これからの学術情報流通における
インターネットの役割


岡本 真



「書物復権」

 学術出版8社(岩波書店、東京大学出版会、みすず書房、未來社、法政大学出版局、白水社、紀伊國屋書店、勁草書房)による共同復刊事業「書物復権」が今年で5回目を迎える。体系的に集めた読者のリクエストを参考に復刊書籍を決めるというこの試みがいかに画期的であるかはいまさら言うまでもないが前回と今回の「書物復権」の画期性はあえて指摘したい。なぜならインターネットに設けたウェッブサイト (*1)でも読者の復刊リクエストを募ったのだから。
 インターネットへの進出は復刊リクエストの募集という事務的広報の範囲を広げただけではない。印刷メディアからインターネットにシフトしつつある人々に「書物復権」というメッセージを伝えたのだ。特に昨年に引き続き今年もインターネットでのリクエスト受付が行われたことで、このメッセージはより強固で信頼に値するものになった。そしてまた一部の学術出版がインターネットに本当の意味で進出しつつあることを実感する。かくして、学術出版という形での学術情報の流通がインターネットでも進み出すきざしが見えてきた。

 学術情報とインターネット

 だがこれは従来、学術情報の流通の一部分、いや大部分を担ってきたとされる学術出版が、ようやくインターネットの世界に乗り出してきたと見るべきかも知れない。なぜなら、学術情報そのものは、そう思えるほど早くからインターネットで展開してきているからだ。学術情報とインターネットの関係は、短いインターネットの歴史のなかでは長い歴史を持つ。これはインターネットがその初期において学術情報のネットワークとして進化してきたからだ。1992年9月30日、「日本最初のホームページ」 (*2)が文部省高エネルギー加速器研究機構計算科学センター(当時)の森田洋平氏によって生み出されたことは決して偶然ではない。
 インターネットにおける学術情報の一つの形は国立情報学研究所(旧学術情報センター)(*3)や各分野の学協会(*4)、 全国の大学図書館(*5)のサイトにみてとれる。国立情報学研究所では全国の大学図書館の蔵書を一括して検索できる総合目録データベースWWW検索サービス(*6)(NACSIS Webcat)やオンラインジャーナルへのアクセスを提供する電子図書館サービス(*7)(NACSIS-ELS)が公開されている。数ある学協会では、たとえば社会学文献情報データベース (*8)(日本社会学会)の構築や「独創的研究」をテーマにしたオンラインでの公開討論会(*9)(日本免疫学会ニュースレター編集委員会)が実施されている。各地の大学図書館では特別コレクションの電子化が進展している(*10)。そのさまは壮観の一語に尽きる。

 研究者個人による発信

 しかし、これらだけに目を奪われてはインターネットにおける学術情報の実像は見えてこない。研究機関や学協会、図書館といった学術情報の古典的な担い手の他に、ある意味最も古典的な担い手、つまり研究者自身による発信も進んでいる。手元の私的なデータベースに記録してあるだけでも、文科系だけで実に2000人を超える研究者がウェッブサイトを開設している。これは業績紹介にとどまるものやゼミ生による教員紹介といったものは除いた、実際に研究者が自身で作成し、管理しているものの数である。いずれも論文や書評、文献目録(*11)、データベース (*12)、年表(*13)等、なんらかの学術資料を公開している。2000人という数字をどのように評価するかは立場により様々だろう。だが、1つ確かなことは、いまこの時点で2000人の研究者が学術情報をインターネットで“Publish”しているということだ。学術出版社の力を借りず、自分自身の手で……。

「二村一夫著作集」と「森岡正博全集」

 この2000サイトのなかから、これからの学術情報流通におけるインターネットの役割、ひいてはこれからの学術情報流通における学術出版の可能性を示唆していると思われる2つのサイト、「二村一夫著作集」(*14)と「森岡正博全集」(*15)を紹介したい。名称が示すように二村一夫氏(労働史)、森岡正博氏(生命学)の著作を公開するウェッブサイトであり、いずれも本人の手で開設され、公開されている。それぞれ内容と構成を簡単に述べておこう。
 「私がこれまでに書いてきた論文やエッセイを、なるべく多くの方に読んでいただきたい」(*16)という思いから始まった「二村一夫著作集」は現在は全11巻に別巻3冊で構成され、「月報」と銘打った編集雑記が付されている。『大原社会問題研究所をめぐる人びと』『日本労働運動・労使関係史論』『日本労働運動史研究案内』等と題された各巻に二村氏がこれまで発表してきた論文が電子化され、再録されている。現在市販されている書籍は再録の対象になっていない。著作集の巻頭にある著者自身の言葉を借りれば、「過去四十数年間に執筆してきた論文やエッセイを、自身で編集刊行するオンライン著作集の試み」であり、同時にそれだけではなく「本サイトでなければ読めない『高野房太郎とその時代』を書き下ろしで連載してい」る場でもある。旧作も新作も無料で公開されている。
 もう1つの「森岡正博全集」は「だって、金を稼ぐことよりも、読者の手に届くことのほうが、私にとってはしあわせなんだから」(*17)という思いから絶版著書の全文公開を進めてきた森岡氏がごく最近発表したばかりのものだ。全17巻構成で既に森岡氏のウェッブサイト「生命学ホームページ」 (*18)で公開されていたものをPDFファイルの形式で収録していく方針が示されている。また「これから書くもののすべてを、順次、全文掲載してゆ」くとの決意表明とともに(*19)、『日記2000−2001』『謎の新刊本』と仮に題された新作の公開が示唆されている。実験的に作品を販売していくとの姿勢も示されており、公開された作品は閲覧・印刷ともに無料のものから、印刷は有料、閲覧・印刷ともに有料の作品とバリエーション豊かになっている。

 2つの著作集から

 専門分野も世代もだいぶ違う二村氏と森岡氏だが、同じように既発表作品の電子化を進め、それにとどまらず新作の公開を試みているわけだ。これ以外にもこの2つの著作集の共通項には興味深いものがある。たとえば著者であり編者でもある2人の研究者は既に極めて優れた業績を挙げていること、従って厳しいとされる現在の出版事情にあってもインターネット以外に発表の手段を持たないわけではないこと、その2人がオンラインで著作を公開していく動機として「読者」を挙げていること等々……。
 ここで、あらためて考えたいのは彼らがなぜインターネットでの著作集の刊行に踏み切ったのかだ。既にみたようにその1つの答えは「読者」という言葉に示されている。自分の作品を滞りなく読者の手に届けること、そして作品を通して読者と出会うこと、これこそが2人の研究者が自身の著作集をインターネットで刊行した1つの、しかし大きな理由ではないだろうか。およそ情報は、その受け手を得て初めて意味を持つ。学術情報もその例外ではない。より多くの読者に自分の著作を届けるという、いわば情報の健全な流通の可能性をインターネットに見出しているのが両氏であり、その所産として「二村一夫著作集」「森岡正博全集」という新しい形の著作集があるのだろう。この見方が正しければ、2つの著作集はたとえば学術出版のような、これまで学術情報の流通の担い手とされてきたものへの痛烈なアンチテーゼだとも言えよう。

 まとめにかえて

 インターネットでの研究者自身による情報発信は、これ以外にも多種多様である。その理念1つをとっても、上述のような読者との出会いの可能性だけではなく、公開が研究者のそもそもの使命であるとするもの、学術的な成果は個人ではなく社会に帰属させて広く共有していくべきだとするもの、あるいは流通の中間過程を排し、学術情報の対価をより直接的に読者に求めていこうとするもの等々……。発信の数だけ理念があるというのが真実だろう。
 だが、1つ確かなことは、それぞれの理念を実現するための手段として、インターネットが着目され、実際に用いられていることだ。これを事実として直視し、事実として受け止め、事実として理解する必要がある。そして、その上でインターネットが負っている役割、インターネットに見出せる機能がインターネットに固有のものであるのか、あるいは書籍等の他のメディアと交換可能なものであるのかを見極めるべきなのだろう。このプロセスのなかにこそ、これからの学術情報流通におけるインターネットの役割、そしてこれからの学術情報流通における学術出版の可能性が見出せるのかも知れないのだ。
(Academic Resource Guide 編集兼発行人)



(*1)書物復権
   〈http://www.kinokuniya.co.jp/fukken/fukken.html〉
(*2)日本最初のホームページ
   〈http://www.ibarakiken.gr.jp/www/〉
(*3)国立情報学研究所
   〈http://www.nii.ac.jp/index-j.html〉
(*4)学協会情報発信サービス(Academic Society Home Village)
   〈http://wwwsoc.nii.ac.jp/〉
(*5)Yahoo! JAPANの大学図書館カテゴリ
   〈http://dir.yahoo.co.jp/Reference/Libraries/University_Libraries/〉
(*6)総合目録データベースWWW検索サービス(NACSIS Webcat)
   〈http://webcat.nii.ac.jp/〉
(*7)電子図書館サービス(NACSIS-ELS)
   〈http://els.nii.ac.jp/〉
(*8)社会学文献情報データベース
   〈http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/database.html〉
(*9)ネットによる公開討論会“独創的研究とは”
   〈http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/molonc/www/immune/Originality.html〉
(*10)Yahoo! JAPANの特別コレクションカテゴリ
   〈http://dir.yahoo.co.jp/Reference/Libraries/Special_Collections/〉
(*11)生成する目録
   〈http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/BIBLIO/〉
(*12)データベース集成
   〈http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/DB/〉
(*13)年表・年譜一覧
   〈http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/TIMELINE/〉
(*14)二村一夫著作集
   〈http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/〉
(*15)森岡正博全集
   〈http://www.kinokopress.com/mm/〉
(*16)二村一夫「刊行の辞」(1998年9月25日)
   〈http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/old/indexseconded.htm〉
(*17)森岡正博「著書のインターネット全文公開は暴挙か?」
  ("Academic Resource Guide" 64、2000年5月15日)
   〈http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/compass-033.html〉
(*18)生命学ホームページ
   〈http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/〉
(*19)森岡正博「森岡正博からのご挨拶」(kinokopress.com所収)
   〈http://www.kinokopress.com/mm/goaisatsu.htm〉



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