日本における大学出版部の今日的状況
その理念と現実から


渡辺 勲



 はじめに

 私たちの組織、大学出版部協会は1963年6月、8大学出版部と2学術団体によって結成された。38年後の今日、協会は26大学出版部を擁する出版業界の一有力団体へと自らの組織を拡大し、協会機関誌として1986年4月に創刊された本誌は、記念すべき第50号を迎え得た。
 ここで、大学出版部協会の創立以来の活動の総体を、あえて一言で総括するならば、自らの出版部の日々の多忙な業務を担いながら同時に、協会としての多彩な諸活動に献身してきた多くの「大学出版人」によって創造され、維持されてきた「成長と発展」こそが主要な側面であった、と評価されるべきである。私はこのことを正当に位置付け、かつ踏まえながら、協会組織の単位である個別出版部の目線で、さらには協会未加盟ながら、すでに大学出版部としての活動を開始している個々の出版部のレベルで、大学出版部の今日的状況について考えてみたいと思う。

 「気がかり」と「違和感」

 1993年、協会が創立30年を迎えたとき(加盟出版部数は20となっていた)、私たちは年誌『大学出版部協会30年の歩み』を製作、頒布した。その中に収められた「大学出版部小史」(平川俊彦氏)は「数世紀の歴史を有する/アメリカにおける発展/近代日本の大学出版部/戦後の発展と大学出版部協会/二十一世紀へ向けて」の五節からなり、今読み返してみても見事と言うほかはない作品であるが、私は「小史」中の次のようなまとめの一文が気になっている。――「大学出版部は社会が大学に穿った通風孔であった。大学からすれば、社会に伸ばした手であった。大学と社会を結ぶ機関として、大学当局の理解と援助、母体大学の学問的生産性、そして有能なスタッフによって、大学出版部は発展してきた。それは今後も変わるまい。」……理念的にはともかく、現実的にも「今後も変わるまい」とまとめ切れるのだろうか、と。
 1998年、協会は創立35年を迎え(加盟出版部数は24)新しく『35年の歩み』を編み、詳細な協会史「年表」を作成、収録した。私はこの小文執筆の機会にあらためて、われらが事積の「証」である「年表」を子細に眺め廻し、そしてやや意外ではあったが、この年表に名状しがたい違和感を持ってしまったのである。……これらの記事は本当に今日的状況の歴史的前提をなしているのか、協会「発展史」は個別出版部の発展史でもあり得たのか、と。

 「五世紀の教訓」

 G・R・ホウズは『大学出版部』(箕輪成男訳、1969年。原書刊行は1967年)の「第二章 大学出版部の歴史」の中で「オックス・ブリッジの遺産から引き出される結論」として次のように述べた(以下の引用は要約)。
 「(1)出版部存立のためには、大学幹部の熱烈な支持が必要である。(2)その企図する学術出版計画に対して、十分に余裕のある財政的援助が必要である。(3)出版部には、他の職務によって妨げられない専属の有能な指揮者が必要である」から「いかなる(大学の)理事会でも、たとえそれがいかに活発でよく選ばれたメンバーであろうとも、みずからの人生の幸福を出版部の成功に賭けた知的で注意深い管理者の代わりを果たすことはできない。」
 五世紀におよぶ大学出版部の歴史(とは言ってもそれは事実上「オックス・ブリッジ」のそれであるが)と、三十数年前のアメリカ大学出版部の発展段階とを踏まえて定式化されたこの三提言は、以後「大学の意思、財政(補助金)、現場担手」問題として、大学出版部を語る際に必ずと言ってよいほど引き合いに出されてきた(先に紹介した「小史」まとめもその一例である)。つまりこの三提言は、単に当時のアメリカ的事情を説明する文章ではなくなり、大学出版部たるものの、あるべき「原点」として、指針的役割を担い、そして実際に担い続けてきたのである。
 しかし歴史とは皮肉なものである。「大学出版部の優等生」と目されてきたアメリカで、今この「原点」は崩壊しつつある。「崩壊」と表したのには多少の意味がある。アメリカでは100以上の大学出版部が、その仕組・水準・規模の違いはおくとして、この「原点」を達成し、絶えず意識して活動し、多くの出版部はまさにその通りの活動を行ってきた、それが崩壊しつつあるのだ(文脈は違うが、例えばアンドリュー・クーパー「学術出版の危機を乗り越えるには」『別冊 本とコンピュータ』4、参照)。
 私はここで今日のアメリカ的事情を云々しようとしているのではない。問題にしたいのは、日本における大学出版部は(協会に加盟していると否とにかかわりなく)、かつてあるいは現在、この原点をどれほど意識して活動してきたか、あるいは活動を開始しようとしているのか、つまり日本では「原点の崩壊」以前的状況を通過中であるというのが実態であり現実ではないのか、ということである。とするならば、今こそあらためて、あるいは新しく、この三提言を強く意識した原点的「大学出版部活動」を開始すべきではないのか、これである。

 大学出版部設立の気運

 ここ数年のことだが、協会にはいくつもの出版部設立の相談や設立報告、協会加盟申請などが寄せられている。今なぜ大学出版部なのか、と戸惑うほどである。大変結構なことだと思う半面、これで良いのかと首を捻ることも少なくない。つまりそこに表出された、良くも悪くも大学あるいは大学人の「大学出版部」認識のことである。
 1991年「大学設置基準の自由化」と18歳人口の激減予測、その現実化とが、全国のあらゆるタイプの大学に自らの「生き残り」をかけた「改革」を強いた。大学の自己点検と外部評価が、その基礎に置かれた。そして全ての大学で、研究の質と量、研究と教育、学問の経済性などをめぐる議論が熱っぽくたたかわされた、に違いない。そして、そのような議論の中からいくつかの出版部も誕生した。しかし大学の側は、大学出版部とは何か・その歴史は、などの基礎的学習を軽視しただけではなく、大学が出版部を設立するとはどのようなことか、どのようなオブリゲーションを覚悟しなければならないか、などの最も肝心な検討を棚上げにしたか、あるいは事実上無視した。だから出版部設立に意欲的な大学人の最大公約数的認識が「近年の厳しい出版状況下では学内の研究成果を出版物として発表することが難しくなったので、自前の出版部を作ることにした」に止まるのである。ここには、大学の理念も大学当局の熱烈な支持も感じられない。ましてや出版人による出版現場(実質的な出版部)作りの見通しなど生まれるはずもないのである。
 さて翻って、私たち自身、協会加盟出版部の状況も観察しなければならない。さすがに、規模や質を問わないならば、ほとんどの出版部が出版人を抱えた現場を持っている。しかし、事態は個性的ながら、いずれの現場も誠に厳しい。かの「原点」は忘られてはいないものの出発点どころではなく、目標としてすら機能していない、そんな現実が垣間見えるのである。つまり今日、すべての大学出版部は、たとえ長い歴史をもつ出版部であろうと大規模出版部であろうと、生まれたばかりの出版部であろうと当面大学人だけの出版部であろうと、極めて厳しい大変な時代に逢着しており困難な課題を抱えている、ということである。

 「原点」を正面に据える

 先ほどからクドイほどに語っている「大学出版部の原点」は決して過去の遺物ではない。それどころか、今こそ見直されるべき指針である。日本の大学出版部協会ではマトモには一度も正面に据えたことのないこの「原点」を、新しく出版部を作ろうとしている大学人とともに、個々の出版部においても大学出版部協会としても高く掲げなければならない情勢にある、と、私は確信している。つまり、現状の単純な延長線上の、経済的な意味での出版業の論理だけでは、大学出版部にとっての最も重要な「学術書・教科書・啓蒙書」出版の仕事は、もはや継続することはできない。と同時に、「原点」を踏まえたまっとうな大学出版部を目指し、そして育て、そして維持していくことのできないような大学は、21世紀を生きていけなくなる。大学出版部は、かくして、ただの「大学機構の部分」でもない普通の「出版社」でもない、「大学出版部」としての実態と存在の意味を、あらためて、与えられつつあるし、与えられねばならないのである。
 先に掲げた「小史」まとめの「それは今後も変わるまい」を正確に理解するには右のような状況認識が必要であろうし、「年表」の違和感から解き放たれるためには、将来に向かってどのような目標をかかげるかを発見しなければならなかったのである。

 大学出版部協会の拡大・強化

 協会既加盟の出版部、特に事実上の開店休業状態に追い込まれている出版部とその母体大学のトップに訴えたい。せっかく存在している出版部を、大学の発展のために再活性化する方途を、財政的裏づけを含めて、今すぐに検討していただきたい。大学は「現場」を信頼し、現場は大学の期待に応えるように努力することを確認し合い、「我々が頑張れば大学の社会的ステータスが高まる」ことを確信して、新たな活動方針の策定にかかっていただきたい。
 協会未加盟の出版部には、加盟の方向で検討を始めていただきたい。無条件に加盟できるわけではないし、「原点」は遠くにしか見えないかも知れないが、協会活動を共にする中で、「大学幹部の熱烈な支持」をとりつけ、一歩一歩目標に近づいていこうではないか。大学当局は、間違いなく何らかの意味で必要だから、期待を込めて、出版部の創設に踏み切ったはずだ。設立直後の今だからこそ、少なくとも理念的には、「原点」のすぐ近くに出版部はある。
 大学出版部協会に加盟したからには、たとえ規模が小さくても、たとえ大学人中心の組織であろうとも、あるいは「現場」が大学の外に依託されていようとも、「原点」の理念的な共有とともに、具体的な協会活動に参加していただきたい。協会組織を担う私たちは、協会活動への積極的参加が個別出版部の力をも高めていく、そのような両者の関係を作り上げていかなければならない。協会活動の成果を当てにしただけの加盟は、協会にとっても出版部にとっても、為にはならないのである。
 大学は知的生産の拠点である。大学出版部はその知的生産物の公刊の担手である。両者を取り巻く環境がいかに変わろうとも、両者のそれぞれの本性に本質的変化が生じない限り、大学と大学出版部は、共に、存在し続ける。
(大学出版部協会幹事長・東京大学出版会)



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