読書の周辺

イスラーム都市の魅力

陣内 秀信



 都市に対する考え方は、時代とともに大きく変わってきた。20世紀の前半に欧米から始まった近代都市計画の思想と手法は、人々に夢を与えるものとして、日本も含め世界中の都市に応用されてきた。ところが、1960年代に入る頃、早くもその矛盾が噴出することになった。
 ニューヨークでは、60年代の初頭、ジェーン・ジェコブスが『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、鹿島出版会)で、近代的な再開発で生まれた高層ビルが建ち並び、広い緑地や広場をまわりにとるような都市空間はかえって犯罪の起こる危険な場所になること、そして活気を失い都市が衰退することを鋭く論じ、大きな影響を与えた。そして事態はまさにその通りに進んだ。都市問題を抱え込んだアメリカでは、その後、ジェコブスが予言したように、ゴチャゴチャしたダウンタウンの魅力が再評価され、クリアランスによらず、そのよさを引きだしながら再生する方向へと、都市計画の発想が大きく変わっていったのだ。
 機能性や合理性を追求し、歴史や地域性を軽視した近代的発想の都市づくりの時代がこうして終焉を迎え、人間の感性を大切にし、個性のある質の高い環境を追求する新しい時代が到来した。こうなると、人々によって住みこなされ、さまざまな記憶や意味が詰まった歴史のある都市が新鮮な眼で見直されるのは当然である。
 日本でも、高度成長期を経て、70年代以後の豊かな時代を迎えると、自分たちの都市環境の中にも、その文化的なアイデンティティを求める動きが強まった。町並みに関する関心が生まれ、景観や風景、あるいは地域の歴史が大いに話題になるようになった。そうした動きの中から、江戸東京論のブームも生まれたといえる。東京に受け継がれた江戸的な都市の特徴も描き出された。西欧近代の都市をモデルに考えた戦後の都市づくりの発想からの大きな転換が訪れたのである。世界のそれぞれの地域に、長い歴史の中で培われた魅力ある都市の文化が見出される、というごくあたりまえのことが、ようやく認識されるようになった。アジア都市への関心も芽生えた。
 そんな価値観の転換のなかで、イスラーム世界の都市への興味も急速に高まってきたといえる。

上空から見たマラケッシュの旧市街地

 地中海周辺の東から南にかけて広がる中東・イスラーム世界の都市は、どこも、我々の気持ちを高ぶらせる不思議な魔力をもっている。喧騒に満ちたスーク(バザール)と清澄なモスクの空間を核とし、迷宮のように広がる複雑きわまりないイスラームの都市を徘徊すると、その密度高く組み立てられた場の力に、誰もが圧倒されてしまうだろう。また、航空写真でアラブ世界やイランの都市を上から眺めると、まるで生き物のように有機的で変化に富んだ形をしている。曲がりくねった道路網のなかに、中庭をもつ住宅群があたかも細胞のようにぎっしりつまっている。
 こうした独特の形態をとる中東・イスラーム世界の都市の面白さは、建築の分野では比較的早くから注目されてきた。だがそれは、あまりに機能性や合理性を追求し、つまらなくなった近代都市に対し、イスラームの都市に自然発生的で秩序のないヴァナキュラー(土着的)な都市造型の面白さを見るという発想に立つものだった。
 ところが考えてみると、中東のイスラーム世界の都市は、西欧都市に比べ、ずっと長い都市文明の歴史を背後にもっている。紀元前二千年以上に遡るメソポタミアの古代都市に始まり、古代ペルシアの都市、ヘレニズムやローマ・ビザンツ都市と展開した古代都市の豊かな経験を背景に、綿々と続く都市づくりの知恵を受け継ぎながら、多様な要素を巧みに配置し、複合化させ、密度の高い都市空間を見事に築き上げてきた。
 こうしたイスラーム世界の都市に、理にかなった秩序が存在することは疑いがない。ただそれが、単純な合理性に慣れきった現代人の目には、見えにくいに過ぎなかったのである。
 特に、アラブ世界におけるイスラーム都市の旧市街は、近代がめざした都市の姿とはまったく反対の性格をもっている。道は見通しがきかず、狭くてゴチャゴチャし、車も入れない。ロバや馬が行き交い、路上はとても清潔にはなりえない。緑はなく、広場や公園も欠如している。秩序のない、遅れた都市というレッテルが貼られてきたのである。
 しかし、「人とモノと情報」が集まり、活気にあふれるまさに都市の原点が、イスラーム世界には見られる。建築や都市計画を専門とする者にとって、インスピレーションの源泉となりうる要素が、ここにはふんだんに散らばっている。
 1980年代に入って、急速にイスラーム世界の都市の捉え方も変わってきた。混沌としているように見えて、実は逆に、全体から細部に至るまで、ある秩序を持ちながら巧みに組織化された都市であることも明らかになってきた。
 イスラーム都市の空間的な特徴を解明する研究は、アラブ人の研究者自身によっても近年、徐々に活発になってきている。なかでも、チュニスの旧市街(メディナ)を分析したB・S・ハキームの『イスラーム都市――アラブのまちづくりの原理』(佐藤次高監訳、第三書館)は、住宅内部の構成から都市全体の形態まで、系統的にその在り方に光を当て、アラブ・イスラーム都市の特質を考察している。

 そもそも、「西欧の中のオリエント都市」ともいわれるヴェネツィアから都市の研究を始めた私にとって、イスラーム世界の都市に目を向けるのは、ごく自然なことだった。
 まず、大学院の時期に留学していたヴェネツィアから、汽車で陸路を通って延々とイランのテヘランまで行き、1か月間、この国の建築と都市を見て回ったのが、イスラーム文化との最初の出会いだった。26年も前のことである。この調査の旅の間、日本におけるイスラーム建築研究の第一人者の石井昭先生から、現地でたっぷりとイランの建築と都市の魅力について教えを受けたのである。その後も、さまざまな機会に中東各地のイスラーム都市を巡り、ますます私はその魅力に取り憑かれることになった。
 都市はすぐれて学際的な研究対象である。そのフィジカルな構造、形態、景観から、社会の仕組み、制度、経済活動、人間関係、宗教の在り方など、あらゆる観点からアプローチしなければならない。特に、イスラームの活気に満ちた都市を巡っていると、我々の建築の分野を越えて、さまざまな視点から見てみたくなる。そんな思いでいた頃、当時東京大学東洋文化研究所におられた板垣雄三氏を中心に、文部省の重点領域研究として、「イスラームの都市性」に関する学際的な研究プロジェクトが実施され(1988年から3年間)、幸い私もそこに参加し、さまざまな分野の方々から多くの刺激を得ることができた。
 それも大きな契機となり、この10年ちょっとの間、法政大学の研究室の学生達と、地中海周辺のイスラーム世界の都市を巡っている。建築の教え子が青年海外協力隊でモロッコに住んだり、シリアのダマスクスから留学生を迎え入れたことが弾みとなって、調査を実現することもできた。私の研究室からトルコやシリアに留学して、イスラームの建築や都市の研究に青春をかける若者も続いた。
 こうして調査でイスラーム都市を訪ねる際には、その特質を描くのに、2つの大きなテーマをいつも考える。というのは都市空間が、商業を中心とする「公的世界」と家族の生活の舞台である「私的世界」とに明確に分かれているからである。そのどちらもが、ヨーロッパ都市にも日本の都市にもない特徴をもつ。
アレッポのスーク


ダマスクスの中庭型住宅

 まず、都心部では、宗教ばかりか政治や社会の中心でもある大モスクを核とし、そのまわりに活気ある商業空間(スークあるいはバザール)が広がっている。小さな無数の店舗が並び、その背後には中庭をもつ隊商宿の建築(ハーンあるいはキャラバンサライ)が置かれる。しかも、社交場となる公衆浴場やマクハー(コーヒー店)があちこちに配され、全体として、高密度ながらゆとりのある高度に発達した都市空間を形づくっている。息抜きができたり、華やかな気分になれる場所も多い。街路にはしばしばアーケードが架かり、人工空間として環境が制御されている。ヨーロッパでは近代にならないと登場しないような都市の仕掛け、空間の発想を早い段階から獲得していたのだ。
 一方で、伝統的な住まいと複雑に入り組んで構成される住宅地のつくり方が興味を引く。そんな迷路の中の家を一つ一つ訪ね、実測をして、その建築的な特徴を調べると同時に、家族や生活に関する聞き取りを行うのである。外の街路は壁ばかりが続き、閉鎖的で鬱陶しいのに、一歩内部に入ると、別世界のように美しく快適な中庭の空間が待ち受けていることがよくある。そんな中庭で、コーヒーやお茶をご馳走になってのんびり過ごすのは、いかにも気分がよい。イスラーム世界では、どこでも人々はもてなしの心を示してくれる。  だが、こうして西アジアから北アフリカを巡っているだけでも、簡単に「イスラーム都市」としてはくくりにくい多様な都市の在り方が見えてくる。たとえば、先に述べた「中庭型の住宅」も、イスラーム都市の特徴としてよく引きあいに出されるが、実はアラブ世界やイランに広く見られる住宅の形式であって、同じイスラーム圏のトルコにはあまりない。斜面に発達したトルコ都市の住宅は、逆に外側に大きく窓をとって、眺望を大切にしている。もちろん、モスクの形式も地域によってずいぶん異なる。これが、もっと東の世界、特に東南アジアなどのイスラーム諸国に眼を向けると、都市や建築の形態もさらに大きく違ってくるのは当然だ。  イスラームという宗教、生活規範、そして価値観の体系と結びついた、イスラーム都市としての共通の特徴を探りながらも、気候風土や先行する歴史・文化などに裏打ちされた地域ごとの固有の都市の在り方を描き出す必要があるのだ。  もともとイタリアの研究から出発した自分にとって、そのイタリア、あるいはヨーロッパの都市や建築を新鮮な眼で見直すにも、実はイスラーム世界の都市を見て回ったことが大いに役立っている。ヴェネツィアの中にも、イスラーム都市の構造とよく似た性格が見出される。町の中心にあるリアルト市場には、人があまり住まず、商業機能(それと関連した行政機能も含む)が集中し、中東・イスラーム世界の都市の市場(スークやバザール)に似た雰囲気を漂わせている。また、狭い曲がりくねった迷宮状のメインストリートを抜けて、回廊の巡るサン・マルコ広場に躍り出る時の華やいだ気分も、イスラーム都市の空間体験とどこか重なる。そして、大運河沿いには、アラブ都市のフンドゥク(隊商宿)から影響を受けたフォンダコという名の商館が建ち並んだのである。
 ヴェネツィアと同じように海洋都市国家として名を馳せたアマルフィ、そしてジェノヴァを調べていても、イスラームからの影響は随所に見られる。イスラーム世界と南ヨーロッパの都市の比較は、大きな可能性をもった魅力ある研究テーマだといえよう。
 なお、イスラーム都市を対象に我々の研究室がこれまで行ってきた調査研究の成果は、法政大学出版局から『イスラーム都市の生活空間』として刊行される予定である。 (法政大学工学部教授)



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