初版本、ナンセンスなフェティシズム

里見●著『八疊記』(●=弓+享)

酒井道夫



 「畑違いだから」は言い訳にはならないが、これまで里見・をまともに読んだことはなかった。ところが時々立ち寄る古書店で、シックな背表紙に惹かれて見つけたのが本書。棚から引き抜いてみると、角背四六判ハードカバーの函入り。背と平の全面に空押しが施されている。1942年7月が初版(小山書店刊、購入本は第2版で同年9月刊)。時代を反映して本文用紙は粗末な仙花紙。表紙も和紙らしい風合いに見せているが、決して上質ではない。古書価800円の値付けだが、函の一部は擦り剥けているし、なかんずく表見返しの角が破れて欠損している。その日は棚に戻して店を出たものの、翌日同じ棚で寂しそうにしていたので購入してしまった。

 
背と平の全面空押しが一種異様な雰囲気

 1942年は出版も厳冬時代のはず。乏しい用紙を掻き集めたものらしく、本文用紙の色味が折毎に不揃いで、印刷の刷りムラも激しい。花布も省略。にもかかわらず、造本に気合いが入っているところが却ってやるせない。背と平に粋な題箋が丁寧に貼り込んである。造本につられて通読した。戦況が厳しくなっていく世相下の、市井の暮らしぶりがつぶさに描写されている。そう言えば、私が生後間もない頃の時代相を描いた文章はあまり読んだことがない。儚なげな仙花紙のページを繰って読み進むのが妙にしっくりくる。「気が〓った」妻女や女中の行状を執拗に描くシーンなんて、今じゃあ許されないだろう。これって現行の全集等には収録されているのだろうか?
 巻末に詳しい著作年表が付されていて、本書は短編小説第15集に当たる。短編集は1916年(第1集『善心悪心』春陽堂刊)以来、ほぼ1、2年置きに刊行されている。この後、戦後の1948年になってから第16集『姥捨』(東京出版刊)が刊行されたらしいが、全巻を元版で読んでみようかなという気分になってくる。恐らく造本環境の変転が手に取るように分かるだろうし、この作家の描写を今どきの妙につやつやした均一なページから読み取っても、行間から何かが抜け落ちていくような気がする。
(武蔵野美術大学)



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