歩く・見る・聞く――知のネットワーク21

たばこと塩の博物館

小池 美樹彦



 「街角の煙草屋まで行くのも旅と呼んでいい」と書いたのは吉行淳之介である。たしか、ヘンリー・ミラーの文章を紹介しながら、人生を旅になぞらえて語る随筆だった。もっとも、この文章が書かれたのは、30年近くも前のことで、当時はまだ自動販売機などはなく、店番の人と会話しながらタバコと代金をやりとりしていた頃の話である。
 さて、「たばこと塩の博物館」は渋谷駅から歩いて7分ほど、公園通りの坂をほぼ登りつめたところにある。有名デパートをはじめ、若者向きのブティックやカフェの並ぶなかで、化粧レンガで外装されたこの瀟洒な建物は、周囲の喧騒をよそに落ち着いたたたずまいのうちに訪問者を迎える。
 昭和7年当時、大蔵省専売局長官であった佐々木謙一郎氏(故人)が、たばこ関係の歴史資料として浮世絵・喫煙具を収集したことに始まり、その後、佐々木氏個人の収集にとどまらず、専売局、専売公社による公的な事業として発展し、資料の収集・保管・展示等が引き継がれて、昭和53(1978)年に、たばこ専売70周年の記念事業の一つとして、開館の運びとなった、と案内書はその沿革を紹介する。設立の目的は、「たばこと塩に関する文化遺産、民俗資料をもとに、文化・産業的側面を系統的に展示し、たばこと塩に関する文化の啓蒙・普及をはかるとともに、専売事業への関心と理解を深めるため」であった。
 エントランスホールから中2階に上がると、「たばこの来た道」をテーマに、喫煙の発生、たばこの伝播、日本への伝来、世界の喫煙形態と喫煙具、世界のたばこパッケージなどが、パネルや年表とともに解説・展示されている。とくに、日本における初期の喫煙風俗を紹介するコーナーは、当時の屏風絵などのお蔭で視覚的に楽しめる。
 2階は、「日本人のたばこ」を主テーマにしており、日本のたばことたばこ産業の歴史のコーナーでは、喫煙が外来のものの模倣から始まり、しだいに日本独自の風俗へと定着・発展していった様子が、きせる(煙管)やたばこ入れなどの喫煙具と錦絵によって示される。ちなみに、きざみたばこをきせるで吸う風俗は日本独特のもので、その特徴は、きせるをはじめとした日本の喫煙具をユニークなものにした、という。明治時代に入ると、紙巻たばこや葉巻が日本に伝わり、喫煙風俗も洋風化されることになる。この階の展示は、たばこ産業の変遷をたどるうちに、日本人の生活の移り変わりが垣間見えてくる仕掛けとなっている。と同時に、たばこが明治維新政府の貴重な税収源となり、やがては、日清戦争(1894〜95)後の「葉煙草専売法」や「煙草専売法」が施行されるまでに至ることを知ると、風俗や文化を超えて「煙草」が産業や経済の面で日本の近代化に果たした役割がはかり知れないものであることがわかる。
 3階は、「日本の塩・世界の塩」をテーマに、塩の正体、世界の塩資源、日本の塩、塩の用途、など「塩」のすべてが模型などによってわかりやすく解説・紹介されている。
 4階は、特別展示室となっており、さまざまな企画展が順次開催されている。筆者は、最近では「魅惑のボリビア――アンデスに広がる多彩な世界」展と「くらしの中の神々――パプアニューギニアの民族造形」展を見たが、遠い国のはるか昔の生活用具や祭祀用具などを目の前にして、しばし時の経つのを忘れた。時空を超えて異文化の一端に触れられる場所として、この部屋は刺激的である。このほかにも、たばこと塩に関するビデオライブラリーとなっている情報コーナー(2階)と、視聴覚ホール(1階)があり、視聴覚ホールでは、映画の上映のほか、展示に関連した講演会などの催物が行われる。
 愛煙家はもちろん、嫌煙権を主張する人も「たばこと塩」の歴史の旅にしばし遊ぶことをおすすめする。
(東京大学出版会 小池美樹彦)

たばこと塩の博物館
http://www.jtnet.ad.jp/WWW/JT/Culture/museum/

東京都渋谷区神南1-16-8
JR・営団地下鉄半蔵門線・銀座線 渋谷駅より徒歩7分
開館時間:10時〜5時半(月曜日休館)
入館料:一般 100円  児童・生徒 50円
TEL:03-3476-2041



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