第3回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー参加報告

日・韓・中における
大学出版部の社会的な役割を考える


小林 敏・辻 浩子

 「現在、韓国がハングル文字を使用している件については、韓国の政策的な問題であり、韓国における小・中学校の教育的な側面をも視野に入れたものである。従って、今後、徐々に漢字とハングル文字の併用政策はとられていくとしても、現段階では短絡的に漢字文化への移行を行うことは困難さがつきまとうのが現実。」韓国大学出版部協会の李光来氏(江原大学)は、淀みのない口調でそう答えた。明るい日差しが差し込むソウル大学校の文化館国際会議室は『第3回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー』の熱っぽい空気に包まれていた。
 私たちは、出版というものが、その国の文化を表象するものであるということを観念的には理解しているつもりであった。が、自国の歴史的な背景によって、自国の使用する文字にまで政治的配慮を余儀なくされる韓国という国の出版事情をどこまで理解できているか、という点になると言葉を失わざるをえない。私たちは、日本を発つ数日前、東京大学構内の山上会館における《大学出版部協会ソウル派遣団結団式》の席上で、訪韓の決意を口々にこう述べた。「現地の生活文化は、現地に行かないと理解できない部分がある。その国の文化や気質に直接触れることで韓国という国を少しでも理解したい」と。
 しかし、実際のところ「その国の文化を知る」とは、どのようなことなのだろうか。出版というものが文化を反映させるものである以上、文化の異なる日・韓・中の大学出版部が共同で果たすべき役割とは具体的にどのようなものなのであろうか。私は、会議室の窓から見える美しい緑の樹々に視線を移しながら、そのようなことを考えていた。

 1999年6月1日午前8時。私たち大学出版部協会のソウル派遣団は、成田空港第2ターミナルビルに集合していた。今回の訪韓団は、山下正大学出版部協会幹事長(東京大学出版会)を団長として、高橋一夫副団長(産能大学出版部)と山口雅己秘書長(東京大学出版会)という役員構成をとり、以下笹岡五郎氏(専修大学出版局)、末田博子氏(東海大学出版会)、田志口克己氏(東海大学出版会)、嶋田努氏(東京電機大学出版局)、そしてこの原稿を共同で執筆している小林敏(慶應義塾大学出版会)と辻浩子(東海大学出版会)の合計9名での編成となった。従来の海外派遣団に比較しても若いメンバーが目立つ編成である。大学出版部協会の三浦義博国際担当幹事(東海大学出版会)と原野勉協会副幹事長(東京電機大学出版局)、三浦邦宏総務担当幹事(明星大学出版部)が心配そうに見守る中、私たちはソウルに向けて飛び立った。


 初日のソウルは雨。『ソウル国際ブックフェア』も雨の影響で客足が鈍りはしないかと案じたが杞憂であった。100社を超える出版社の展示で賑わうフロアーを見ていると、書籍に対する人間の憧憬というものは国籍を超えて存在するものだ、との確信が湧いてくる。
 一夜明けて、私たちはソウル最大の書店である『教保文庫』を視察した。〈外国書〉のゾーンに並べられた協会加盟校の本は残念ながら全て古く、価格もウォンに換算すると大変高価なものになってしまっている。国際的な書籍流通の難しさを思わずにはいられなかった。
 韓国滞在も3日目ともなるとかなり慣れてくる。この日私たちは、予定されていた韓国放送通信大学の出版部を訪ねた。同出版部の出版管理局長金永道氏は、韓国放送通信大学の特色について詳細に教えてくださった。中でも学生に人気のある学科が電算学科であるという事実が、昨今の韓国のハイテクブームを反映させていて興味深かった。私たちは、会議終了後、出版部長の李鍾■(さんずい+文)氏の勧めで韓国初代大統領李承晩氏が暮らした家を見学する機会に恵まれた。李鍾■(さんずい+文)氏は真顔でこう言った。「日本人は、李承晩大統領の名前を忘れることは出来ないでしょう」と。その表情は複雑さをたたえていた。
 その晩、私たちは、韓国大学出版部協会の招待で中国大学出版部協会のメンバーとともに本場の韓国料理を楽しんだ。夜がふけるのも忘れて肩を組み合い、酒を酌み交わす三国の大学出版人の光景に国籍が異なる意識は存在しなかった。
 6月4日。私たちは、韓国大学出版部協会が手配してくれた大型バスで『第3回日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー』の会場であるソウル大学校文化館の国際会議室に向かった。会議は、三国代表の挨拶から始まり、記念品交換を経て各国出版部のテーマ報告へと滞りなく移行していった。まずは韓国大学出版部協会の李光来氏が、「本は人間の考えを伝達するために考えられた道具」との大前提を打ち出して論を進め、「三国の大学出版部が共同で指向すべき座標について『漢字文化媒体のインフラ構築』の必要性」を論じた。この氏の論を受けた山口雅己秘書長は、日本側を代表して次の質問をした。「『漢字文化媒体のインフラ構築』という言葉の意味は、将来的に韓国で漢字とハングル文字の併用を推進する、ということを意味しているのか。仮にそうだとすれば、漢字とハングル文字の書籍の割合は韓国の出版物の中でどのくらいになると予測できるのか」と。この山口雅己氏の質問に対する答えが本稿冒頭の李光来氏の弁である。
 次に、中国大学出版部協会■(片へん+兆)洪芳氏(中国人民大学出版社)が、「品質掴み、改革掴み、管理掴み」と題する発表を行った。氏の発表の中で「高品質の書籍は読者の要求」としている点などは、我が国の出版事情にも妥当する事柄である。続いて日本側からは、まず高橋一夫副団長が発表を行った。「大学出版部の社会的役割―産能大学出版部の場合―」と銘打ち、特色ある同出版部の形態について論を展開したが、中でも「通信技術の進展や電子技術の活用を研究し、場合によっては製本印刷物でない出版にも眼を向けていく」とする新規事業の開発という部分については韓国のみならず中国側の強い関心も浴びていて聞きごたえのあるものであった。
 昼食をはさみ、午後の部は山下正団長の司会で再開された。韓国大学出版部協会の権英子氏(ソウル大学出版部)は、「大学出版部の社会的貢献と企画出版」という視点から論を進めた。氏のオックスフォード、ケンブリッジ、ハーバードの各出版部を例に引いた検討は実に圧巻であった。続く中国の徐志偉氏(復旦大学出版社)の発表は「大学出版社の役割及び地位」というテーマ。そもそも人口に恵まれている上に、開放政策のもとで良質な労働力育成のための教育機会が拡大傾向を見せ続けているという中での中国の出版事情を反映させてか、「中国大学出版社はこれからも発展」と胸を張ったのが印象的であった。そして今回のセミナー発表のトリをつとめたのは山口雅己秘書長であった。氏は「大学出版の社会的役割」と題する論の中で、日本の大学出版部が学術出版に対する財政的援助を与えられていない現状について言及し、その上で1958年に設立した学術書刊行基金の存在について触れた。氏は明言する。「良書を蓄積することによって受ける利益を通じてのみ、大学出版部はその理念を実現することが可能なのであり、大学ひいては社会に対する使命を果たすことができる」と。

 各国の事情はそれぞれに説得的である。問題はこれらの課題を明日につなげる英知をどう持つか、である。パッションという言葉は情熱という意味の他に受難という意味をも含むという。『21世紀の大学出版のありかた』……この大きな命題の“受難”に対し、私たちが情熱を持って臨む時、三国の大学出版部は文化の隔たりを超えた社会的な役割を共有しうるのかもしれない。
 この命題は、2000年に日本で議論される。
(第3回 日本・韓国・中国大学出版部協会合同セミナー訪韓団員 慶應義塾大学出版会、東海大学出版会)



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