学問を社会に開くための煩悶

黒田 拓也



 ひとつの例を紹介したい。数年前私は、青木昌彦・奥野正寛編著『経済システムの比較制度分析』(1996年)という書物を担当した。本書は、青木昌彦教授(スタンフォード大学)と奥野正寛教授(東京大学)による東京大学経済学部におけるジョイント講義がベースになって編まれたものである。原稿作成作業は講義と並行して進められた。当時東京大学大学院博士課程に籍をおく若き研究者4名(注1)の協力を得て、講義をテープにとり、それをある程度まで文章化してもらい、そのたたき台をもとに編集会議を開くというサイクルを繰り返した。学生を前にして語られた講義内容を吟味しより精緻な理論モデルが整えられ、それがまさに現実の経済を見るための有力な視角としてかたちづくられていく。この編集会議は私にとって知的興奮に満ち、新たなものが生成されていく現場に立ち会える機会となり、刊行した書物は、新しいテキストとして幸いに多くの読者に受け容れられた。
 上記の例のような、最先端の知見に触れる、過去の研究蓄積をふまえて考え抜かれた概念、ことばに出会うその瞬間は何物にも変えがたい。日常の活動のなかでそのような場に立ち会うことは、正直言ってそうめったにあることではない。例に挙げた体験は幸運なことだと思う。ただここでひとつ言いたいことは、(先の例はテキストとしての書物をつくるプロセスの一環であったが)大学のなかでは、多様な研究者が関わり、日々知的緊張感に溢れた場が数多く創生されているであろう、ということだ。そこから現れる成果は多彩で刺激に満ちたもののはずである。

 「大学に於ける研究とその成果の発表を助成するとともに、広く一般書、学術書の刊行により学問の普及、学術の振興を図る」。これは、私が所属する東京大学出版会の設立趣意書のなかの一文である。多様な形態をとる各大学出版部においても、その活動の目的かつ期待されていることは上記の文にほぼ集約されていると言ってよいだろう。大学それ自身、またそれをとりまく状況が大きく変化している現在にあっても、われわれが実現しなければならない、また求められている「ミッション」は変わらない。趣旨は明確である。しかしながら、その「ミッション」実現のための具体的な方策を考える段になると、とたんに暗中模索となるのが私自身の偽らざる現実である。「ミッション」の意義は重く、そして変わらない。われわれの活動もそれに沿って進めているつもりである。でも本当にその意図を実現しているという確かな感触が得られているわけでもない。この「違和感」はなんなのだろうか。

 先端的な学問的成果をまとめた「専門書」は、どんなに工夫しても多くの「一般」読者にとって必ずしも近づきやすいものにはならない。それを十分に自覚したうえで、学問的成果を「社会に開く」という意味を考える必要がある。
 「わかりやすく書いてください。」時折、著者に対して何の気なしにこのことばを口にしてしまう。著者からその叙述のあり方の説明を求められれば、その著作に即してイメージを伝えることは可能だ。でもそのときの「わかりやすく」の意味するところは正直、私のなかで明確ではない。その曖昧さは、学問的成果をどのようなかたちで「社会に開く」ことができるのかを模索しつづけるプロセスの只中にいることの証しであろう。
 日本では、なにかと「大学」や「学者」に対してネガティブなイメージが植えつけられがちだが、なぜそうなってしまうのだろうか。冒頭の例も含めて、私が編集者として「学者」である著者の方々と書物をつくる過程、および大学のなかに身をおく日常で体験してきたことは、ポジティブな側面が多い。このことはぜひ多くの人たちに知ってもらいたいし、私が経験したような興奮をなんとか伝えたい。しかしながら、個々の学問が相当に専門化、高度化している現在、大学のなかで語られていることを「生」のかたちで、すなわち専門家同士でしか通じない「ことば」のままで提示してしまうと、とたんに大学の学問的成果をひろく社会に還元していくという「ミッション」から乖離してしまう(注2)。このことは、なにも今にはじまったことではなく以前から自明のことではないか、と思われるかもしれないが、その社会との乖離をいかにして埋めていくかは必ずしも「自明」ではなく、実際、大学におけるダイナミズムを研究者もわれわれも適切に表現できていないのではないだろうか。だからこそ、大学の外にいる多くの人びとからみると、これまでさして変化もなくなんだかよくわからない研究(書)が再生産されているように見える。そうすると「大学」や「学者」がネガティブな存在としてイメージされ、「変わらなきゃいけない」代表格として位置づけられてしまう。昨今の状況はそれを示しているように思う。
 先の「違和感」の原因は、その負のプロセスにわれわれが加担しているのではないか、われわれは本当に大学の成果を外に開くための術を確立しているのだろうか、そういったことを自問し、苦悶しつづけているところにある。

 ひとつの成功例から考えてみたい。1994年に東京大学出版会から刊行された『知の技法』はベストセラーになった。刺激的なタイトルや斬新な内容もあって大いに話題になったことをご記憶されている方も多いだろう。刊行後10年も経過し、「東大のテキストがベストセラーになった」という印象はあっても、この書物の意義を冷静に振り返る人はあまりいないのではないか。しかしながら、私にとってこの書物は現在に至るまで、日々の編集活動、また未来への企画活動にとって重要な指針となっている。本書は、研究者自身が取り組む研究テーマの面白さや意味を伝えるその一端を実演してみせ、そうして人になにかものを伝えるときの「ことばのあり方」の重要性を、編者を中心に執筆者の方々が丁寧に提示してくれたものと私は理解している。
 人と人とのコミュニケーションで大切なのは、お互いに「ことば」が正確に通じることである。これはわれわれが関わる学術出版についても同じである。いかに専門化・高度化した学問体系であれ、ある対象を分析するのにテクニカル・タームだけを並べることはありえない。そこにはどんな人にも通じる「ことば」が介在していなくてはならない。その「ことば」はどのように導かれ積み重ねられ、そして一冊の書物となっていくのだろうか。その実践としての成功例がまさに『知の技法』であり、冒頭に挙げた書物もその一つであろう。
 さまざまな工夫が重ねられ、しかも「大学」という場からしか登場しえなかった二つの書物、それがいまだに多くの読者に受け容れられていることの意味は小さくない。大学出版部に身をおくものとして、「大学の学問的成果を社会に開く」まさにその「大学」と「社会」の姿をしっかりと見極める努力をし、人びとに向けて通じる「ことば」を、研究者(著者)の方々の力を借りて吟味し、つくりあげていかなくてはならない。妙案はなく、日々の実践あるのみである。その深まりによって書物の真価、そして大学出版部そのものの存在意義が決まるといってもよいだろう。
(東京大学出版会)


(1)瀧澤弘和(経済産業研究所フェロー)、関口格(京都大学経済研究所助教授)、堀宣昭(九州大学大学院経済学研究院助教授)、村松幹二(法務総合研究所研究員)の四氏である。
(2)この大学出版部における「苦悩」は、私の同僚である後藤健介が『大学出版』55号(2002年)で博士論文をベースとした書籍の刊行について述べている。



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