ネットワークがもたらす本と読書の環境変化

植村 八潮

 米英を代表する出版雑誌が相次いで、母国の大学出版部を取り上げている。昨年のアメリカ大学出版部協会総会についてはパブリッシャーズウィークリーの記事とともに、すでに小誌(40、41号)で報告がある。さらにイギリス大学出版部の動向についてブックセラー(3月19日号)が特集を組んでいる。両記事に共通するキーワードがアマゾン・コムに代表される「オンライン書店」と、必要に応じて本を印刷製本する「オンデマンド出版」である。
 いずれも学術出版の将来を担うテクノロジーとして、大学出版の積極的な取り組みが紹介されている。期せずして欧米の大学出版部がデジタル出版に取り組んでいるのは、単にブームだからとは言い切れない。
 すでに学術情報の流通では、紙に刷らないデジタルデータでの蓄積と配信が「オンライン出版」という概念で形を見せ始めている。デジタル技術とネットワークが、どのような変化を本と読書にもたらそうとしているのか。欧米の取り組みをふまえ、振り返ってみたい。

 ●ネットワークによる出版流通の変化
 自分の意見や思想を第三者に伝えようとした場合、声の届く範囲は狭いが、紙に記録することで、より多くの人に伝えることが可能となった。印刷技術によりその量が飛躍的に増大し、版元として本の制作を請け負う出版社や近代流通システムとして取次業や書店が生まれた。
 今日の出版流通は、紙の本を前提とした情報の流通システムといえる。当然の結果として、ネットワークインフラの登場により、著者から出版社、取次、書店を通して読者までの流れに変化がもたらされている。ニコラス・ネグロポンテは『ビーイング・デジタル』(95)の中で「出版社は情報を送り届けるビジネスなのか(ビットのビジネス)、それとも製造業なのか(アトムのビジネス)」とした上で、「本を読者に送り届けるには、輸送や在庫のための費用がかかる。(中略)もっとまずいのは品切れもあり得ることだ。デジタル形式の書物は決して品切れにならない」と記している。執筆当時は未来の予言として受け止められたことが、もはや現実のこととなっている。

 ●オンライン書店の登場
 気に入ったお菓子は何回でも買うが、その意味では同じ本を1人が2冊は買わない。これは書店にPOSレジが必ずしも有効でないことを示している。POSデータは人気商品と死に筋を見つけるのに有効であるが、売上げをマスでしかとらえず、パーソナルな情報をそぎ落としている。
 しかし、オンライン書店ならば誰がどのような本を買い、そして同じ本を買った人は他に何の本を買ったかが瞬時にわかるのである。一度オンライン書店で購入した人には、類書が発売されるたびに新刊紹介することもできる。専門書や少部数出版物に必要な、細やかなマーケティングや顧客管理が、ネットワークにより再び可能となったのである。
 一方、少部数出版物を書店店頭で探すことはきわめて困難な状況にある。オンライン書店が少部数出版社にとって期待される理由でもある。ベストセラーから在庫僅少の書籍まで、すべてを取り揃えられるのが理想的オンライン書店なのである。
 このようにオンライン書店は、顧客管理と迅速な受発注を可能にした。ただ、従来同様、紙の本(アトム)を物流で取り扱う必要があり、書籍データベースだけでは競争の激しい中で勝ち抜くことはできない。最近、アマゾン・コムは、いち早い配本サービスのために巨大な流通倉庫を建設している。それは全米最大の書籍取次会社イングラムに匹敵する規模という。在庫を持たずに世界最大の書店と称してきたアマゾン・コムの優位性は、結果的に崩れつつあり、今後の成長を疑問視する声もある。

 ●学術論文で始まったオンライン出版
 一方、ネグロポンテが指摘したようにビット情報の配信、つまりオンライン出版ならば在庫を持たず流通も容易である。欧米では、配信に加えデジタルデータでの蓄積も含めて電子図書館という概念でとらえている。
 オンライン出版の原型は、インターネットの初期段階から試みられていた学術論文の流通にみることができる。
 91年8月、ロスアラモス国立研究所のポール・ギンスパーグは、サーバーに蓄積した高出力エネルギーに関する学術予稿集をネットワークを通して配布し始めた。インターネットが脚光を浴び始めた時期だけに、科学ジャーナリズムは、この論文流通形態が従来の紙への印刷を基本とした出版社にとって最大の脅威となると報道した。いわゆるギンスパーグショックにより、著者と読者が直接、論文を情報交換し出版社は不要になるとした予測すらあった。
 これを機会に世界の大手学術出版社は、書籍の電子化とオンライン配信の研究を開始した。オランダのエルゼビア・サイエンス社は、アメリカの9大学と共同でTULIP(The University Licensing Program)プロジェクトを91年から95年まで行った。紙で発行されていた43の学術ジャーナルを、画像データとOCR入力によるテキストデータとしてサービスした。この実験成果を基に九五年から商業サービスを開始し、現在1200の雑誌タイトルを電子化して販売している。さらにインターネットの普及に伴いオンラインサービスも開始した。
 サービスの準備を始めた頃は、雑誌ごとにデータ形式がバラバラであったが、これをSGMLにより統一し、紙、CD‐ROM、オンラインのいずれのメディアでも利用を可能とした。その膨大な投資についてエルゼビア・サイエンス社は、将来、学術情報の世界では紙媒体がなくなることを想定した行動とし、「もはや後戻りのきかないデジタル化の道」という。

 ●商業オンライン出版の動向
 インターネットの初期の段階でギンスパーグが学術論文を配信できたのは、課金について考慮しなくてよかったからである。その後の技術進歩により、課金システムを持った商業オンライン出版が数多く登場した。
 今のところ好調な例はやはりアメリカにある。一例を挙げると97年創業ファーストブックス・ライブラリー(http://www.1stbooks.com/)は、今や2000を超えるタイトルと数百の無料タイトルを誇り、月間ヒット数が30万回を誇るまでになった。PDFやワードファイル、あるいはプレーンテキストで準備され、一部の立ち読みなどもできる。著者とはオンライン送信に関する個別の契約が行われているとのことである。
 最近、紙の本を出版した著者が、自らウェブページで原稿を公表する問題が生じている。特に大学の教員や研究者に多いようである。出版社が著者との出版契約でデジタル化権を設定するということは、出版社にも預かった権利を行使する義務が生じる。今後、中小出版社がオンラインサービスを持たず、契約を曖昧にしたままでは、オンライン出版社の囲い込みにあう可能性がある。

 ●オンデマンド印刷によるカスタム化
 オンデマンド印刷には、インクを利用したカラー印刷と、コピーの原理をベースに製本まで行う2つのタイプがある。注目すべき点は、本の内容をデータベース化し、授業に必要な箇所を組み合わせて出力するカスタム出版が可能な点である。日本でも学生人口の減少を機に、少人数教育の導入が始まっている。教科書採用は少部数となり、学内専用の軽印刷によるテキストも増えている。
 大学教科書のカスタム出版としては、マグロウヒルがコダック、ダネリーと組んで90年から始めたprimisが先駆的である。ウェブページには「ニーズ、教育法、スタイル、コンテンツ、構成にあわせてカスタム化する」と書かれているが、今でもカスタム出版の重要なコンセプトといえる。
 このサービスの終了が噂される中で、新たに同様なサービスも始まっている。イングラム系のライトニング・プリント社(http://www.lightningprint.com/)は、ハーパーコリンズやオックスフォード大学出版などと契約し、積極的にデジタルライブラリーを構築している。またゼロックスの「ブックインタイム」サービスもよく知られている。  一方、作家自らの行動として、絶版になった本や少数民族文学の作品を発表するため、97年にスウェーデンの作家たちによる「ブックス・オンデマンド」(http://www.books-on-demand.com/)の運動が始まっている。
 今のところ、コストとしてはむしろ高めかもしれないが、魅力あるオンデマンド出版が世界中で始まっている。

 ●オンデマンド印刷がもたらすビッグバン
 本を編集する経験からいえば、どんなにベストセラーをねらったとしても、一人一人の読者が見えてこなければ失敗である。極論すれば本にはマスマーケットなどなく、個々人の購入による一冊ずつの積み重ねの結果がベストセラーになっているだけである。つまり本は多様性に富んだパーソナルメディアである。この点でインターネットと相性がよい。
 オンラインでは個人にあわせてカスタマイズされたコンテンツが、膨大な量となって流通している。本も同様である。いや、同様になってほしいと夢見ている。オンデマンド印刷が普及すれば、一人一人の読者にあわせて編集された多量の本の出版も可能となろう。

 デジタル技術とインターネットの普及は、さまざまな分野で従来の構造に変化をもたらし、枠組みを壊し、新たな市場を突如として出現させてきた。出版界が電子出版に抱く現状打開への期待と不安がここにある。現在までのところ、電子出版による解答は見えてこない。ただ注意して避けなければいけないのは、電子出版における成功を売上高や市場占有率といったマスマーケットの論理だけでとらえることである。
 ネットワークとデジタル技術が出版にもたらす影響については、それがあまりに急なため、技術的変化に目が奪われがちである。その結果、売上増に結びつけた「販売ルート」や「新たな市場」という、ことの本質を忘れた過度な期待や、変化に対する不安の声を耳にする。
 オンライン出版、あるいはオンデマンド出版が「グーテンベルグ以来の革命」と形容されるのは、それがコミュニケーション、表現力、情報流通と、どれをとっても爆発的な増大を生み、学術文化に多大な影響を与えているからである。「新たな市場創出」というバラ色の夢を描く前に、将来に対する「学術出版の基盤づくり」ととらえるべきであり、さらに市場原理の優先により見失った本作りの原点回帰でもある。
(東京電機大学出版局)



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