バーチャル・ユニバーシティと教科書

吉田 文



バーチャル・ユニバーシティの登場

 世界に先駆けてインターネットが普及したアメリカでは、インターネットによって講義を配信するバーチャル・ユニバーシティが登場した。物理的なキャンパスをもたずサイバースペースの中にキャンパスを構築するものもあれば、キャンパスをもつ既存の大学が講義をインターネットによって配信するものもあり、オンラインで配信される講義の数は、日ごとに増加している。
 なぜ、これほどにインターネットがもてはやされるのかといえば、非同期の双方向コミュニケーションが可能という技術的特質に加え、その廉価なコストのために、時間と空間を共有しない者の間に容易に学習コミュニティが形成できるという点で、従来の遠隔教育の技術に勝っているからである。
 こうした動きは、アメリカにとどまらず世界中に拡がりつつあり、日本でも2001年4月のインターネットによる授業を単位化することを可とする大学設置基準の改訂に向けて、インターネットによる授業を計画している大学もあるという。
 わずか数年の間の急激な変化は、高等教育を取り巻く世界にこれまでわれわれが想像だにしなかった状況を生みだしている。それをこの小論では、講義の教科書や教材に焦点をあてて考察したい。
 その前に、バーチャル・ユニバーシティの組織形態の特徴を3つほどあげておこう。第一は、コンソーシアムを結成するケースが多いことである。たとえば、ウェスタン・ガバナーズ大学 (http://www.wgu.edu/)は、 アメリカ西部18州とグアムにおける49の高等教育機関に16社の私企業が参画してコンソーシアムを結成している。第二は、教育プログラムには、ビジネスとIT、とりわけMBAのプログラムが多いことが特徴である。これは、主たる顧客が有職成人であり、彼/女らの再教育訓練に時間や場所を拘束しないインターネットは有効だからである。第三は、私企業が大きな役割を果たしていることである。たとえば、ユーネクストという企業が、スタンフォード大学などの有名大学の講義を購入して、カーディアン大学 (http://www.cardean.com/) という大学を設立し、そこからオンライン講義を提供するといった、やや特異な事例もさることながら、キャンパスをもつ大学がオンライン講義を開始する際に、私企業と提携することはごく当たり前になっている。

オンライン講義の制作

 インターネットによる講義はウェッブを利用して提供される場合が多く、そこでのメディアとはテキストを基本とする。シラバス、講義内容、関連参考文献の所在やリンク、テストなどが体系的に掲載され、小テストへの回答や答案の成果、課題の提出やそれへのコメントもウェッブ上で行われる。学生からの質問とそれへの回答、チャットという学生同士のコミュニケーションの場も、ウェッブの画面上に設けられている。さらに、授業の登録、授業料の支払いなどの諸手続や図書資料の検索はもちろんのこと、図書資料の購入までも可能な場合がある。
 学生からすれば、キャンパスに通って授業を受けるという行動一切を、インターネットに接続したパソコン一台のなかで可能とする仕組みがオンラインによる講義なのである。教職員は、個別の学生の管理や学習の進度をコンピュータを通して把握することができる。時間と空間を超えて、「誰もがいつでもどこでも」学習できるという謳い文句を実現しているのがオンライン講義なのである。
 ところで、ウェッブ上にこれだけの仕組みを備えた講義を、教員が一人で作成するのは容易な技ではない。何を講義し、どのような課題を設定するかといった教育内容を文字化するところまでは教員の仕事の範疇である。しかし、それを編集してウェッブに掲載するにあたっては、ウェッブ・ディベロッパー、インストラクショナル・デザイナー、グラフィック・アーティストなどメディア・スペシャリストと呼ばれる人々の支援の手が不可欠である。これらの人々は、大学内のメディア・センター、教授技術センターなどの組織に所属し、教員とチームをつくってオンライン講義の開発に従事している。
 教員とも事務職員とも異なる一群のスペシャリストを雇用し、それらに人々に一定の地位と所属組織を与えることによってはじめて、大学はインターネットで講義が提供できるのである。インターネットによる講義の配信は、従来の大学の組織構造にはなかった新たな職種と新たな組織を生みだしたといえよう。
 しかし、これですべてではない。こうした学内の体制の外側に私企業の力が欠かせない。

出版社の参入

 私企業は、第一に、ウェッブの教材を作成するための枠組みに相当するオーサリング・ツールというソフトウェアの開発やそれを稼働させるための学内外のネットワークの構築などのインフラの整備と、第二に講義に適切なコンテンツの提供という二つの側面で重要なのだ。
 オーサリング・ツールについては、すでにWebCT (http://www.webct.com/)、BlackBoard (http://www.blackboard.com/) などの市販品が使用される場合が一般的になってきている。WebCTは、1995年にカナダのブリティッシュ・コロンビア大学で開発されたものだが、今や従業員三百余人を抱える企業を誕生せしめるまでになっており、これを利用している機関は1500を超えている。
 こうしたオーサリング・ツールにどのような素材を盛り込むかというコンテンツの問題が、次の課題となる。講義の内容についてはもちろん教員のアイデアが先行するわけだが、そのアイデアに対し適切な素材を提供するという点で、今度は、出版社が参入してくる。出版社はこれまで印刷書籍の出版を通じて、講義のコンテンツに相当する素材を豊富に蓄積していることを元手に、新規事業を手がけようとするのである。
 ここ1〜2年大手の出版社が、オンライン教育に続々と乗り出していることが注目されている。たとえば、ピアソンというロンドンに本拠をもつメディア・コングロマリットは、その一事業としての出版を高等教育との関係の強化という方針を確立し、その傘下にあるFTノリッジという子会社が、ミシガン大学 (http://www.ftknowledge-michigan.com/)、 ペンシルバニア大学などと提携し講義のオンライン化を請け負うことに成功したことが報じられている。また、ピアソンはBlackBoard社と提携し、オーサリング・ツールとしてBlackBoardを利用することで事業の拡大をはかっている。同様に、トムソン社とWebCTとの提携も話題をさらった例である。
 大学の講義のオンライン化は、このように私企業の側がビジネスチャンスとして積極的に大学に働きかけることで促進されているともいえよう。
 さらに一歩進んで、出版社がこれまで発行してきた紙媒体の教科書をコンピュータ企業と提携してオンラインし、大学を介することなく単位や学位とは関わりのない教育プログラムとして市場に提供する動きすらみられる。

講義・教科書・教材

 ところで、ここまでインターネットの講義として論じてきたものは、実はテキストというメディアが主体であるという点で、従来の紙に印刷された教科書と同等の位置づけをもつとみなせなくもない。また、参考文献や資料がウエッブ上から入手できるという点からは、教材と呼べることにも気づく。キャンパスにおける授業では、それぞれまったく別のものであった講義と教科書と教材が、オンライン上ではすべてが融合した形態になり、そのどれとも特定できなくなっているのである。講義がインターネットにのって「物」になったことで、われわれは今、それをどのように命名したらよいのか、迷う地点に来てしまったようである。
 そうこうしているうちに、出版社は、一方でこれまで通り紙の教科書を制作しつづけるとともに、他方でインターネット上の講義とも教科書とも教材とも呼べる「物」の制作に進出するようになってきた。ただ、経済効率を求める私企業の論理が、大学教育を左右する側面があることは否定できず、それを危惧する大学もあることは確かであるが、総じて大学もインターネットで講義を行うことをビジネスチャンスと捉えて、好機を逃すまいとしているようだ。
 バーチャル・ユニバーシティの登場とそれをめぐる急激な社会変化の一断片がここにみられる。
(メディア教育開発センター)



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