四つの課題、四つの挑戦

― 学術情報流通の変化と大学出版部の発展戦略 ―

鈴木 哲也



 学術情報流通の有り様が大幅に様変わりしたにもかかわらず、学術出版はその変化に対応しようとしていない――こうした発言を私自身何度かしてきたが(注1)、では何らかの処方箋を示したか、といえば正直、忸怩たるものがある。もちろん、今でも有効な手だてなど見つけてはいないのだが、ともかくも悪戦苦闘をしてきた途中経過を報告するのが、本稿、すなわち光州での私の報告の要旨である。

 学術コミュニケーションの四つの課題

 学術情報流通の変化については、本誌上も含め何人もの論者によって指摘されているが、その論点を詳しく紹介する紙幅の余裕はない(注2)。ここでは行論のために、少々乱暴だが、問題を出版との関係で四つに整理してしまおう。

 学術情報の高度化、細分化と出版
 一つは、学術情報の高度化、細分化だ。研究の現場では、細分化の弊害と同時に、学問の再統合の必要がしばしば指摘される。論文にtorward a new paradigmという副題が付けられれば、それは最高の宣言に違いないが、そのためには、細分化した研究を広く俯瞰し総合する営みを必要とすることは言うまでない。そこでいわゆる教科書とは違う、一つの領域全てを包括するような概説書が出版において意味を持ってくる。
 よく知られているように、こうした種類の学術書は、欧米の市場には多数存在する。私はそのいくつかの翻訳出版に携わったことがあるが、いずれも1000ページ前後の大著だ。ところが日本の学術版元は、こうした書籍を作る意欲をほとんど持たない。嵩高で高価な本は市場適合的でないという近視眼的な立場から、編集者の多くは「薄く安く」と著者に要求しているのが実情だろう。

 研究の競争状況に応える出版とは
 こうした状況を一層悪くしているのが、研究における厳しい競争状況だ。publish or perishという言葉は古くからあるが、今や「学術書」という形での成果公開は、研究者個人の問題というよりは「大学・研究機関の生き残り」のためのものとなっている。
 そもそも学術論文の量自体がここ四半世紀で著しく増加した。80年代以降、世界中で発表される論文数はおよそ2倍になったとも言われるが、このように量産された論文を「金さえ払ってもらえれば」と引き受ける出版社も現れている。その結果、「本」なのか単に論文をファイルしたものなのか判別しがたい「学術書」が溢れ始めている、と言うと言い過ぎだろうか。しかもその一方で、日本の学術版元には、学術成果の国際交流に資するという見識がほとんど無い。このことは、すでに何度も書いてきた(注3)ので繰り返さないが、いまだに英文出版が低調なことは残念な限りだ。ともかく、「何を出版すべきか」という問題が不問に付されたまま、「学術書」が量産されてはいないだろうか?
 これが第二の問題である。

 大学(大学院教育)の様変わりの中で
 ここで視点を、教育の側面に移そう。国立大学法人化とともに、日本の大学を大きく変えたのは大学院重点化だが、その結果、大学院教育は大きく変わった。京都大学では、「最も優秀な学部卒業論文」と「最も劣った修士論文」の差が大きく開いた(もちろん、前者の方が上なのだ)とさえ、言われている。基礎的な知識を身につけていない者が、極めて細分化された研究の世界に入ってくるという矛盾。これまでの大学院教育の在り方は大きな見直しを迫られ、そうした中で、教科書の問題がクローズアップされている。特に、徹底した演習重視の、いわば「頭を使い手足を動かすことで、その領域に必要なセンスを養うための教科書」が必要になっているのだが、日本の学術出版界はそうした要求に応えられていないといって良かろう。

 オープンアクセスの思潮と「出版パッシング」
 そしてこうした事態を一層深刻かつ複雑にしているのが、学術情報流通のメディアそのものの多様化だ。「学術出版が、知的成果物を独占している」という研究者側からの強い批判を基盤にした「オープン・アクセス」の思潮に対し、率直に言って出版の側は正面から向き合って来なかった。その結果、いわゆる「学術情報リポジトリ」が研究機関によって整備されるにつれ、既存の出版システムを素通りして研究成果を公開しようという「出版パッシング」の動きさえ見られるようになっている。これが第四の問題だ。既存の学術出版は、存在自体、影の薄いものになりつつあると言っては言い過ぎだろうか?

 大学出版部の四つの挑戦――京都大学の試み

 こうした状況の中で、我々はどこに存在意義を見出し発展できるのか。ここからは、京都大学学術出版会(以下小会)のささやかな取り組みを紹介することで試論としたい。

 包括的概説書の刊行
 本格的な包括的概説書の刊行が大きなビジネスになりうると小会が確信したのは、M・ベゴンらによる『生態学』(原題:Ecology:Individuals, Populations and Communities)の翻訳刊行以来である。本書はB5判1300頁(全2色刷)という大部なものだが、それを1万2000円で販売するという計画には、正直、疑問の声もあった。しかし、結局2回重版し4000部を完売、満足すべき利益を上げた。その後小会では、翻訳には頼らない形で、水圏化学、群集生態学、大気観測、農業史等の分野で同様の図書を出版し、いずれも成功させている。
 学問を俯瞰し他の領域へと繋ぐことができるのは、大学の中にいる者の強みである。一般の出版社が敬遠する中にあって、こうした本を刊行することは、大学出版部の評価を高め、経済的にも成功する戦略ではないだろうか。

 英文書の刊行とアジア研究の共同普及
 日本の大学出版部の中で、小会が「最先端」と胸を張れるのは、海外の大学出版部等(シンガポール国立大学出版部、豪Trans Pacific Press社、および、インドのCactu Communications社)と共同した英文書の刊行だ。この詳細については、かつて本誌上で紹介(注4)したので割愛するが、シンガポール国立大学出版部との間で始めようとしているもう一歩進んだ形での共同、すなわち「Pan Asian Collection」(PAC)については簡単に触れておこう。これは共同出版物以外の書籍、すなわち日本とシンガポールそれぞれ独自に企画したアジア研究の英文書を、お互いのカタログにも掲載し販売するというプログラムだ。さらにこの取り組みをアジア全域の学術版元に拡大したいとも考えている。アジアの研究者による優れたアジア研究が必ずしも国境を越えて共有されていない中、国際共同の実績を活かしてそれらを普及することで、研究を一層活性化させていきたいと考えている。

 新しいタイプの教科書、自習書
 実は小会は、これまで教科書の発刊には消極的だった。周知の通り大学の学部課程教科書を出版することを専門にした出版社は多く、あえてそれらの出版社とは競合しない戦略をとっていたのだが、先に述べたような教育状況の変化を受けて、一昨年来、「これまでにない教科書」を開発することを方針に掲げ、開発に取り組んでいる。研究のみならず、教育面での要請に即座に応えることが出来るのも大学出版部の強みであろう。まずは、数学、物理学、化学、地球科学といった分野で、学生、大学院生が、「自らの専門に引き寄せながら、自分の頭で解いていく」という種類の教科書を出版できるよう、企画を進めている。

 学術情報リポジトリとの共同と今後の展開
 第四の課題、すなわち、学術情報メディアの多様化にどう対応するか。一言で言えば、学術情報流通を担う出版以外のセクターとの共同なしに、そうした対応は、全く出来ないと言って良い。少なくとも、小会はそうであるし、どれほど大きな版元でも同様だろう。
 この点で、小会が京都大学学術情報リポジトリと共同を始めたことについても、すでに本誌上で紹介した(注5)。今後は、単に刊行物をリポジトリに掲載するだけでなく、オンラインの電子メディアである点を活かした、教育利用の在り方を探る必要がある。また、リポジトリのような、ノーコストノーリターンのシステム以外にも、それ自体がビジネスとなるような電子的な成果公開も模索せねばならないと考えている。

 実践のための議論の場としての国際セミナー

 学術出版・大学出版部の在り方ついては、これまでも多くの議論がなされてきた。しかし、それらは必ずしも実践の課題として語られて来なかった、と言うと不遜だろうか。その点で、13年に亘って取り組まれてきた三カ国大学出版部セミナーは、日々、迷い悩む実践者による討論の場として、非常に貴重なものだったと思う。紙幅の関係で、ごく簡単にしか紹介できなかったが、本誌植村論文や斎藤論文と併せて、できれば当日の全報告文書に目を通すことは、今後の大学出版部、学術出版の在り方を探る上で、貴重な示唆になると思う。大学出版部のメンバーはもちろん、本誌読者の諸氏が、この取り組みに一層の関心をいだいていただければ幸甚である。
(京都大学学術出版会)

■注
(1)鈴木哲也「肝心のことは問われているか――出版部設置ブームの中で」『大学創造』第12号、2-7頁、2002年。鈴木哲也「大学出版部は存在意義を示せるか――京都大学学術出版会の取り組みから」『情報の科学と技術』Vol.53、No.9、423-428頁、2003年等。[→本文へ戻る]
(2)直近では、山本俊明「アメリカ型大学出版部モデルのゆくえ――「デジタル時代における大学の学術情報発信」(イサカ報告)をめぐって」『大学出版』No.74、2-11頁、が大変参考になる。[→本文へ戻る]
(3)鈴木哲也「「集約点」としての英文出版」『大学出版』No.56、10-13頁、2003年。[→本文へ戻る]
(4)同前。[→本文へ戻る]
(5)鈴木哲也「知のコミュニケーションの核としての共同――学術情報リポジトリと大学出版部(京都大学の試み)」『大学出版』No.74、21-27頁。[→本文へ戻る]



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