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日本の自然史博物館・大学博物館の魁
―北海道大学農学部博物館を訪ねて―

成田 和男

 第二次博物館ブームである。神戸市は「二〇世紀博物館群構想」を復興のシンボルに掲げ、日本版スミソニアン博物館群をめざしている。学術審議会も大学所蔵学術資料の保存・活用のために、専門施設の設置を求め、1996年には東大総合研究資料館が東大総合研究博物館として生まれ変わった。「大学博物館」の誕生である。その後、京大、東北大そして北大に「大学博物館」が次々と誕生している。
 「博物館」という名称は、福沢諭吉が『西洋事情』で使ったのが定着したものだという。では日本の博物館の生みの親は誰か。それは北海道の開拓にあたって明治政府が招へいしたアメリカ人ケプロンである。彼は明治4年に博物館の建設を開拓次官黒田清隆に提案したといわれている。彼の考えていた博物館は、自然史博物館であったらしい。
 それでは、日本の自然史系博物館第一号はどこか。明治10(1877)年に商品陳列所として札幌に開館した開拓使札幌仮博物場である。仮博物場はその後、札幌博物場となり、さらに明治17年に北大の前身である札幌農学校に移管され、その所属博物館となった。ここでようやく今回紹介する北大農学部博物館と話が結びつくことになる。

 日本最古の現役博物館
 博物館は、同じ農学部付属の植物園のなかにある。この植物園は明治19年の開園で、小石川植物園に次いで日本で2番目に古い。クラーク博士が教育研究に不可欠であると熱心に提言したことにより設置されたという。設計は初代園長となった宮部金吾博士である。博物館西隣りには、バチェラー記念館がある。この建物はアイヌ民族の研究で知られる英国人バチェラーの自宅であった。現在は閉館されているが、アイヌ・ニヴヒ・ウイルタの北方少数民族の資料が展示されていた。
 では博物館を案内しよう。設計はアメリカ人建築家ベートマンによる。明治初期の代表的洋風建築で、平成元年重要文化財に指定されている。切妻にある星印は開拓使旗章のシンボルマーク五稜星である。明治15年に建てられてから120年近くにわたって現役の博物館として活躍している。これは日本で最長老の博物館である。

 貴重なお宝の数々
 正面をはいってすぐに目に飛び込んでくるのは、一晩に7頭の馬を倒したあと、屯田兵により撃ち取られた金毛のヒグマである。なお収蔵庫には、明治11年に一夜に3人を喰い殺し1人に重傷を負わせたという人喰い熊が保存されている。吉村昭の『羆嵐』を思い出し、身震いする。この他、貴重な標本としてはエゾオオカミがある。明治20年代に絶滅してしまい、世界中でここにしか残っていない。ブラキストン線として動物地理学の教科書にその名を残しているブラキストンが、研究に用いた鳥類標本もある。「南極物語」で若い人にも知られている樺太犬タロの剥製もある。タロは昭和基地から生還後、死ぬまでの9年間を博物館で飼われていた。内村鑑三が製作したアワビの発育標本が残されているのも北大らしい。

 博物館を案内してもらった後、『札幌博物館案内』という標本目録を兼ねた小冊子を拝見した。発行の趣旨に「…本博物館は、大学の学生生徒の研究をもってその本旨とするはむろんのことなれども、また一面には普通教育と社会教育とに資するはその目的たること明らかなり…」とある。奥付を見て驚いた。なんと明治43年の発行である。これこそまさに「大学博物館」の魁である。
(北海道大学図書刊行会・成田和男)


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