製作の現場から


28 文字体系とデジタルデバイド



■井上ひさし『東京セブンローズ』(上下、文春文庫)を読んだ。戦中戦後の社会状況と市井の人々のくらしを、団扇職人の日記という形をとって描いた力作長編である。暗く悲惨な時代が描かれているにもかかわらず、たとえば国粋主義者たちの支離滅裂な論理に、思わず笑わせられてしまうのは、作者ならではのテクニックといえよう。
■とはいえ、この本のねらいは別の所にある。すなわち、同じ作者の『ニホン語日記』(正続、文藝春秋)に連なる日本語論なのだ。そのために、小説としては破綻が生じ、結末はあまりにもスラップスティックに過ぎるのだが、主人公と占領軍言語簡略化担当官ホール少佐の対話が、この作品の圧巻であることに間違いはない。
■しかも、このホール少佐の日本語改革論は、妙に説得力があるのだ。もちろん、対抗する論理がいいかげんでは主人公(すなわち作者)の主張も生きてこないから、これも作者の意図したところなのだろう。ホール少佐は、並の日本人以上に日本語に通じた人物として描かれている。いずれにせよ僕は、読みながらホール少佐の発言に何度かうなずいていた。
■なぜなのだろう。僕はローマ字論者でもないし、漢字廃止論者でもない。作者ほどではないにしても、自国の言葉で文化を伝えていきたいと願っていることに変わりはない。にもかかわらずホール少佐の発言にうなずいてしまうのは、職業柄、正字と俗字の使い分けなどに悩まされているためかもしれない。あるいは、コンピュータとのかかわりで、漢字を扱うことのややこしさにストレスを感じているためかもしれない。最近ではユニコードの登場とそれに対応したフォントの発売によって、第一、第二水準を超えるかなりの文字が打てるようになったものの、それを使えるかどうかはOSやインプット・メソッド、そしてアプリケーションや出力機に依存する。さらに、フォントベンダーによって、収録される文字数は異なっている。この順列組み合わせの複雑さは半端ではない。もちろん、現在は過渡期ではあるのだが…。
■しかし一方では、そのようなグチを述べるのは贅沢なことなのかとも思う。三上喜貴『文字符号の歴史[アジア編]』(共立出版)を見ると、日本語などはむしろ、コンピュータになじみやすい文字体系なのかも知れないという気がしてくる。本書によれば、「英語を第一言語ないし第二言語とする人口は…世界人口の約一割に過ぎないが、インターネット利用者の六割は英語を母国語とする人口である」ということだが、それは経済力の問題であると同時に、アジア諸言語の複雑な文字体系に起因するデジタルデバイド(情報アクセス格差)の存在をも示している。漢字やハングルの文化圏を除けば、アジアの多くの民族は、英語を用いない限り、まさしく「蚊帳の外( OUT OF THE NET)」に置かれているのだ。いや、インターネット以前に、母国語でパソコンを利用できるのは、特権的な存在であるとさえいえるのである。
■『文字符号の歴史』は気楽に読み通せる本ではないが、第一章「アジアの多様な文字世界」、第二章「文字符号の前史」、そして第六章「デジタルデバイドと文字符号」は、多少とも文字に関心のある人間であれば興味深く読める内容だ。アジアの多様な言語と文字体系の存在を知り、それをコンピュータ上で利用するためにどのような努力と工夫がなされているかを知ることは、日本語の問題、JISコードや漢字制限の問題を考える上でも必要なことだと思う。人により、結論はさまざまであるにせよ…。
(埼玉キブンルーズ(FEELING ON THE LOOSE))



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