アメリカ大学出版部の現況
アイオワ州立大学出版会売却の衝撃


山本俊明




 「米の州立大学出版会、民間に売られ波紋」

 「朝日新聞」夕刊に、このような見出しで、アイオワ州立大学出版会(ISUP)が、イギリスに本拠を置く大規模商業出版社ブラックウェル・サイエンスに売却されたことが報じられたのは、昨年10月20日のことである。売却の理由は、「巨大出版会と小規模出版会への二極化が進む中でISUPなど中規模の大学出版会は変革の流れについていけないからだ」と出版会側の説明を紹介している。続いて「黒字経営が続いていることなどから、多くの関係者はこの説明に首をかしげている」とコメントされている。
 この出来事は、アメリカ大学出版部協会だけでなく、高等教育の世界にも衝撃を与えたようで、“The Chronicle of Higher Education”や“Lingua Franca” (注 i )などでも取り上げられた。新聞記事だけでは理解しにくいが、この出来事の背景には、これまでアメリカの大学出版部の特色であった「大学は採算の取りにくい学術書を出版する出版部に補助金を出し財政的に支援する」、「大学出版部は商業出版社と違って、Not-for-Profitに運営される」という基本的性格が変化したことがあるように思う。

 見失われた大学出版部の設立理念

 ISUPは、1924年に設立され、航空工学、獣医学など特色ある分野で出版活動をしてきた。年間出版点数は40から60点、流通在庫として600点以上をもっており、職員が24人のアメリカでは中堅の大学出版会である。1999年度に400万ドルの売上で10万ドルの収益を上げていることをみても、なぜ売却しなければならなかったのか、また、大学は出版部の役割をどのように考え、出版部をどのように支援してきたのか、という疑問も湧く。
 ISUP理事長のアル・オースティンは、大学と出版会の関係について、少なくとも40年間、大学からの資金的援助を受けることなく出版活動をしてきたという。経営状態については、収益を出しているが、これからのデジタル時代における出版会の経営を考えると十分ではなく、800万ドルの売上か、250万ドルの経費削減が必要になる。さまざまな可能性を検討したが、選択肢としては、新しい時代に対応できるだけの収益を上げるか、出版活動を中止するかのいずれかであった。大学が、これ以上出版活動に資金を投入するとは考えられず、商業出版社に売却することになった、というのである。
 アメリカ大学出版部協会(AAUP)常任理事のピーター・ギヴラーは、ISUPが、これからの出版会の経営に800万ドル必要とどのように計算したのか、出版会経営について十分な知識がなかったのではないか、と疑問を呈している。しかし、筆者にそれ以上に問題だと思えるのは、76年の歴史の中で、「大学が出版活動を通して何をするか」という出版部設立の理念、大学と出版部のあるべき関係が見失われてしまったのではないか、ということである。

 不明確になった大学出版部と商業出版社の違い

 ISUPは、長年、大学からの補助金を当てにすることなく、「商業出版社として活動してきた」(アル・オースティン)というが、ピーター・ギヴラーによれば、多くのアメリカの大学出版部は、1970年代はじめに大学から補助金を削減され、また、大学出版部の出版物の主要購入先であった図書館の予算が縮小され、自立の道を選ばざるをえなかったという(注 ii)。そこで、大学出版部は、経営を成り立たせるために、一般読者に向けた「売れる本」「儲かる学術書」の出版へと出版方針を転換したのである(注 iii)。しかしこのことは別の観点から見ると、大学出版部本来の使命を放棄することではなかったか。
 ラトガース大学英語学教授のウィリアム・ダウリングは、大学出版部が著名な著者の売れる本だけを出版するようになり、一方で採算の合わない学術書、特に若手の、無名の研究者の本が出せなくなっていると批判している(注 iv)
 「売れる本」への出版方針の転換には、大学における終身雇用権(tenure)を獲得しようとする若手研究者の業績づくりのために、読者のほとんどいないような博士論文を出版してきたという大学出版部側の反省もあるようである。しかし一般読者を対象にした「儲かる学術書」へとシフトすることにより、結果的に「商業出版社が採算の点で出版を見合わせるような、しかし学術的価値の高い本を出版する」というこれまでの大学出版の基本理念が曖昧になってしまったのである。アメリカの大学出版部の特色であった「大学出版部と商業出版社の違い」が不明確になったのである。

 危機状況にある大学出版部

 それでは、アメリカ大学出版部協会に加盟する121大学出版部全体の状況はどうか。フォーダム大学経営学大学院教授でAAUPのコンサルタントのアルバート・N・グレコによれば、90年代、アメリカの大学出版部の多くは赤字経営であった(黒字は十数社のみ)。にもかかわらず、大学出版部は、可能な限り出版経費を削減したり、寄付金を募ったり経営努力を重ねて出版活動を継続させてきた。だから黒字のISUPが売却されるというまったく予期されなかった出来事こそ、大学出版部が置かれている危機状況の象徴であった、という(注 v)
 グレコは90年代に大学出版部の経営環境が不安定なものになった要因を4つ挙げている。1、図書館、研究機関における書籍購入予算の引き締め、2、商業出版社との著者、原稿をめぐる厳しい競争、3、コンピュータ・テクノロジーの発展(とくに原稿入力から在庫管理に至るまでコンピュータによる処理に変化したこと)、4、オンデマンド出版やオンライン書店などオンライン化した出版・配送システムの過剰な導入、である。3と4がどのような因果関係で経営環境に影響するか、グレコは具体的に論じていないが、「アイオワ州立大学の関係者は、限られた資金で、費用のかかるネットワーク環境を整備する必要を考えたときに出版会を継続できるか、あきらかに疑問をもった」と述べていることをみると、新しいテクノロジーによる出版とそれに対応する経費が大学出版部の経営を脅かすと考えているようである(注 vi)
 アメリカ学術会議が、大学出版部協会(当初、七出版部が参加)などと共同で歴史学分野のeBookプロジェクトを立ち上げたが(注 vii)、そこに参加している出版部は、たしかにハーバード、ジョンズ・ホプキンズなど、すでにオンライン出版を実験的に始めている大手の大学出版部である。新しい大学出版の状況に対応する準備ができている「大手出版部」と、新しいテクノロジーとは関わりなく伝統的な出版を続けていく「小規模出版部」の二極化が進んでいくことになるのかもしれない。
 グレコは、「大学出版部がターゲットにしている一般読者のマーケットは2004年まで拡大していく」と楽観的見通しを提示するが、ますます商業出版社との競争が激しくなり、大学からの補助金が減じられていく中で、大学出版部はどのような活動をしていくのか、新しいテクノロジーを利用した学術書出版はどのように可能なのか、など、筆者には先の見えない状況に映る。

 「大学出版部の意義」(The Value of University Presses)

 このような状況の中、AAUPは、6月に開かれた2001年度年次総会で「大学出版部の意義」(注 viii)を発表した。この「意義」を改めて発表したのは、アイオワ州立大学だけでなく、出版基金を切り崩そうとしたアーカンソー大学の出来事などに見られるように、大学に「大学出版部とは何か」についての間違った理解があるからだ、という。
 内容は、「大学出版部と社会」(大学出版部の社会における意義)、「大学出版部と学問」(学問研究に対する大学出版部の役割)、「大学コミュニティにおける大学出版部」(大学に対して大学出版部は何ができるか)という3つの項目に分けられ、24の文章によって構成されている。
 ここには、「商業出版社が関心を持たないが貴重な萌芽的研究」や「若手の研究者の出版」を支援することなどが挙げられている。アメリカの大学出版部が、これまで当然としてきた「大学出版部の意義」をもう一度確認したいということなのである。
 このように大学出版部の基本理念を再確認しなければならないところに、いまのアメリカの大学出版部が置かれている困難な状況がある。しかし、それはアメリカの大学出版部だけの問題ではない。大学出版部の規模も歴史も異なるが、大学改革、出版不況、メディア革命の中にある日本の大学出版部も改めて確認すべき事柄ではないか、と思う。
(大学出版部協会副幹事長・聖学院大学出版会)



i) Scott Heller,“Iowa State Hands Its Press to a Commercial Publisher,”The Chronicle of Higher Education, July 28, 2000, A22. Andrew R. Albanese,“My Own Private Iowa,”Lingua Franca, Volume 10, No.7− October, 2000.“Iowa State University Press Sold to Blackwell Science,”The Exchange, Fall 2000, p.2, AAUP.
ii) 筆者がAAUP常任理事のピーター・ギヴラーにたずねたところによると、連邦政府が教育・研究に予算を十分に注いだのは、冷戦下の1958−68年までの比較的短い期間だけであり、その後、1969−70年から予算は削減されてきた。明らかな影響は図書購入予算の減少に表われ、冷戦下では、図書館は大学出版部の書籍を1点あたり1200部から1500部購入していたが、今や200部程度になっている。またこの同じ時期に大学予算も削減され、その結果、大学の大学出版部に対する補助金も減じられたという。
iii)  渡辺勲「岐路に立つ大学出版部」『大学出版』40号、1999年1月、10−14頁。Peter Givler,“Scholarly Books, the Coin of the Realm of Knowledge,”The Chronicle of Higher Education, November 12, 1999, A76 参照。
iv) William C. Dowling,“Saving Scholarly Publishing in the Age of Oprah:The Glastonbury Project,”Journal of Scholarly Publishing, Volume 28, Number 3, April 1997, p.115 - 134.
v) Albert N. Greco,“The General Reader Market for University Press Books in the United States, 1990 - 1999, With Projections for the Years 2000 through 2004,”Journal of Scholarly Publishing, Volume 32, Number 2, January 2001, p.61 - 86.
vi) Peter Givler, op.cit. A76 は、10年前に、インターネットが解決するといわれた学術書出版の費用削減は、新たに導入した技術費用、人件費などで逆に費用が増大したと報告している。
vii) John F. Barker,“Creating a Scholarly Web of Information,”Publishers Weekly, June 21, 2001, p.27 - 32, Cahners. またこのプロジェクトの概要はhttp://www.historyEBook.orgにPDFファイルで載っている。
viii)“The Value of University Presses: An Initiative from AAUP,”The Exchange, Winter 2001, p.1 - 3. AAUPのWebsite:http://aaupnet.org/ 参照。

(この報告をまとめるにあたり、AAUP常任理事、Peter Givler氏、この6月まで理事であり「大学出版部の意義」の起草委員のひとりであった、カンザス大学出版部Susan Schott氏、広報担当のBrenna McLaughlin氏にご協力をいただいた。)



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