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上海「大韓民国臨時政府旧址」博物館

後藤健介



 さる9月、中国・上海市で日韓中の大学出版部協会による「第5回合同セミナー」が行われた。今回の本欄でも番外編的に、上海のある博物館をご紹介する。
 観光客必見の上海博物館からは徒歩でも15分ほど、旧租界時代そのままの街角に、この「大韓民国臨時政府旧址」博物館はある。「大韓民国」つまり現在の韓国政府の源流は、ここ上海で八十余年前、日本官憲の追及を逃れ故国を離れた朝鮮の民族運動家により誕生した。1919年、当時日本支配下の朝鮮全土で起こった三一独立運動が、力で鎮圧されつつあった頃のことだ。
 「臨時政府」とはいうものの、実態は亡命者のアジトのようなもので、「閣僚」たちは、危険が迫るたびに上海市内数カ所を転々とした。すぐ北は日本の官憲もいる共同租界であり、世界各国の各種〈主義者〉の隠れ家フランス租界も、必ずしも安住の地ではなかったのだ。現在博物館として公開されているここは、場所が特定できて当時の建物も残る唯一の場所である。
 当時の普通の労働者向け(大抵は中国人が住んでいた)住宅だったここには、1926年から32年まで、当時の首班・金九キム・グ以下数名の政府構成員が、新聞を発行したり、朝鮮本土の地下運動と連絡をとったりしていた。32年、上海北部・日本人居住区の虹口公園(現・魯迅公園)で爆弾テロを決行し上海にもいられなくなった彼らは、以後中国各地を転々とする。朝鮮本土との切断、台頭する社会主義勢力、内紛に悩みながら、45年の日本敗戦を迎える。「日本の朝鮮支配を覆したのは自分らではなかった」と涙した彼らは、同年11月に政府を解散して帰国。しかし、南北に分断された祖国の南半分で、48年米軍政下に成立した政府は、この大韓民国臨時政府の正統性を引き継ぐもののように「大韓民国」を名乗る。臨時政府の初代総理李承晩が、大韓民国の初代大統領に就任した。
 前置きが長くなったが、博物館に入ろう。同じような煉瓦造の長屋が延々とならぶ一角に看板が出ているが、外見は普通の民家なので入るのに少し躊躇する。入場券には、金九の肖像入り「独立精神」団扇がついてくる。上のような歴史についてのビデオを見せられた後、案内人が付きっきりで館内を回ってくれる。ビデオ・解説ともに韓国語のみ。私には、ソウルに留学したことがあるという20代の中国人女性がついてくれた。彼女によると1日に200人以上の入館者があるというが、ほとんど韓国人で、日本人・中国人ともにまずいないらしい。
 解説といっても「ここが台所」「会議室」ぐらいの簡単なもので、私が日本人なので何か遠慮をしているのかと思ったが、そうでもないらしい。要するに一時潜伏したアジトに当時のしつらえを復元しただけなので、別に当時のなにかが残っているわけではないのだ。むしろここは、上海を訪れる韓国人が自国の歴史をしのぶ聖地としてある。ひっきりなしにミニバスが乗り付けられ、韓国人が「金九ボールペン」や「特製太極旗ピンバッチ」を買って慌ただしく去ってゆく。
 また、ここは中韓接近の象徴でもある。この博物館も昔からあったわけではなく、両国が国交を樹立したのち、地元区政府と韓国政府が、韓国財閥の支援を受けて93年に開館したものである。受付で身分証明証(日本人はパスポート)の番号が控えられるのは、〈北〉の訪問者をチェックしているのだろうか?
 展示があまりに韓国人向け過ぎるのが残念だが、地元の人々が暮らす戦前からの街並みに足を踏み入れ、「石庫門」造りの民家内部を見学できるだけでも、十分魅力ある博物館である。すぐ近所の「中国共産党第一回党大会址」博物館参観とあわせ、戦前この街に胚胎していた抗日闘争のネットワークの現場に思いを馳せるのもいいし、これもすぐ近所の、租界時代の建物を改装したお洒落なショッピングモールのスターバックスに坐って超近代的な新築ビルをながめ、今度は「グローバル化」という名前でこの街に訪れた資本主義のことを考えるのもいい。そのとき、歴史上にも現在にも、日本という国の影がぼんやりと、しかし、ひしひしと感じられてくる。
(東京大学出版会)


所在地:中国上海市馬当路306弄4号
    地下鉄一号線「黄坡南路」駅から徒歩5〜6分
    ショッピング街である「匯海中路」の通りから至近。
売店で、パンフレット(10元・韓国語)などのほか、書籍、「独立精神」置物、金九筆跡複製、ボールペン、バッチなどのオリジナル・グッズが購入できる。
開館時間:午前9時〜午後5時
     (月曜日は12時30分〜5時)
休館日:原則として年中無休
入館料:20元(約300円)



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