大学の価値は上がるか
― 広報機能からみた公開講座 ―

近藤 真司



 「公開講座」の情報発信

 都内、関東近辺で電車にのると「大学」の広告を目にしない日はない。「中刷り」広告、「棚上」広告には「公開講座」の広告が並ぶ。
 ここで提案したいのは「個性」の発揮である。
 公開講座の意味は、その存在を社会に広めることにある。そのためには情報戦略が重要だ。「社会」に知ってもらうには「広報」「広告」を効果的に行うことが大切である。
 ではいま大学のもつ「学習資産」の公開・拡張をどのように行えばよいのであろうか。また「何」を「どのように」拡張すると大学の価値が上がるのか。それをどんな手段で行えばいいのだろうか。
 少子高齢社会に移行したわが国では、大学の「マーケティング」の見直しが図られつつある。「一八歳人口予備軍」に対するマーケティング活動としての「大学から高校に出向く出前講座」を実施する高大連携、「スタディツアー」はかなり具体化されている。
 一方「社会人」に対するマーケティングはどうであろうか。65歳以上のシニア層、40〜60歳の管理職層、20代、30代の流動層などに「大学」のメッセージが「ターゲット」に届いているのか。

 大学の情報発信が社会人から「認知」される要因

 1995年以降、ICT(情報コミュニケーション通信技術)時代に入った。これは「学習方法」「教育方法」を根本から変革する可能性を秘めている。
 これからの「初等教育」の「教室」では、先生にインターネットにつながったパソコン1台、生徒側にインターネットにつながったパソコン1台、つまり最低2台は「外界」とつながった「学習空間」になる。大学は「教室」から「学習空間」に脱皮できるのであろうか。
 ICT時代において、ホームページはもともと広報機能をもつ媒体として生まれた。学習者にとってホームページは、そのものが「学習」の情報源である。情報化の進展は、インターネットを媒介として学習者に学習コンテンツを直接提供することを、可能にしている。個人としての学習者が、いわゆるブロードバンドの環境を整えることができれば(つまり、回線料金、コンテンツ料金を支払う能力があれば)、可能である。
 早稲田大学エクステンションセンターで行われる「公開講座」を (株)早稲田大学ラーニングスクエア(http://www.wls.co.jp)では、ブロードバンドと衛星両者のプログラムにより、個人や全国の生涯学習センター、カルチャーセンター、高齢者福祉施設(まだ元気なシニアが入所する)等への配信を行っている。
 文部科学省実験事業のエル・ネット「オープンカレッジ」(衛星通信を活用した「空」からの公開講座。受信は全国の2000カ所の公民館等。約50大学が参加。 エル・ネット「オープンカレッジ」http://www.opencol.gr.jp)のポイントは、「団体利用」の活用である。
 「団体で学ぶ」ことにより、学習が個人ベースで行うよりも促進する可能性がある。お互い同士の議論、意見交換がなされる。決まった時間に集まる楽しみ、さらに受講後の人間的なふれあいが大切である。学習「同志」的連帯は、成果を社会に還元する可能性を秘めている。
 講師と学習者が相互に「受信」「発信」し学習を深め、その結果、人と人とのつながりが変わっていく。

 社会人の求める生涯学習

 いま、不況の風が吹いている。このため30代、40代のサラリーマンは「自衛」の必要にかられている。このため最小「コスト」で最大「効果」の出る「学習機会」を求めている。インターネットで仕事をする時代に入り、「大学の研究目的から開発された」インターネットが企業・ビジネスに最大限に活かされている。特に、リサーチに威力を発揮する。このリサーチに「大学」がひっかからないと「伝達」できない。仮にリサーチにひっかかっても、「比較」される。学習内容、シラバスが詳しく、わかりやすくないと「ユーザー」は納得しないのだ。「目線」を「社会人」に合わせる必要がある。
 大学の本分である「知」の集積地としての機能は、わかりやすく表現する必要がある。「学習者」にやさしい「サービス」が必要なのである。学習のバリアフリー、ユニバーサルデザイン化が必要なのである。障害者、高齢者に使いやすい、わかりやすい、参加しやすい「公開講座」が必要なのである。
 また、さきほど指摘したように、大学は「知」の集積地である。大学の教員が「知」をもつのは当然のことだが、職員にも「知」のセンスが必要だ。大学を知ってもらう、開放するのには「教員」と「職員」が同じ土俵に上らなければならない。さらに相互に協力して「集積効果」を出さなければならない。大学はもはや「教員」の個人商店の集まりではないのである。相互の社会的能力開発にも自身の「生涯学習」活動が重要である。
 私学では事務、情報化を共同の会社を設立して行おうという動きがある。共同で広報を行うメリットは単独ではできないことができることである。参考例として、 東京一二大学広報連絡協議会(http://www.tokyo12univ.com)朝日新聞の公開講座紹介サイト(http://www.asahi.com/openschool/)、大学出版部協会などが挙げられる。
 ホームページを活用した「総合的学習メニュー」の集積効果はコスト面で効果が期待できるということであり「収益性向上」に近づくことになる。
 また、学習者にとっても多くのメニューがあるということは選択肢がひろがり、選ぶ楽しみ、比較できる楽しみをもつことでもある。

 「公開講座」を新しいメディアと捉え直す

(1)研究報告メディアとして
 大学公開講座が知的な情報プロバイダーとして、他の領域の「知」(企業、研究所、博物館など)と手をつなぎ、大学の公開講座として、知識、知恵を世界に発信、他の領域とのネットワーク関係と協力体制ができる可能性をもつ。
(2)教育実施メディアとして
 大学公開講座がeラーニング、WEBで活用可能な「教材」の研究・開発を行い、教員、職員等の研修(いま行われている講座・講義をどのようにリメイク、作り変えるのか、使いやすいものにするか)を検討する必要がある。
(3)社会貢献メディアとして
 「地域」の生涯学習の拠点として「地域に新しいかたちの学習集合体」、たとえば「○○大学公開講座友の会」の「掲示板」を大学生涯学習センターでWEB上に用意する。

 大学の社会的意味の再確認

 教育機関として自治体の社会教育やカルチャーセンターと比べての大学の優位性は、現状では施設と人材である。専門分野における講師としての人材をもっている。大学の劣位性は前者とうらはらではあるが、人材となるべき教員が生涯学習・公開講座に関心が高くないことである。
 大学の組織としての意志決定に時間がかかりすぎること。まとまらないこと。総論賛成、各論反対に陥りやすいこと。リーダーシップの発揮ができる大学ほど公開講座、地域開放が進んでいる。
 大学は地域社会の一員。その持てる資源を「公開する」ことにより、社会、地域、社会人から認知されることができる。社会人に近づく努力をしなければならない。社会人入学フェア等への参加、ミュージアムショップ方式・ブランド商品、生涯学習成果の商品化、公開講座受講生会員に対する会報送付、学習ソフトの開発、寄付講座(企業等)、資格講座の開設などが望まれる。

 メディアと「学習」の意味――論点の整理

(1)基本は「リテラシー」
 読み解く力をつけるのが学習の本質。学習メディアに新旧はない。大学の公開講座の成果を「かたち」に残す。
 公開講座の成果を「本」にすることは重要である。一方的「承り型学習」つまり、いいお話をうかがった、ありがたや、ありがたや、では「大学」がやるべきものなのだろうか。「子ども」の学力低下をいう前に「大人」が本当の学力があるのかを考えてみる必要がある。
 聞きっぱなしではなく、「議論」し、調査し、考え、その学習成果を「ポートフォリオ」(学習記録票)としてまとめる。それを「本」にしていく「編集」機能が本当の学力となる。
 大学の公開講座での学習も「成果」に編集というプロセスを加え、学習成果をさらに「本」というツールを使い社会に成果を問うていく、こんな投資「リサイクル」型生涯学習、公開講座のプログラムを開発してほしい。
 これは「自分史」講座ではない。「社会」を相手にするものとして最低限のレベルが求められるのは当然である。
 また「良質」の公開講座の成果には奨学金というかたちで「本」の編集支援を行うことも大切だ。
(2)公開講座を「新しいメディア」と位置づける
 現代のICT時代、学習成果の「書き出し」媒体が「本」なのか「電子手帳」なのか「パソコン」なのか「携帯電話」なのかだけの問題である。「道具」としてのICTを活用して大学公開講座を「拡張」し、大学がこれから求められる「社会貢献的役割」「広報性」を拡張しよう。
(3)学習の拡張(エクステンション)の意味
 学習のもつ拡張性とは「メディア」によって増幅される。「情報」が集まれば集まるほど、さらに多くの情報が集まる。情報の集まるところには人材が集まる。人材が集まれば「いい」講座を開催できる。「いい」講座は「いい」評価を受ける。総じて「大学の価値」が上がる。
 公開講座を上手に「メディア」として活用し広報することができれば、結果として大学の価値が上がる(大学の価値の拡張)ことになるのである。

■参考文献
『社会教育』2002年2月号、「特集 大学」
『社会教育』2001年11月号、「特集 eラーニング」
 以上(財)全日本社会教育連合会

 ((財)全日本社会教育連合会「社会教育」編集長)



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