の割引販売の現状と韓国再販事情」という例示は、日本との比較考察の萌芽を含んでいて、このまま日韓共同研究として成立させたいほどのテーマである。一方、中村氏は、「大学出版部が作るべき電子書籍」という考察を立て、「著作権保護と著作者との出版契約」の重要性について触れた上で「(大学出版部は)場合に合ったメディアを使って公刊するモデレーター(調整役)としての役割を求められる」、と結んだ。いずれの論考も国際会議としての問題の踏まえ方を十分に意識したものであった。
 思うに今回の日本側の発表には一つの大きな特長があった。それは、それぞれの論説が、他の二者の論考との間で絶妙なシンクロを見せていたことである。たとえば、後藤健介氏が提示した「コーディネートする編集」という見解と中村氏が述べる「モデレーターとしての役割」という見解は、ともに大学が知的生産の拠点であり、大学出版部はその知的生産物の公刊の担い手である、というところに論旨の基礎を置き、導きだした将来の展望に関する考察も共通の香りを漂わせたものになっていた。これが議論のコラボレーションの効用というものだろう。そして笹岡氏の論考は、市場から導き出した「学術出版社の立場」という視点で、後藤氏、中村氏の検討を市場原理から再考察する形になっている。今回の三本の論説は、日本側の発表としての全体的な統一感を漂わせるものになっており、論説相互に破綻の心配も不必要なすばらしい内容の発表であった。

 国際会議のガイドライン

 ところで、返す返すも残念なことがある。それは、日本側が提示した重要な問題提起に対し、分科会の議論の反応が鈍かったことである。今回、日本側からはそれぞれの国家制度や立場を超越したところで議論しあうに十分な論点提示がなされていたように思う。ところが、残念なことに分科会の議論がこの論点の重要性に着目しきれなかった。各国からの発言は固有の問題意識に支配されたものが多く、本来期待される議論の中枢を貫くものは多くなかった。自由な発言を保障する気運が、皮肉にも重要な論点を埋没させてしまったともいえる。そもそも国際会議というものは、立場や国家制度の異なる国の代表機関が互いに共通項を模索しあい、何らかの着地点を見出そうと努力するところに意義がある。とすれば、事前にその会議の到達点を予想したガイドラインを三カ国で検討することも今後は必要になってくるのかもしれない。国際会議のあるべき姿を求めて、私は、そのようなことを感じていた。

 大学出版部の視野

 ソウル大学校の鄭雲燦総長は、本稿冒頭の言葉に続くものとして次のように述べられた。
 「各国の出版文化の中で、大学出版の占める役割が大きくなることを希望する。また、大学出版部が世界の出版に向けて飛躍することを期待する」と。
 私たちが、日本・韓国・中国の国際会議のあり方について、「第四回 琵琶湖セミナー」で理想を描いてから二年の歳月が経過した。その間、私たちにとって大切なことは「どこが異なるか」を探すことではなく「どこの部分で話し合いができるか」を探すことだった。そもそも国家体制が異なる三カ国が会議をしようというのであるから共通事項が少ないのは当然のことなのである。それならば、国家を超えて人類の誰もが希求する社会を大学出版部がどうやって作ってゆけるか、と、そのことから考えればよい。そこには誠実で平和な社会を作るための共通のキーワードが確実にあるはずだ。「出版文化の中で占める役割を大きく(する)」ことや「大学出版部が世界の出版に向けて飛躍すること」ということも、実は、それ自体、大学出版部同士が共同で答を導き出すための一つの手段にすぎないことを忘れたくない。私たちは、2003年の「第七回 札幌セミナー」に向けて、また動き出した。
(慶應義塾大学出版会)



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