能楽の四季 春

元朝の翁

中西 通



 京の街から五条通りを西へ、桂川を渡って西山を過ぎるとすぐに「老の坂」の峠である。それを越えるとそこはもう丹波である。昔、京の人たちは、自らが王城の地に住むことの誇りの対象として、最も身近な田舎、「丹波」を選んだ。老の坂を越えると鬼が棲むといい、丹波落ちなどと暗いイメージで語ってきた。
 丹波の国は七郡から成り立っていたが、そのうち五郡は京都府、多紀・氷上の二郡が兵庫県に編入された。しかし後の二郡すなわち兵庫丹波は、中世、近世を通して常に丹波の国の中心的役割を果たし、京都の後背地としてその独自の文化を形成してきた。「丹波篠山」が田舎の代名詞のような言葉でよばれる所以である。
 篠山は周囲を山に囲まれた典型的な盆地で、慶長14(1609)年に築城された篠山城下に拡がる町である。どういうわけか近代的な発展からも疎外されたような形で今もなお古い佇いをみせる。城の高石垣も外濠も、古い商家の町並も、武家屋敷もそれぞれが自然に生活の中に溶け込んでいる。
 特筆すべきものに、町の北側にあるこの町の氏神、春日神社の境内に、文久元(1861)年時の藩主によって建立寄進され当時箱根より西では最も立派なものといわれた「能楽殿」が今でも往時の姿のまま遺っている。
 この能楽殿では現在でも、1月、4月、9月の年3回、名のある能楽師を招いて演能が行われている。江戸時代の本格的な舞台で見る能は、各地から訪れる人達を魅了する。なかでも1月元旦午前0時30分より始まる「翁の神事」は元朝真夜中の厳粛な雰囲気に加え、日本で一番早く演じられる能として全国から訪れる人が多い。
 シテ方は、丹波猿楽の流れを汲む梅若万三郎家、小鼓は大倉流宗家が勤める。
 「翁」は天下太平、国土安穏、五穀豊穣を祈る神事として、能が大成する室町時代以前から演じられている特別の儀式である。
 「翁」を勤める演者は、この神事のために精進潔斎して対処し、当日鏡の間には祭壇をしつらえて、御神体である「翁の面」を納めた面箱を奉り、神酒、洗米、塩等を供えて祈りを奉げる、いわゆる「翁飾り式」である。
 午前0時30分、演者は最高の礼装で登場する。清冽な笛、鼓の響き、颯爽とした千歳の露払いの舞、そして神である翁が舞う。舞台上と観る者が一体となる。
 舞台へはおひねりが飛ぶ、鏡餅や野の幸が供えられる、そこには何の演出もない、自然そのものである。一時間にもならない神事であるが、丹波篠山は新しい年を迎える。
 日本の原風景の一つではなかろうか。
(能楽資料館 館長)



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