歩く・見る・聞く――知のネットワーク26

川越「小江戸」散策

杉田 雄規



 川越は「小江戸」ともよばれ、江戸時代の文化を色濃く残している場所である。当時の建物や資料などがまちのあちこちにあるので、ここを訪れることで江戸の風情や文化を感じ学ぶことができる。東京池袋から電車で30分ほどのところに位置し、さつまいもの産地としても有名である。
 川越は、1457年、上杉持朝の命により家臣の太田道真・道灌親子が川越城を築いたことで城下町が形成され、まちの中心が現在の場所となった。その後、徳川家康が江戸に幕府を開く際、江戸の北を護る重要な場所として、また農産物を主とした物資の供給地として川越藩に有力な大名を配置した。そのため、商業地としても繁栄する。一方、江戸からは日用雑貨、食料品などのさまざまな文化が伝わり、江戸の風情を強く残す「小江戸」とよばれるまでの発展を遂げた。交通は、陸路は川越街道、水路は新河岸川を利用した舟運による水上交通が整備された。特に舟運は、年貢米や食料品、日用雑貨、肥料などの物資はもちろんのこと、人の往来にも使用され川越と江戸を結ぶ大きな役割を果たした。
 川越の歴史の紹介には火事の話が欠かせない。まず1638年には城下のほとんどを焼失する大火が起こった。現在のまちの原型は時の川越城主松平伊豆守信綱によって形成されたものである。その際、信綱は城を守りやすく攻めにくい城下町とするため、今日にも残る「袋小路」、「七曲り」、「鍵の手」などでまち割に工夫を施したのである。また1893年には、まちの3分の1を焼く川越の大火が発生した。復興にあたった当時の商人は焼け野原に残った土蔵をみて、蔵造りの技法が優れた防火建築であると分かり、以後広く採用したのである。
 駅前の近代的な通りを少し歩くと、蔵造りの街並みにかわっていく。川越の蔵造りは、大きな鬼瓦、箱棟、重厚な観音扉が特徴とされる。この街並みの中に蔵造り資料館がある。建物は、当時の煙草の卸商が建てた蔵造り商家で、実際に蔵造りの中に入り建物を見学できる。館内にはこの街並みができるきっかけとなった川越の大火に関する資料や、火消しに関する資料などが展示されている。この資料館のすぐ近くには川越のシンボルである「時の鐘」がある。江戸にならい鐘を鳴らして市中に時を告げはじめたのは藩主酒井忠勝である。木造3階建ての鐘楼の高さは約16メートルで、奈良の大仏と同じといわれる。現在も1日4回市民に時を告げている。さらに裏通りには菓子屋横町がある。ここは明治初頭に、江戸っ子好みの気取らない駄菓子を製造したことが始まりといわれる。
 更に足をのばすと川越市立博物館がある。当時の建築を意識してつくられた総日本瓦で白壁の建物の中では、展示物に視覚的要素を取り入れて城下町川越の特色を身近に感じられる。川越大師喜多院には、三代将軍家光公の命により江戸城から移築された客殿があり、徳川家光誕生の間や春日局化粧の間といった重要文化財も見学できる。この書院式建物は現在皇居内にも残されておらず、当時の江戸城内の雰囲気を感じることのできる貴重な空間となっている。また、川越城の北東にあたる鬼門をまもる氷川神社は1842年に建てられ、本殿は名工が腕をふるった「江戸彫刻」とよばれる精緻な彫刻で覆われており、現在もお宮参りなど多くの参拝者で賑わっている。そのほか川越城本丸御殿、服部民俗資料館など当時を思わせる場所がまちに点在している。こういった名所の他にも、商店の中やちょっとした裏通りに数多く資料館などがあるので、天気のいい日には芋菓子などをかじりつつのんびりと歩いて移動されることをおすすめしたい。主な観光地を巡回する小江戸巡回バスや川越シャトルもあるので利用すると便利である。
 10月には2日間にわたり「川越まつり」がおこなわれる。この祭りは、1648年に信綱が神輿、獅子頭などの祭礼用具を氷川神社に寄進しはじめられたとされる。1日目には「宵山」、2日目は「曳き廻し」がおこなわれる。熱気あふれる中、絢爛豪華な山車同士が向き合い囃子を打ち合う「曳合せ」がはじまると祭りが最高潮となり、当時の賑わいを今に伝える。
(中央大学出版部)



INDEX  |  HOME