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 メディアと社会主体の近現代史映画観客とは何者か

映画観客とは何者か メディアと社会主体の近現代史

A5判 680ページ 上製
定価:6,800円+税
ISBN978-4-8158-0938-6 C3074
奥付の初版発行年月:2019年02月 / 発売日:2019年02月下旬

内容紹介

民衆・国民・東亜民族・大衆・市民――。映画館でシネマを観る「数」であるにとどまらず、映画や社会と多様な関係をとりむすぶ人々のあり様を、大正期から現在まで、社会主体をめぐる言説に注目することで、変容する政治やメディア環境との交渉のうちに浮かび上がらせた、映画観客100年史。

前書きなど

映画観客は、二〇世紀初めからおよそ百年間にわたる日本の近現代史の中で、社会主体として行為し想像されたきた。本書では、映画観客と「民衆」「国民」「東亜民族」「大衆」「市民」との結びつきを分析することにより、メディアと社会主体の関係史を描き出す。

「民衆」「国民」「東亜民族」「大衆」「市民」は、歴史的文脈の中で生み出されてきたカテゴリーであり、アイデンティティであり、社会主体である。これらの言葉はそれぞれ、ある時代に頻繁に使われた一方で、別の時代にはあまり使われないということがあった。映画観客とのかかわりに限っておおよその傾向を言えば、「民衆」は一九一〇年代から二〇年代にかけて、「国民」は三〇年代から二〇一〇年代の現在に至るまで、「東亜民族」は一九三〇年代後半から四〇年代前半まで、「大衆」は二〇年代終わりから六〇年代まで、「市民」は六〇年代から二〇一〇年代の今日に至るまで流通した言葉だった。見ての通り、この歴史は単線的ではなく、複層的である。しかも、それぞれの時代には資本主義、総力戦、帝国主義、民主主義、冷戦体制、ポストフォーディズム、リスク社会、新自由主義、ネットワーク社会といった、歴史に大きく作用してきた数々の問題系が絡んでいる。こうした中にあって「民衆」「国民」「東亜民族」「大衆」「市民」といった言葉は、いずれも辞書的に定義された固定的で普遍的な意味……

[「序章」冒頭より]

著者プロフィール

藤木 秀朗(フジキ ヒデアキ)

ウィスコンシン大学マディソン校PhD
ハーヴァード・イェンチン研究所客員研究員(2006~2007年)、
ウォリック大学映画テレビ研究学科客員教授(2014年)などを経て、
現 在 名古屋大学大学院人文学研究科・映像学分野・
    専門/超域文化社会センター教授
著 書 『増殖するペルソナ――映画スターダムの成立と日本近代』
    (名古屋大学出版会、2007年)/Making Personas :
    Transnational Film Stardom in Modern Japan

    (Harvard University Asia Center, 2013)、
    『観客へのアプローチ』(編著、森話社、2011年)、
    The Japanese Cinema Book (co-ed., BFI, 2019)、
    D・ボードウェル他『フィルム・アート――映画芸術入門』
    (監訳、名古屋大学出版会、2007年)、
    T・ラマール『アニメ・マシーン
    ――グローバル・メディアとしての日本アニメーション』
    (監訳、名古屋大学出版会、2013年)ほか

上記内容は本書刊行時のものです。

目次

序 章
映画観客へのアプローチ
偶発性からの社会主体と歴史

第Ⅰ部 民 衆

第一章 社会主体のはじまり
 ―民衆娯楽・社会教育による「民衆」と映画観客―
社会問題としての「民衆」――階級、自発性、ジェンダー
「社会」主体としての「民衆」
民衆娯楽としての映画と「民衆」
社会教育としての映画と「民衆」
「社会」主体としての「民衆」映画観客

第Ⅱ部 国 民

第二章 総力戦とトランスメディア的消費文化
 ―「国民」の再定義と矛盾をめぐって―
「国民」の再定義――「民衆」の更新
トランスメディア的消費文化と「大衆」
消費主体の経験
消費主体の「国民」化――(反)資本主義、階級、ジェンダー
総力戦体制とメディア環境

第三章 「国民」への動員
 ―映画観客と総力戦、そして戦後―
映画独自の力
映画統制と消費文化
「新しい観客」
矛盾と葛藤の否認――消費文化、地域、ジェンダーをめぐって
「国民映画」と「文化映画」
戦後、そして現代へ

第Ⅲ部 東亜民族

第四章 「東亜民族」の創造/想像
 ―帝国日本のファンタジーと映画による動員―
帝国と「東亜民族」
帝国と映画政策
同一性のファンタジー
ひそやかな中心性
身体的感覚への訴え、または「精神」と科学
動員システムと映画
帝国と資本主義
資本主義の外部
ポスト帝国――忘却とファンタジー

第Ⅳ部 大 衆

第五章 テレビと原子力の時代への「大衆」ポリティクス
 ―大社会論、大衆文化論、マス・コミュニケーション論―
「大衆」ポリティクスのはじまり――戦前戦中日本の言説形成
システムに内在化された「大衆」――大衆社会論
システムの閾にある「大衆」――大衆文化論
「大衆」の(脱)政治化――マス・コミュニケーション論

第六章 民主としての「大衆」
 ―テレビによるトランスメディア的消費文化の再編と映画観客―
消費生活的な民主――テレビ論
トランスメディア的消費文化の再編
近代政治的な民主――映画観客の再定義
「大衆」は消滅したのか

第Ⅴ部 市 民

第七章 脆弱な主体としての「市民」
 ―戦後とリスクの時代の個人化とネットワーク化―
「市民」の歴史的編成
リスクの時代――フレキシブルでプレカリアスかつ自己規律的な自己責任の主体
権力ネットワークと領土化志向の「市民」ネットワーク

第八章 「市民」の多孔的親密-公共圏
 ―自主上映会とソーシャル・メディアのトランスメディア的社会運動―
親密圏のネットワーク――「市民」の再編成
社会運動の更新とソーシャル・メディア
「市民」による自主上映会

終 章


あとがき
参考文献
図版一覧
索 引

関連書

藤木秀朗著『増殖するペルソナ―映画スターダムの成立と日本近代―』


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