関西の専門書市場とマーケティング戦略

土橋由明



 はじめに――出版業を取り巻く現況

 (株)出版ニュース社によると、2008年度末の時点で、30年ぶりに全国の出版社の数が4000社を下回ったという。しかも新たに出版社を創業したのは、わずか9社のみであった。しかしこの数字も近年業界が置かれている状況を目の当たりにすると、大した驚きにもならない。業界紙面に目をやると、昨年から今年にかけて相次いで出版社が倒産に追い込まれ、もはやビジネスとして魅力のなくなった出版業へ足を踏み入れる者も少なくなってきているように思われる。
 このように業界全体が縮小する中で、当会のような「関西」・「専門書」という特殊性をもった出版社は何に期待し、何を行えばその活路が見出せるのか。
 その二つの特殊性をキーワードに、現況と今後の展望について言及したい。

 「東高西低化」したマーケット

 ほとんどの産業がそうであるように、われわれ出版産業においても、「東高西低」という地域格差モデルはすんなり当てはまるように思われる。
 コンピュータ出版販売研究機構のサイト(注1)内に掲載されている「2008年度コンピュータ書売上ランキング【全国(上位200店)】」の数字をもとに、各地域での販売部数比率を計算してみた。出版社視点ではあるが、大別すると「東日本(中部地方含む)」74%、「西日本」26%と圧倒的な市場の格差が存在している。また地域比較では「関東」は63%、「関西」は17%、都市比較では「東京都」46%、「大阪府」11%であった。もはやこの「東高西低」の「東」とは、「東京」と読み替えた方が適切であるかもしれない。対象となった加盟7社の出版社は東京に本社を置いていることや、取り上げた分野の影響もあるだろうが、それを差し引いたとしても、一定の指標にはなるであろう。これは実際に、大阪を拠点として活動する当会においても肌で感じていることであるが、数字上の格差だけではなく、業界内の情報伝達や取次機能・書店仕入部の東京一極集中など、そこに内在している格差は予想以上に大きいと思われる。

 「関西」という市場の可能性――大阪を中心に

 ではそのような格差の中で、さらにマーケットは縮小し、出版産業の辺境の地である関西で活動する出版社はますます苦境に立たされて行くのであろうか。私は少し違ったようにとらえている。
 ここ数年、この「東高西低化」した既存のマーケットに対して、関西は多方面から少しずつ、そして確実に新しい動きが芽生えてきている。
 出版産業でみると、昨年から大型書店の新規出店・店舗増床などが行われた。主な例として、「ブックファースト阪急西宮ガーデンズ店」、「喜久屋書店橿原店」、「ジュンク堂書店難波店」の新規開店、「ジュンク堂書店ヒルトン梅田店」増床(2フロアへ)などが挙げられる。またネット書店大手のAmazon.co.jp の物流サービスを手掛けるアマゾンジャパン・ロジスティクスは、関西の物流拠点となる「アマゾン堺FC」を開設し、サプライチェーンの強化に乗り出した。鋭敏なビジネス感覚をもつ同社が関西へ進出してきた事実は特に注目すべきである。
 他の業界に目をやるとどうであろうか。
 関西産業・経済界においても、近年大きな動きが見られるようになっている。大阪では大企業による設備投資として都市区画整理事業が盛んに行われ、JR大阪駅北口に広がる操車場跡地(通称:梅田北ヤード)には、商業・教育・文化・自然などが融合した新たな複合施設・拠点の建設が計画されている。同じくJR大阪駅には三越伊勢丹ホールディングスも進出が予定され、間もなく梅田界隈は百貨店激戦地区となる。また大阪府以外では、特に滋賀県(南部)において、その交通の利便性から、近年大阪や京都のベッドタウンとして宅地開発が急速に進んでいる。それにともない、大学キャンパスの新設、またマンションの建設などが進み、全国でも数少ない人口増加県として成長している。事実、多くの書店が滋賀県内への進出を始めている。今後もナショナルチェーン店など、さらなる進出が期待されるであろう。
 教育面においても、昨年慶應義塾大学が大阪中之島へサテライト拠点を設置したように、関西での人材確保、教育基盤の確立など、東京から関西への「知の流動」が起こりつつある。
 いずれの業界においても、飽和状態化しつつある既存マーケットから新たな金脈を探すべく、関西(特に大阪)への「西部開拓」が行われようとしているのではないだろうか。
 現在大阪府では、「地方分権」・「道州制」を見据え、行き詰りつつある「ヒト・モノ・カネ」の「東京一極集中化」からの脱却を図るとともに、今後もますます経済交流が深まるであろうアジア諸国との玄関口として機能すべく、「陸海空」交通網の整備なども計画している。今回の政権交代により、ますますその速度が増す可能性もある。既存の経済システムが変われば、われわれ出版産業の現況も大きく様変わりするであろう。
 在阪出版社としは、ぜひともその可能性に期待しつつ、変化に対応できるような準備をしておきたい。

 専門書ビジネスとは

 今年8月に開催された大学出版部協会夏季研修会にて、「関西の書店状況」という題目で発表する機会があった。その資料を作成する中で、書店担当者から専門書について、出版社と書店との間にはどのようなビジネス感覚のもとで取引が行われているか、現場の声を伺うことができた。当会の場合を例に、出版文化論とは一線を画したビジネスとしての専門書販売について考察する。

 「高い・難しい・売れにくい」はチャンス

 今まで取引のない新規書店へ営業に行った時の話。専門書は「高い・難しい・売れにくい」といわれることが多い。確かにそのとおりかもしれない。
 2009年10月現在までに、当会から刊行された専門書カテゴリーの書籍平均価格は5600円である。内容もその分野に特化したものであり、それを専攻・研究していない一般読者からは、やはりかけ離れた存在といえる。最後の「売れにくい」についても多少の差こそあれ、当会の一般書カテゴリーと比べると、実際に棚での動きが鈍いことは否めない。
 さてこれだけをみると、専門書ビジネスを根底から否定するように受け取られるかもしれないが、私自身としては、逆にこの「高い・難しい・売れにくい」は専門書出版社がもつ市場での競合優位性だと考えている。
 企業が打ち出す様々な経営方針の中に、「価格戦略」と「ブランド戦略」という二つの戦略がある。「価格戦略」とは、大規模市場にて商品やサービスを低価格で提供し、より多くの顧客を取り込もうとするもの。ユニクロやマクドナルドなどがそうである。逆に「ブランド戦略」とは、特定の顧客層に高品質・高付加価値の商品やサービスを、それに見合った高価格で提供すること指す。おおよそ2000人程度の小規模マーケットであり、その分野に特化した情報であるという高付加価値を含み、その価値に見合った高価格商品を提供する専門書ビジネスは、まさしく後者のモデルとなるであろう。
 では果たしてこのビジネスモデルは、実際書店現場において、どのようにとらえられているのか。書店全体の経営を担う店長やフロア長などの話を伺うと、「高い・難しい・売れにくい」といういわば専門書のマイナスイメージとは逆に、予想通り次のような回答が返ってきた。

 専門書を展開するメリット

 第一に専門書とは、「(価格が)高い」がゆえに顧客単価も高く、「高収益率商品」であるということ。第二に、「難しい(専門的)」であるために、既存顧客層のさらなる掘り起こしと、新たなニーズを求める新顧客層の拡大につながるということ。そして最後の「売れにくい(棚での動きが鈍い)」については、その裏を返せば専門書の潜在顧客が少ないことを示し、ブランド戦略の基本である「商品を狭く売る」ことで、その価値や価格を高めて販売できることや、専門書の特性である長期間安定したトレンドで販売数が維持できること(ロングセラー)など、書店にて展開するメリットは十分あると考えられていた。
 その中でも特に重要なものは、「1冊当たりの収益率が高い」という点であろう。たとえば、価格が420円のコミックス10冊を販売した場合と、価格が4200円の専門書を1冊販売した場合とでは、一見売上結果は同じようにみえるが、商品管理費、人件費などのコストを考慮すると、当然後者の方が収益率は高くなる。
 いま書店現場では、「返品率」を下げることよりも、この「収益率」を上げることが重要視されている。大量送品・大量返品を減らすことは勿論のことだが、それと並行して、いかに「高収益率」な書籍を販売できるかがポイントとなっている。それは「(売れると)高収益率」な商品を扱う専門書出版社がもつ強みであり、今後も競合優位性を維持するための重要なファクターであると考える。

 生き残る手段として――「ブランドマーケティング」

 では当会のような地方の小規模専門書出版社が、今後生き残ってゆくには何が必要であるか。それは自らの「ブランドイメージ」をより明確に構築することが必要であると考える。専門書出版社であり、前述の「ブランド戦略」型に属してはいるが、様々な方面でコモディティ化が進む中、さらに差別化された「ブランドイメージ」の構築、つまり編集サイドからは高品質・高付加価値商品(=内容の確実性、独自性、創造性が高い書籍)を、営業サイドからも高品質・高付加価値サービスやマーケティング戦略などを考案し、市場へ浸透させていく必要がある。
 幸いなことに、当会はすでに「大阪大学」というある種のブランドイメージの枠組みの中に身を置いている。しかしこのブランドが持つ既存のイメージに寄りかかるだけでは、出版社のもつクリエイティブな側面や、有益な情報を市場へ反映させることはできない。「大阪大学出版会」というフィルタを通して、常に新しい「+α」を創出し発信して行く必要がある。
 このように「関西」・「専門書」という自らが置かれているポジションと特殊性を逆にチャンスととらえ、時間はかかるであろうが、市場において確固としたブランドイメージを構築できるよう、様々な戦略を模索して行きたい。

 おわりに――いま出版社がすべきこと

 出版不況といわれ、早一〇数年が経過した。ベストセラーによる一時的な売上高の浮揚はあるものの、全体としては右肩下がりである。その間出版業界内でも、「返品率の減少」、「責任販売制の導入」など、その打開に向けて様々な議論や取り組みが行われてきた。どれをとっても重要な課題であり、真剣に取り組んでいかなければならないことである。しかし、それは本来優先すべきである顧客側からはどうもかけ離れた、いわば内輪の議論であると感じることも多い。まずこの出版不況の原因となっているのは、本というメディアからの「顧客離れ」が引き起こしていることを改めて自覚するべきではないだろうか。
 ではそもそも出版業を営む上で、「顧客」とは一体誰を指すのか。当然のことながら、出版社が提供する製品・サービスに対して価値を見出し、その対価を支払う「読者」であるといえる。自社にキャッシュをもたらすという意味では、「書店」、「取次会社」もこの「顧客」に当てはまるかもしれないが、商品の最終消費者である「読者」は、本来の意味での「顧客」と位置付けられるべきであろう。
 今日まで出版社は「製造業的側面」において、本というメディアを通じ、様々な創意工夫を凝らし、新たな知識・概念・喜び・驚き・感動などを顧客へ提供してきた。そしてそれは、今後も出版社の柱として継続・発展させて行く必要がある。しかし一方で、情報受発信や他の「サービス業的側面」については、果たして顧客側が望むようなニーズを提供・吸収できてきたのだろうか。いま出版社に欠落していることは、「製造業的側面」よりもむしろ、この「サービス業的側面」における対顧客意識ではないだろうか。
 インターネット、情報機器の普及により、出版社と顧客との双方向コミュニケーションが容易となった現在、出版社は従来行ってきたような川上からの一方行的な情報受発信スタイルを見直し、また書店や取次会社に依存してきた対顧客サービスやマーケティングにも積極的に参加していく必要があると思われる。そして、顧客側が持つ潜在的なニーズを取り込み、自らがもつ出版機能を駆使し、それを咀嚼・媒介・発信することで、いままでにはなかった新たな可能性を生み出すことができるかもしれない。
 出版社とは一体何であるか、そして顧客に何を提供できるのか、今まさにその存在意義を再考しなければならない時に直面している。
(大阪大学出版会)

(注1)コンピュータ出版販売研究機構「コンピュータ書籍 売上ランキング 【全国】 2008年4月〜2009年3月」
http://www.computerbook.jp/images/computerbook_jp/cpu/65/CPU2008_zenkoku.pdf[→本文へ戻る]




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